二十九話
気を取り直して笑顔になると、ヴァーミナスから飲み物のグラスを受け取りました。
そして手を振ってくださったルビー様の下へ、ヴァーミナスと腕を組んで歩いて行きます。
「本当に悪かったね。アンヌ様があたしを探してるって聞いてすぐ来たんだけど、あたしは人に化けるのが苦手で……何か変なことされなかったかい?」
「変なことは何もされていませんわ。初会の試しをして、親愛の挨拶をしてしまったくらいで……殆ど私が話していましたし」
「魔王閣下、よろしいでしょうか?」
「何の話だ」
ヴァーミナスは臣の一人に話しかけられ、そちらに向かって話始めました。何だか怖いお顔だわ……お仕事で問題があったのかしら?
「そうか、だったらいいんだけど、もうあの男女に話しかけられてもほいほいついてっちゃダメだよ?」
「ええ、決して二人きりになったりしませんわ」
「それじゃ足りない! ディモルト様も同意してくださると思うけど、他族の目くらい――正妻の目さえ気にしないでフレンチキスするような奴なんだから!」
「わかりましたわ! 半径三メートル以内には近寄らせません!」
「ああ、そのくらいするべきだね」
なんてお方なの……いい方なのに間違いは無いのでしょうけれど、そんな方と仲良くしては私の貞節や人格まで疑われかねませんわ。要注意魔族ですわね。
「もうあの方の話は止しましょう。今夜は来てくださって感謝致します。特別お美しく装っていらっしゃいますのね、ルビー様?」
初めてお会いした時とは違い、ルビー様も人の姿に変身なさっていました。でもお肌の色は緑のまま。あまり得意ではない、と仰ったのは事実のようですわ。
黒いスパンコールビーズのドレスは裾を千切ったように繕ってあり、ルビー様の雰囲気にぴったりと合っています。身長が縮んでいますのに、まだ見上げないと目を合わせて話せません。ヴァーミナスより少し低いくらいかしら?
髪は両側のこめかみで留めただけの、実力に相応しい形ですわね。履物は赤いオープントゥヒール。髪留めと同じ宝石が三つ付いているのが、とてもゴージャスですわ。
「おや、ありがとうアンヌ様。こっちこそ招いてもらえて嬉しいよ。遅刻しちまったけど……でも装いってんなら、アンヌ様には勝てないね。本当に伝説に残る王妃様みたいだ」
「そう、最近知りましたのよ、そのお話。興味深いですわよね、魔族をお救いになったという……」
ディモルトに古く残る伝説で、魔族と人間が大昔に交戦状態に陥った時、地下にディモルト界を作り出し、その後忽然と姿を消した王妃……そんなお話があるのだそうです。
人間の世界ならお伽話ですけれど、そこはディマ国。魔力映写器により色までついてそのお姿を今も見ることができるのです。
その方の御髪が紫紺の髪で、この話を聞いて育ったディマにしてみれば、出会ったばかりの私に敬意を払う立派な理由になっていたのです。道理で……ヴァーミナスの言った特に高貴な色、というのは紛れもない事実だったのですわ。
「うんうん、そのまま花嫁にだってなれるよ。足のレースがめちゃくちゃイカしてるね! ジェリアータも相変わらず良くやるよ」
「は、花嫁に……ルビー様はジェリーをご存知ですの?」
地上では深紅の花嫁なんてありえませんけれど……ええ、こちらならあり得ますわ。赤はお祝い事の色ですから、もしかしたら定番なのかもしれませんわね。
「知ってるも何もねぇ、昔っからの付き合いよ。実力はあるのに爵位を持つと義務が発生するから、って服飾に命賭けてる奴だから」
意外でもなんでもありませんわね。それにしても、そういった理由で爵位を持たない方も居るんですのね。爵位……そうですわ!
「そうでした! 私、ルビー様に二、三お訊ねしたいことがありますの」
「ああ、いいよ。なんでも訊いて。答えられるかわからないけど」
「難しいことではありませんわ、私ったら勉強にばかりかまけてしまって、社交を疎かにしていましたの。こちらにはお茶会もありませんし、皆様はどうやって昼間の社交をなさっているのかしら? と思いましたの」
「昼間の社交~? そんなの考えたこともなかったね。友達に会いたきゃ、連絡して好きに会ってるよ。貴族とか市民とか関係なく」
やはりそうなんですのね……では私が人間の文化を知っていただくために、大使としてお茶会を開いて、皆様にご紹介しようかしら。
「わかりました、ありがとうございます。お礼と言ってはおかしいかもしれませんが、今度私がディモルト城でお茶会を開きますので、よければルビー様もいらしてくださりませんか? メッセージカードはどちらに差し上げましょう?」
「へえ! お茶会ってのに呼んでくれるのかい? 嬉しいね、あたしの家なら~――あった。この場所に手紙ちょうだい。鏡の前に、それ用の箱が置いてあるから」
「ありがとうございます。鏡の前……というのは、従者にそう言えば大丈夫、という意味でよろしいのかしら?」
受け取った魔力紙には、街の名前とお屋敷の場所がわかりやすく記されていました。今までは社交を意識せず行っていただけなのでしょう、これは完全な社交の必需品ですわ。
「違う違う、アンヌ様はまだ使ったことないのかな? 鏡台には通信できる、装置? が入ってて、遠くの家の鏡に直接繋がるのさ」
「あ、もしかして遠見の鏡ですの?!」
「そーそー、それよ。鏡は魔力のない物なら通り抜けられるから、道具を使って向こう側に手紙を差し入れるんだ。そうして置けば同じ時間に鏡台の前に座ったり、待ち合わせも簡単にできるってもんさ!」
「なるほどですわ! そんな素晴らしい仕掛けがあるだなんて、今まで知りませんでした。本当にありがとうございます! きっとお手紙を差し上げますわ。ルビー様のご予定に合わせますので、変更などは遠慮なく仰ってくださいませ」
「わかった。アンヌ様のお部屋ならたぶんわかるから、こっちの場所は大丈夫。この城には鏡も沢山あるからね」
そうですわね……ヴァーミナスのお使いになっている鏡も、とても大きなものでしたし。多分機密のために鏡専用のお部屋になっているのですわね。向こうから見られて困る物は、部屋に置かない方がよさそうですわ。
……もしかしたら地上とも繋がるのかしら? 機会を作って確かめなくては。
「お手数おかけしますわ、あらいけない。こんなに長くルビー様を拘束しては、他の方に嫉妬されてしまいますわよね? もう質問は終わりですわ。踊られてはいかが? ほら、殿方がこちらを見ていますし」
「ん、ああそうだねぇ。あれはアンヌ様を見てるんだと思うけど、直にジュリアナタイムだから、そうしたら参戦してくるよ」
「まあ、ダナゴ公爵はまだ未婚でいらっしゃったのですね。やはり公爵様に釣り合う方は、そうは居ないのですか?」
こちらの文化には既婚者が指輪を着ける習慣はないのだそうで、どこかを見れば判別できる訳ではありません。お体が様々なので、これは致し方ない気もしますわね。
「それもあるけど、あたしは今片思い中! 狙ってる男が今夜は来てるから、精一杯アピールしてくるよ!」
「まあ、それは素敵ですわ! 陰ながら応援していますわね」
「ありがとアンヌ様。またね!」
「ええ、またお会いしましょう」
ルビー様をお見送りすると、ヴァーミナスはまだ部下の方とお話していました。私たちより長いお話なんて変ですわね。よほどの用件なのでしょうか?
「アンヌ、済まないが我は席を外さざるを得なくなった。もう出て来ないとは思うが、害虫に纏わりつかれないように、この男か友人と常に一緒に居て欲しい」
「まあ、こんな時にお仕事だなんて、もしかして地上で何かありましたの?」
「それを確かめて来る。今夜は戻れないかもしれないので、そなたは気にしないで休むと良い」
確かめて……もし勇者絡みだったら……いいえ、私の与り知らぬところで死んでさえいなければ良いのですけれど。
……大丈夫、衰弱はまだ効いています。でも、死んではいなくても気になりますわね。
「わかりました。勇者のことでしたら、私にも知らせてくださいますわね? 大事でないことを祈っておりますわ」
「ああ、行ってくる」
ヴァーミナスが居なくなってからも舞踏会は進行して行き、ジュリアナタイムではもちろんルビー様が一番の花でしたわ。今夜はハプニングもありましたけれど、魔族の方々の話題に繰り返し上るような夜会になったと言えるでしょう。
部下の方と幾人かのご友人とも踊りましたし、誤解のないようにヴァーミナス一筋と言っておきましたから、後はおかしな噂にならないことを祈るばかり……ですわね。
男女という単語は、ディマ国では両性の個人を差した使い方をしています。
ニュアンスとしては、「あの男が言うには」や「この女のしたことは」という物と同一です。