第五話【――《黒》】
この聖都市《オーヴェイン》には『死神』が出る。
一年という短い期間の中で、都市伝説となり語り継がれる程に……志音は数え切れない数の人間を殺してきた。
『死神』は夜に現れる。
『死神』は善悪を問わない。
『死神』は情に流されない。
『死神』は殺しを躊躇わない。
だが、『死神』を知る者はいない。
この一年という期間を経ても、島にいるほとんどの一般市民は誰一人として……『死神』の正体を知る者はいない。
『死神』を知る者は裏側を知る人間だけ。だがそれでも、半信半疑が九割といったところだ。
『死神』を名乗るには、少年はあまりに若い。
経験がものをいう裏の世界では、十七歳の少年は青く未熟だ。どれだけの才能を持っていようと、経験豊富な大人の前ではやはり見劣ってしまう。
だから裏側で生きる者達も、志音が『死神』だとは思っていない。精々、『死神』と繋がりを持つ者か、あるいは『死神』を名乗る愚者という認識なのだ。
今回、舞い込んで来た依頼は『死神』の討伐。だが実際は違う。『死神』を名乗った青二才への制裁だ。こんな楽な仕事で莫大な金が手に入るというのだ。これほどうまい話はない。
集った同業者は五十を越える。その全員が数々の修羅場を潜り抜けてきたプロ達。子供一人の首を狩るには、十分すぎる程の面子だ。
「さて……コレで全員揃ったかな? 今回のターゲットはあの『死神』だ。気を抜かず、しっかり仕事をこなしてくれ」
「『死神』ねぇ……。こんな、殺しの経験も無さ気なクソガキが、あの『死神』だってのかぁ?」
「半信半疑なのは俺もだ。お前の言い分も十分わかるが、この仕事には『もしも』なんてしょっちゅうだからね、念には念を……。殺る以上はガキでも容赦なしだ」
「……わぁってるよ。こんなうまい話、食い付かねぇ方がどうかしてるぜ! 殺るからには、本気で殺してやるよ」
この戦力を指揮する男の名はアルキス。見た目は二十代半ば程の好青年だが実齢は三十六の人間である。幼少期より、三十年以上も修羅場をくぐり抜けてきた、若くして認められる実力者だ。
アルキス自身に目立った戦闘力はない。だが一つの戦場において、彼以上に冷静で、頭のきれる者は存在しない、とさえ言われるほどの策士である。
彼のたてた作戦に隙はない。今回のような実力者が数人いれば、大手の企業を潰すくらいは楽に出来るだろう。
だがアルキスは油断しない。
(もし、彼が本物だとするなら……いくら実力者を揃えたとしても、……せめて百人は欲しいところだな)
『死神』の噂をかなり前、それこそこの島で有名になるずっと昔から、『死神』を知るアルキスも……まさか、自身よりも遥かに若い少年が『死神』だとは思わない。
だが繋がりはある可能性は否めないのだ。事実、『死神』を名乗る少年は『死神』から殺されてはいない。
もしも万が一に、あの少年が『死神』と親しい間柄なら、この戦場に出てくるかもしれない。
アルキスは揃った面子へと視線を向ける。
「ガキ一人なんて、ルーガスさんが出る必要もないですよ! なんならオレがソロで行っても余裕だぜ!」
「がっはっは! わかってんじゃねぇか!」
「早く殺してぇ……。誰でもいいから、殺してぇ」
「報酬入ったら何買おうかな〜」
「言い値って兆単位でもいいんだよな? 以来主はあの男だし」
「子供が『死神』とかウケるわ〜」
「ボクチン『死神』でちゅ〜ってか♪」
「うっは、似てる!」
傲慢、金欲、報復……ただ殺したいだけという者もいる。
子供一人を殺すだけの仕事など、彼らにとっては当然遊びでしかない。
その傲慢さが、アルキスの不安を駆り立てていた。
「おい、アルキス」
「……やぁ、ルーガス」
「何を心配してるか知らねえが、報酬の額の大きさにビビり過ぎだ。テメェの『もし』なんてのは単なる杞憂なんだよ」
ルーガスと呼ばれた男は、今回の仕事を豪胆に笑い飛ばす。
この同業者内でも一、二を争う実力者で、一人で数十人の傭兵を相手したという前科もある強者。
ルーガスは獣人種とドラゴンのハーフで、この世界では珍しい竜人種である。二メートルを越える体を覆うのは鉄壁の鱗。魔力の籠らぬ鉛玉程度なら、簡単に弾き飛ばすことが出来る。
人間の頭に悪魔のように生えた禍々しい巻角。太く長い鉄尾。隆起した筋肉。どれも他を遥かに越える。
ルーガスの二つ名は『破壊王』。彼の標的となった者は、原形を留める事なくグチャグチャの肉塊へとなる。
暴虐的な殺し屋で有名だ。
「わかってる。だが、『死神』が出てくる可能性もある」
「だったらどうした? オレは『死神』だろうが殺せる自信があるぜ? むしろ、アイツを殺した方が殺し屋としての格も上がるってもんだろ!」
「…………」
アルキスは思案する。
アルキスは臆病だ。この世界では臆病でなくてはならない。身の危険に敏感でなくてはならない。そうでなければ、すぐに殺される側になってしまうのだ。
傲慢な同業者の死を何度も見てきたアルキスだからこそ、慎重に慎重を重ねて生き残ってきた世界なのだ。
選択を間違えてはいけない。
「わかった。これから作戦を伝えるよ。まず隠密に優れたローグス、ヴェクター、一線は君達に任せる。後衛にハーネスとドルドスで援護を。殺れる瞬間に殺ってくれて構わない」
「イイッスよ」
「妥当だな」
「そんなにガチガチで行くのぉ〜」
「逃がす訳にもいかねえしな」
「それと、『もしも』の保険として、君達にはコレを持っていって貰う」
アルキスがポシェットから取り出したのは一つの巻物。
「コレは?」
「《崩壊魔術》の起動術式が綴ってある。……君達が万が一全滅した時、自動的に発動するようになってる」
「――っ! 《崩壊魔術》って、あの禁忌魔術のアレかっ!?」
「こんな物騒なもん、必要ないだろう!」
「大丈夫だよ。君達が死ななければ発動しないから……」
「……っ!」
ローグスが苛立たしげに、アルキスから巻物を引ったくる。
「それに、君達の死を無駄にしない為の巻物だ。君達を殺すほどの相手ともなれば、少なくとも『死神』の参加は確実だろう……。……まぁ、発動しないことを願うよ」
「保険、ね」
「あのガキの首を持って来りゃ、文句はねぇんだろ?」
「当然、ソレがベストだ」
最前線へ向かう四人を見送り、アルキスはいまだ消えぬ『嫌な予感』を拭えぬまま、次を考える。
『死神』でさえ殺す作戦を……。
◇◇◇
少女は強くならなければならない。
自身の力と向き合うために……。もう何も失わないために……強くなる必要があった。
「強さとはなんだ?」。少女よりも遥かに強い少年に問われた一つの命題。
その時答えられなかった少女は、ずっとその答えを自身に問い続けていた。
少女が少年に求めたもの。
それは恐らく、少女がずっと追い求めていたもので、きっとその少年しか持っていないもの。
少女は臆病だ。
大切なものを失った過去のトラウマから、いまだに抜け出せないでいる。
失うのは怖い。
「…………失いたく、ないから……」
だからリアーナは、耳を塞いだ。
必要な繋がり以外をすべて切り捨て、他人との関わりを極力減らした。大切なものを傷付けてしまわないために。
強すぎる力をちゃんと使いこなす。力に振り回されず、自分の意思で必要なだけ使う。リアーナにはソレが出来なかった。
結歌や志音のような絶対的な強者相手ならば、加減などせず全力でぶつかる事が出来る。傷付けたり、殺めてしまう心配はない。
だけど他の者すべてがそうとは限らない。また、過去を上書きするように……誰かを傷付けてしまうかもしれない。
リアーナの持つ力は、未熟なリアーナが使用するにはあまりに危険で、だからこそ使いこなせるだけ強くならなければならないのだ。
――《魔法》とは、使用者の精神状態に大きく影響を受ける。心の弱い者は《魔法》を暴走させてしまうケースも、少なくはない。
寝転がったベッドの上、自身の影に触れる。光の当たらぬ場所……言ってしまえば単純なものだが、自分と同じ動きをし、常に共にある。
そんな自身の分身。
「……アナタは、私なんでしょ?」
返事はない。
影は言葉を発さない。考えもしないし、自分で行動したりもしない。
……ずるい。
リアーナは望む。許されるなら、自分も影のように生きたいと。
考えることも、言うことも、聞くことも、感じることもなく、ただソコにあるだけの存在。そんな存在でいられたら……どれほど楽だろうか……。
自暴自棄になりかけた思考を振り払うように、自身の影へと潜り込む。リアーナにとっては自室よりも遥かに安らげる空間だ。
誰からの干渉も受けない、リアーナだけの場所。重力すら存在しない真っ黒なこの空間で、フワフワとただ漂う。
十二時をまわった深夜。不意に気になったのは志音のことだ。普通ならばもう寝ている可能性は高い。だがもしかすれば、まだ起きている可能性もある。
特に話したい事があるわけではない。ただ少し、声を聞くことが出来れば……安心できる。理由はわからない。
リアーナはその鋭敏過ぎる耳にかけた枷を少しだけ外し、外界の音へと耳を傾けた。
「にゃーん……」
一番最初に聞こえたのは、風に鳴る鈴の音と、聞き覚えのある猫の鳴き声。
影伝いに外へ出たリアーナを出迎えたのは、二つの鈴を首輪に付けた小さな白猫。
リアーナが志音と出会うキッカケとなったあの白猫だ。
「……私を、呼んだの?」
「にゃーん♪」
気持ち良さげにリアーナの足元へと擦り寄ってくる白猫。
「……そんなわけ、ないですよね……」
抱え上げ胸に抱くと、白猫はゴロゴロとノドを鳴らしながら、リアーナに擦り寄る。
一度の邂逅でそれなりになつかれてしまったらしい。
(先輩の猫ではないんですよね。……野良でも無さそうですし、飼い主と面識のある先輩に届けた方が、いいのでしょうか……)
無意識に志音と会う口実が出来たことに笑みを溢し、すぐ後には我に返り、羞恥心に頬を染めブンブンと頭を振る。
違う。
リアーナは志音に、「そんな感情」を抱いてはいない筈なのだ。リアーナは志音を、「嫌い」な筈なのだ。
神経質そうに見えて無神経で、言葉の揚げ足ばかりとり、息をするように嘘を吐く。まるで自分一人だけ別世界で生きているような態度で、輪の外から傍観しようとする。
リアーナはそんな志音が「嫌い」な筈なのだ。
自分も他人も否定するような態度が、気に食わない。……まるで自分を見ているようで……。
「にゃーお」
「……あっ」
少女の腕からスルリと抜け出した白猫は、そのまま森へと、危険区域へと入り込み……またコチラへと振り返る。
その瞳は妖しく光る。
「にゃー……」
「……そっちは危ないよ。行っちゃダメなの」
「にゃーお」
「…………」
「……にゃーお」
「……。ついて来いって……こと?」
「にゃん」
リアーナは耳を澄ませる。
森の奥は無音だ。虫の鳴き声一つない森はむしろ不気味で……、他と比べても十分異常だ。
だが、リアーナの耳は捉えた。
男子寮よりも遥かに奥の森。その奥の奥……、夜に響く筈のない異質な、切断音、破砕音、……そして、粘度を孕んだ水音……血が地面を叩く音。
……ゾクッ。
背筋を伝う悪寒。
リアーナは一歩後退ってしまう。咄嗟に両手で耳を塞ぐ。
(まだ、戻れる)
回れ右して女子寮へ、安全圏へと逃げてしまえば……。そのまま、すべてを忘れてしまえば……まだ戻る事が出来る。
リアーナは振り返る。
消灯時間を過ぎ、すべての生徒が眠りについた女子寮を見上げる。
(……戻ろう。私には、関係ない……)
自ら望んで死地へ赴く必要はないのだ。誰かが殺し合っていても、リアーナには関係ない。
リアーナは何も知らなかった。それでいいのだ。
他人の戦いに巻き込まれるのは、愚か者の選択だ。
「……なんじゃ、最近のわっぱは意気地のないのばかりじゃな……。不干渉を決め込めば自身は安全じゃとでも思っとるのかのー……」
「……っ!?」
「振り返らずともよい。ヌシはコレから帰るのであろう? 安全な部屋で、温かなベッドで寝るのじゃ……。そして明日に嘆くのじゃ……。失った後に、後悔する。それもまた一興か」
「…………どういう、意味です」
「ヌシの知るあの男は、あの場におると思うか? 殺める事に躊躇いのないあのわっぱが、アレに関わっておらぬと思うか?」
「……っ!?」
少女の声はなおも語る。
リアーナの危惧した可能性をなぞるように、無遠慮に捲し立てる。
「命の賭し合いじゃ……。明日あるかもわからぬ男を、ヌシは愚かに待つと……。よいよい。それもまた一興じゃ。一夜泣き腫らせば、どうせ奴も過去の人間じゃ……」
「…………何が、言いたいのですかっ!!!?」
憤り、勢いに任せ振り返る。
だがそこには誰もいない。声の主も、先程までいたはずの白猫さえ……。
幻聴と呼ぶにはあまりに鮮明で、だがどこまでもリアーナを見透かしたような言葉。
あの場所に志音がいる。
それは恐らく事実で、リアーナはそれに勘付いていた。
きっと志音は死地にいる。
「私が行ったところで、どうなると言うのですか……」
足手まといになる。
自身の実力をよく分析した結果の答えだ。それに、リアーナには志音を助ける理由がない。
数日ばかりの限定的な繋がりに命をかけられるか? 数日後には、赤の他人なのに……それでも命をかけられるか?
「…………」
「……行きたいのじゃろう?」
「っ!?」
耳元で囁かれる。
「無理に正当化する必要はない。汚れてしまえばよい……。ヌシがやりたいように……」
「……、私には、行く理由がありません……」
「……。青いの。理由がなければ動くことすらままならぬか……。ならば、ヌシはわしにそそのかされた。……騙され、利用され、止むおえず行く……。それでよかろう」
「……っ」
「理由ならくれてやったぞ? 何を突っ立っておる。あのわっぱを見殺しにするつもりか?」
もう、どうでもいい。
リアーナは走り出した。
そもそも、リアーナが強さを求めた理由は、失わないためだ。今が未熟だからといって、失ってもいいわけではない。
失いたくないから……。
たとえ足手まといになったとしても、リアーナは行かなければならない。
「……さて、投じたこの一石はどう化けるかの……。期待しておるぞ、……影」
白猫は笑う。
人を型どった白猫は踊る。期待に目を輝かせ、静かに暗躍する。




