五十一話
翌日にはヴァーミナスの体調も安定したらしく、既に病室でお仕事をされているそうです。本当は入院の必要もないほどなのでしょう。
大事をとって、今日は面会謝絶だそうです。誰にも、ではなく私を合わせたくないのでしょうけど……。
落ち込んでいるだけではいけないわ、お見舞いのカードとお花を送らなくては。決してあなたを害するつもりはなかった、と伝わるように。
自室で自習やカードを書いたりしていると、鏡台の飾りが何度か瞬きました。
「通信要請だったかしら……」
今は上手く笑える自信がありません。完璧な微笑みを確認してから、通信を繋ぎます。
「ご機嫌よう、アンヌ」
「お母様、ご機嫌よう。お忙しいお母様が連絡をくださるなんて、とても嬉しいですわ」
「あらあら、母親を口説いてどうするつもりかしら?」
「それでは結婚のお許しをいただくのはいかが?」
変わらないお母様と会話のテンポに慰められますわ。
「そんなに安くはありませんよ。さあ、今日は他でもなくあなたに廃城の無断使用について罰を言い渡しに来ました」
そうでしたわ、用事が重なって失念していました。自分から言い出したことですのに、まだまだ詰めが甘いわ。
「覚悟はできております」
「あなたに二週間の自宅謹慎を命じます、ロナウドはあなたに帰って来て欲しいのですって」
「まあ、みんなと過ごせるだなんて素敵な罰ですわ。いつからか決まっていますの?」
「そうね、あまり遅いと和平会談に障りますし……明日か明後日、今日にでも帰って来て良いのよ?」
「畏まりました。それでは、謹慎の準備ができましたらまたお手紙を鏡の前に置きますわね」
「ええ、私も楽しみに待っているわ。あなたにとっても、良い説得のチャンスでしょう。またね」
よりにもよってこのタイミングで、実家に帰る……毒殺に失敗して追及から逃げると言われても仕方ない身の振り方ですわね。
しかし帰らない訳にも行きません。事情を説明して急いで支度をしなければ。
「アンヌ様、失礼致します」
「ああレプケ、ちょうど良かったわ。あなたの用は何かしら?」
「本日の講義ができなかったので、もし良ければ今から如何でしょうかとご提案に参りました」
レプケの予定が変わってしまったのも私のせいですわ。申し訳ないのですけれど、ありがたくその提案を受け入れます。
「とてもありがたいわ、ぜひお願い。マスユ、私が講義を受けている間に私とあなたの二週間分の荷造りをしてちょうだい、それと地上用に各地の名産品も用意して。量も種類も問いませんわ」
「畏まりました」
「はて、地上に向かうご予定はまだ先のはずでは?」
「そうなのですけれど、実家からのお達しで里帰りをしなければならないのです」
「それは大変でございます! 魔王様には?」
「明日、お見舞いの時に伝えますわ。私の予定も大幅に変更しないといけませんし、レプケには迷惑をかけ通しね。和平会談が落ち着いたら、特別なお休みを設けさせますから許してね」
「いえいえ、そのようなお気遣いは無用です。まお……ゲフンッ以前に比べたらこれでも格段に良い扱いになっておりますので、これ以上の我が侭は申せません」
「レプケはあんなに理不尽な命令や暴言を吐かれているのに、それでも良いと言うのですか?」
「ええ、昔よりは……こき使われるのも私の性に合っているのでしょう。んんっ、あまり話し込んでは講義の時間が減ってしまいますな」
きっと昔のことを思い出したくないのね。いつもの学習室に移ってからも何となく上の空でしたし、ヴァーミナスが見いだす前のレプケはよほど良くない環境で暮らしていたのでしょうか?
「ふむ、大変結構です。アンヌ様の予習復習の甲斐もあり、駆け足ではありましたがこれで私の講義は終わりとさせていただきます」
「まあ、私は未熟者ですわ。レプケに教わりたいことはまだまだありますのよ」
講義の終わりのテストを採点したレプケは、私がディマ貴族として充分な教養を持っていると太鼓判を押してくれました。
「ですが目標としていた、こちらの高等教育レベルはすべて修められました。これからは講義の内容を、最新の研究や和平に向けたものに変更して時間も短くして良いでしょう」
「そんなに進んでいましたのね。ではお礼に今度は私が地上の魔法を教えますわ」
「ヒエーっ?! そ、それは社交事例という奴では?」
「まさか。一度約束したことですもの、このアントワーヌが違える訳はありません」
でも以前には、私がでしゃばったせいでご迷惑をおかけしてしまいそうになりましたし……もしかして迷惑なのかしら?
「いやしかし、地上の魔法を研究できる、だが命は惜しい……」
「その、もしご迷惑でしたら……」
「いえ! 大変に貴重な機会、ぜひともよろしくお願いします!」
「決まりですわね。地上に行く前に講義が一段落したのは良かったですわ」
「ハイ……私はこれで失礼致します」
「次に会う時には、地上のお土産をプレゼントしますわ」
部屋に戻ると、広い空間に山のように積み上げられた品々がありました。
「狭くなってしまい申し訳ありません。万が一、アンヌ様がご存知ない品物があってはいけないと思い、現物をお持ちしました」
「そうだったの、気が利くわね。確認するから、お茶をお願い」
「畏まりました」
浮遊を使って、リストの順番通りに特産品を確認します。時折マスユが補足や注意点を説明してくれるので、これも勉強になりました。
種類、量を問わずにと言っただけあって、食べ物や武器、反物など様々な物が集まっています。あら、これはあの国なら喜ばれそうね……このお菓子は、社交界で流行りそうだわ。
「こんなに短い時間でよく揃えてくれたわね。あなたに任せて良かったわ」
「ありがとうございます。ご期待に添えたようで嬉しく思います」
頬を緩ませてはいないけれど、そんな雰囲気を出すマスユに労いの言葉をかけます。
「ええ、あなたなら実家に帰っても心配しないでいられるわ。よろしくね」
「は、はい! 過分なお言葉をいただき、大変光栄です」
「ふふ、マスユったらいつになれば誉め言葉に慣れてくださるの? そんなに畏まると疲れますでしょ、知らない仲でもないのですから、もっと気を楽にして」
「はい、あまりに、アンヌ様が目をかけてくださるので……思い上がらないように、粗相をしないようにと……お気遣いくださり、ありがとうございます」
「まあ、そんな風に思ってたの。確かに慣れが悪い方に向かうことはありますけど、そこにさえ気をつけてくれたなら、もっと気安く過ごしてくれた方が嬉しいわ」
「はい、アンヌ様の優しさに甘えさせていただきます」
柔和な雰囲気の最後に、唇の端を持ち上げて笑ったマスユに、私は驚きつつ笑みを返しました。
「それじゃあ、このお土産は品質が落ちないように保管して置いて。明日地上に向かう際に持って行くから、お願いね」
「畏まりました」
マスユが取り扱いに注意しながら特産品を片づけるのを横目に、私はヴァーミナスへの説明とお見舞いを考えて休みました。
一晩立つと、お花を用意させて先触れを出し、勇気を振り絞って病院へと赴きました。
「アンヌですわ、ヴァーミナス。ご機嫌いかが?」
病室のドアをノックすると、間髪入れずに開きます。
「よく来たな、入って寛いでくれ」
「失礼します」
肩に手を置かれながら案内された椅子に座ると、ヴァーミナスはこちらを向いてベッドに座りました。
「お元気そうで良かったですわ」
「我はなんともない、あ奴らが騒ぎ過ぎなのだ」
「そんなことないわ。本当に、あなたを辛い目に遭わせてしまって……ごめんなさい、ヴァンス」
「良い。こうして見舞いにも来てくれているではないか。それだけで充分だ」
良かった……嫌われてはいないみたい。安心して、思わず大きく息を吐き出しました。
「けれど、このままでは申し訳が立ちません。何か償いを……」
『させてくださいませ』という言葉は、唇に触れたヴァーミナスの指先に封じられてしまいました。
「償いなど必要ない。これは我の過失でもある、そなたを煩わせたな」
「そんな!」
反論しようとして、抱きしめられます。簡易椅子が引きずられて音を立てました。
こんな、こんなの手慣れた放蕩者みたいですわ。何も言えなくなってしまう。
「そなたは悪くない。いいな? これ以上否は言わせないぞ?」
「っどうしてもそう仰るのでしたら、よろしいわ。これ以上は言いません」
「良い子だ、アンヌ」
あやされる子供のように口づけをされて、不満を飲み込みました。
「それでヴァーミナス、実は大切な報告がありますの。今日の午後から、地上に帰らなければいけませんのよ」
「誰に言われた?」
鋭い視線。咄嗟に答えが口をつきます。
「母からですわ、廃城の無断使用の罰で……お父様がお決めになったそうです」
「ああ、そういう話だったな。では致し方ない。期間はどの程度だ?」
「二週間ほどを予定しています。余裕を持って、会談の前には帰って来るつもりですわ」
「そうか。もう準備はさせたか? 使用人は何人連れて行く?」
「準備は万端です、使用人はマスユ一人にお願いしました」
こうやって話す時、さり気なく手を撫でて、興味深そうに相づちを打ってくれるのが、嬉しくてたまらない。……でも、もう誤魔化されたりしないわ。
「……そうか。一人で大丈夫なのか? あちらには外聞というのがあるのだろう?」
「問題ありません。マスユは素晴らしいメイドですし、人数ばかり揃えても裏目に出るでしょう。文化の違いもありますし、問題が起きやすくなってしまうわ」
「それもそうか、全てそなたに任せる。しかし、二週間も会えないのだな」
「ええ。少し……寂しいですけれど、お手紙を書いてくださいな。私も必ず書きますから」
「もちろんだ、我が寂しさのあまり暴れないように、慰めて欲しい」
「あら、それでは子犬みたいですわ。今の内にたくさん撫でてあげないとダメかしら?」
ヴァーミナスの鮮血を思わせる赤い髪を軽い手つきで撫でると、ごくりと音が鳴りました。はっと息を飲み、手を引っ込めます。髪を撫でるのは求愛や親密な行為の合図でしたわ。
「どうした?」
欲望を瞳に宿して妖しく笑うヴァーミナスに、ぎこちなく返事をして体を離しました。
「ごめんなさい、ヴァーミナスはまだ病み上がりでしたわね。その、軽率なことをしましたわ」
「おや? つまりお預けということか。帰って来てから、ゆっくり二人だけで……?」
「ヴァーミナス、私が悪かったですわ。謹んでください」
「ご主人様の命令だからな、仕方ない。ご褒美が貰えるまで我慢するとしよう」
「ぅんもう、違うと言っていますのに」
からかい続けるヴァーミナスに文句を言うと、悪戯するような表情で頬に手を添えられました。
「可愛くてたまらん。そろそろ止めて置こう」
捕食動物が獲物を見つけたような、乱暴な光が瞳の奥から私を捉えました。殺気にも似たそれに、私は身を庇ってしまいます。
「で、では私は失礼します。夕方から地上のムッカナンに行く予定ですわ」
「うむ、家族団欒……だったか? 楽しんで来ると良い」
「ありがとうございます。またね、ヴァーミナス」
「またな、アンヌ。早く帰って来てくれ」
「たったの二週間ですから、あっという間ですわよ」
病室のドアを閉めると、火照る頬を冷ましながら立ち去りました。
転移の許可はあるので本当なら城まで一瞬ですけれど、こんな顔は誰にも見せられません。一人で頭を冷やさなければ。




