五話(5)
「…………」
「……やっと、起きたか?」
「…………」
「なんだよ……。なんか言えよ……。おはようか? こんにちはか? まぁ、時間的にはこんばんはか……?」
「……っ! ……なんですか……ソレは」
「んぁ? 寝坊助な弟子(仮)に起床の挨拶を、って思ったんだが……不満か?」
志音は、笑う。
普段はリアーナどころか、他の誰にも見せることのない、優しい笑み。
「……なんで――」
微笑むその口元を伝う……血。
そして――
「なんでっ!!?」
志音の胸を穿つ、影槍。
目覚めたリアーナの目にうつる志音は、笑っていたのだ。
全身を影帯により地面に縫い付けられ、四肢を串刺す影刃、……そして、人間最大の急所を抉る一本の影槍。
リアーナでなくともわかる。
確実な致命傷だ。
たとえ、奇跡的に心臓をそれていたとしても、溢れ出る血液を止めなければ死ぬのは時間の問題だ。
影帯も、影刃も、影槍も……すべてリアーナの力。
リアーナの積み重ねてきた時間の成果であり、リアーナがこうならない為に手に入れたはずの力なのだ。
コレが夢だとするなら、なんて酷い悪夢だろう。
死んだはずの彼を……今度は、自分が殺しているのだ。
あの時と同じように……
母と同じように……
こんな、事なら……
――ゴスッ
「っ!?」
「オイコラ……。ひとがせっかく苦労して叩き起こしたってのに、テメェ二度寝しようとしてんじゃねぇよ!!」
「でも、先輩……傷が――」
「それがどうした……?」
「…………え」
「そんな事はどうでもいいんだよ。お前が一々心配するような事じゃない」
「で、でも……でも、私のせいで」
「だまれ。そんな事よりもだ……」
志音は苛立たしげに身をよじり、その右腕に《黒》【マヴロ】を纏わせ自身を貫く槍に触れる。
瞬間、触れた部分を起点に槍がボロボロと崩れていく。
破壊の力。
鉄をも穿つ強靭な影槍さえも、容易に砕く力。
リアーナの知らない力。
今まで、リアーナに見せることの無かった力。
今、志音はソレを惜し気もなく使う。……それが何を意味するのか、リアーナはすでに察していた。
もう、リアーナに隠す必要がなくなったのだ。
今から『死ぬ者』に何を隠す必要があるというのだろうか?
死者に語る言葉はない。
屍から情報が広まる事はないのだ。
コレはさっきの延長線だ。
リアーナと志音が遭遇した時の延長線。横槍が入りリアーナが暴走したとしても、志音の行動は何一つ変わらない。
目撃者の抹殺。リアーナは目撃者であり抹殺対象にたりえる。……たとえ僅かな間、仮とはいえ師弟の関係であったとしても、志音には関係ないのだ。
破壊の力を帯びた右手がリアーナへと向けられる。
ゆっくりと近付いてくる『死』に、不思議なことに恐怖はなかった。
それはきっと、死ぬことへの覚悟なんかではなく、生きることへの諦めなのだろう。
(……違いますね。……アナタだから、こそ)
自分を殺すのは、志音であって欲しい。そう思うのは、リアーナの贖罪の意思なのだろうか……、それとも、ただのわがままだろうか……。
迫り来る黒き手に、リアーナは抵抗する事もなく目を瞑る。
志音のくだす『死』という罰に、身を委ねるように……。
ゴッ!
「――っ! い、痛い……です」
「当然の制裁だ」
拳骨だった。
「テメェ、なにを勝手に諦めてんだ……? まさかとは思うが、オレがあの程度で死ぬとでも思ってたのか? 図に乗るのも大概にしろよ……」
「……でも」
「今だってそうだ! お前がちょっと暴走した程度でオレが死ぬわけねぇだろうが。調子に乗るな!」
「…………ですが、ですが! こんなに、傷だらけに――」
「だが、オレは今生きてる!!」
志音はリアーナの胸ぐらを掴み、力任せに無理矢理引き寄せる。
呆然とするリアーナとは裏腹に、志音にしては珍しく……本気で怒っていた。
シミュレーターの『英雄』を相手した時も、チンピラ達からアリスをかばった時も、普段の裏の仕事中でさえ……志音がここまで感情に任せた怒りを見せたことはない。
己の重傷を二の次に、志音は怒りのままに言葉を紡ぐ。
「大体、さっきのはアレは何だ? 意識も五感も手放して、《魔法》に全部丸投げだ? ただ単純な破壊行動をとるだけの兵器にでもなったつもりか? 笑わせるなよクソガキがっ!! あんな意志のない力がオレの命に届くとでも思ったかっ? 生きることを諦めた奴の一撃程度で、オレが死ぬとでも思ってたか!? そんなので死ねるほどヤワじゃねぇんだよ!!」
「……せん、ぱい」
「見なければ、知らなければ、聴かなければ、感じなければ、……たしかに苦しまずに済むかもしれないな。……だが、それは『生きてる』とは違う。ただの動くだけの屍だ。誰もそれを『生きてる』と認めはしない!」
「……っ」
「お前がこれまでどう生きてきて……これからどう死んでいこうと、それはお前の勝手だ。オレがどうこう言うことじゃない。だが、『今』のお前は仮にもオレの弟子なんだろう? なら、その無駄に万能な耳で、オレの言葉をちゃんと聞く義務がある! 教えを乞う立場なら、たとえ辛かろうが目をそらすな! 耳を塞ぐな!」
叫ぶ。否定の言葉。
志音とリアーナは似ていた。
強さや性格云々などの表層的な部分ではなく、もっと深く……人間の生まれながらに持つ『本質的な部分』。
結歌とも、アリシアとも、健吾やエイラとも違う。きっと、志音だからこそ気付けたその類似点。
志音は『今』のリアーナを知っている。
その胸の内に秘めた刃が、どれだけ鋭く……どれほどに脆いかも……。
これから、どう崩れていくのかも……志音は、知っていた。その身を持って経験したから……。
このまま放っておけば、もしかせずともリアーナは志音と同じ道を歩むことになるだろう。
――血と死を重ねるだけの『茨の道』。
だからなのか、志音はリアーナを放っておけなかった。
「お前は……オレとは、違うだろ」
「…………先輩っ、……っ!」
強く、抱き寄せる。
強く、ただ強く……その華奢な身体を抱き締める。
志音には、それ以外の方法が思い付かなかったから……、ただ抱き締める。
リアーナは志音とは違う。
志音とは違ってリアーナには、志音がいたから。
こうやって、抱き締めてやれる『誰か』が、いるから……。
…………狂わせない。
まだ、正してやれる。
「あ、あの……っ」
「お前には、まだオレがいる」
「……えっ」
「まだ、お前はゼロなんかじゃない。……だから、勝手に諦めんな」
「……でも、きっと……失ってしまいます」
「あぁ、まず……確実にオレはいなくなるだろうな。そう遠くない未來に……」
「……っ」
「だが、きっと今日明日って訳じゃないはずだ。それだけありゃ、こんな使い道のない命でも……お前に『道』を示してやるくらいは出来る」
「道、ですか……?」
「……あぁ。だから、まだ……諦めんな。お前なら……きっと、オレが諦めた景色を見ることが……っ」
不意に、志音の全身にドッと襲い来る倦怠感。
連戦による疲労、《黒》【マヴロ】の連続使用による精神力の枯渇、……果てには、身体を蝕む《死痛》。
蘇生時に傷口が塞がるとはいえ、失った血液まで戻ることはない。
意識を保つだけでも、限界はとうに過ぎていた。
リアーナも志音ほどでないにしても、暴走時にほぼほとんどの《マナ》を使いきっている。立っているのもやっとなのだろう。見るからにフラフラだ。
抱き締める志音の腕を振りほどく体力すら残っていないのか、……ただ、されるがままに身を預けている。
「……少しくらいは、一緒にいてやるから……もう泣くな」
明滅する意識。
自然に落ちるまぶたと、霞みゆく視界。
光も、音も、感覚も……遠くなっていく。
もう、限界だ。
……眠たい。
「……っ! せん、ぱい? 先輩!? しっかりしてください! ……まだ、まだ話は――」
「……」
指先の感覚も無くなってきた。
こんな時……
こんな状況であっても……いや、こんな状況だからこそ志音は異常なまでに、冷静に思考する。
このまま、この無力と化した少女と身を寄せ合って眠りに着く?
論外だ。
ココは危険区である森林のど真ん中である。このまま、意識を手放そうものなら、二人して夜行性の魔獣のエサとなりかねない。
ただでさえ、この辺りには十数名の死体と、志音の血の匂いが充満している。嗅覚の鋭い魔獣なら、襲ってくるのも時間の問題だろう。
ならば、志音がとる選択は一つ。
「お前今、影に出たり入ったり……出来るか?」
「……? ……いえ、残念ながら《マナ》が全然足りてません。……最低でも夜明けまでは《魔法》を使用できない、かと」
「…………そうか、そりゃよかった」
志音はズボンのポケットからあるものを取り出した。
透き通るような翡翠色の液体が入った、ガラスの弾丸。……最初の襲撃時に殺した魔銃使いから回収しておいた、魔弾である。
この液体は純粋な《マナ》を液化させた純度の高い《マナ》だ。魔銃使いは自身の元より持つ《マナ》ではなく、この魔弾を使用する者が多い。
もとより、魔法適正の低い者や、志音のような体内の極端に少ない者が、数少ない《魔法使い》に、同じ《魔法》で対抗する為に作り出されたのが魔銃である。
使える《魔法》は魔銃に付与された術式一つだけだが、魔弾のストック分だけ疲労なく連発可能な優れものだ。
だが、魔弾は単なる弾に過ぎない。銃とセットでなければ意味をなさない。弾がいくつあった所で銃が無ければ、ただの荷物に過ぎないのだ。通常ならば……。
志音は弾頭のガラスを噛み砕き、中の液体を一気に飲み込む。
火をそのまま飲み込んだような熱が、肉体を内側から燃やし尽くす。常人が堪えられる痛みではない。
劇薬をそのまま飲み干したようなものだ。
だが、それでいい。
こんな身を引き裂く『程度』の痛みで、この少女を守れるのなら……安いものだ。
「……悪いがお前の力……少し使わせてもらうぞ」
「え?」
志音が発動させたのは《黒》【マヴロ】の干渉の力。
他者の《魔法》を操る能力だ。
その力で、リアーナの《影に潜る魔法》を強制発動させる。足りない《マナ》は、たった今取り込んだ液体から搾取する。
発動条件は揃った。
《魔法》は、発動する。
「っ! 私の、《魔法》! 先輩、コレは――」
「説明は後日してやる。……今日はもう、疲れた……」
体がどんどん影の中へと、波紋を描き沈んでいく。
だが、魔弾一発程度の《マナ》だ。二人分の身体を影移動させるには、量が足りなすぎた。……まぁそれも、志音の予想通りなのだが……。
影に沈むのは、一人。
「先輩、待ってください……!」
「待たない」
抱き締めていた腕を緩める。
「……優等生はとっくに就寝してる時間だ。……お前も、さっさと帰って寝ろ……」
「先輩は……っ、先輩はどうするつもり、ですか!?」
「安心しろ。……ちゃんと帰るさ。お前の心配することじゃない」
「……先輩っ」
「オレは……死なねぇよ。たまにはオレを信用してみろ」
涙と静寂を残し、少女の身体は影へと消えた。
訪れる。孤独と静寂。
「…………っ!」
――吐血。
足元に赤い水溜まりが出来る。
こんなに血を流したのは、いつ以来だろうか。
志音は何かを守る戦いが、嫌いだ。人も、物も、ルールも、誇りや地位も……関係ない。『守るために戦うこと』自体が嫌いだったのだ。
無駄に傷だけが増え、結局……何も守れない。どれだけ死力を尽くしたとしても、どうせ最後の最後にはすべて失う。
失った時の消失感に苦しむだけだ。
そして、志音は奪う側の人間なのだ……。誰かのために、剣を振るうことはない。
その……筈だった。
「……はは、平和ボケも末期だな。……こんな錆び付いた刃じゃ、アイツを殺すことなんて」
もう立っているのも限界だ。
移動を諦め、その場に倒れる。
指一本、まともに動かない。
「なんなら……ココで終わるのも……悪くないか」
たった今した口約束すら、破ってしまう事になるが……。
もしも、この刃がくず折れ……、アイツを……『英雄』を殺してやることが出来ないというのなら……。
あの人の……失望した顔を、見るくらいなら……。
もう……いっそ――
目蓋が重い。
閉じてしまえば、もう開くことはないかもしれない。……だが……、望みが叶わぬというなら……それでも――
霞みゆく視界の中、最後に志音の網膜にうつった光景は……、どこまでも眩しい月と……
風に揺れた
――長い、黒髪……。




