十九話
それは平べったい物体でした。御者台もなく、屋根もなく。逆に御者台と思しきヴァーミナスの座る前には、ガラスのような物が取り付けられていました。何ですの、この危なそうな乗り物は……。
「アンヌ、何をしているのだ? ……そうか。魔車を見たのは初めてか」
あら、ヴァーミナスの髪が黒に変わってることに今気づきましたわ。魔力器官である額の深紅は流石に色を変えられなくても、ちゃんと配慮なさってるのね。服も黒。とても上等な仕立てのスーツで、好感が持てますわ。
「初めてというか……本当に、そんな物が進むんですの?」
「ああ、馬車よりずっと速いぞ」
ブルル……と聞こえて来るのは、馬などの鳴き声や鼻息ではありません。後ろに伸びる筒から何かを排出しているようですわね。生き物の姿が見えないので、別の物をエネルギーにして走るのでしょうか?
全体が振動しながら、その金属光沢を放っている青い胴体部分は……ええ、もうお分かりだと思いますけれど、魔族は光沢のある物が大好きなんですの。太陽が無い分、色んな物を光らせたがるのでしょうね。
話を戻して、胴体部分には一応馬車と同じく扉があります。ただ、屋根がないために腰辺りまでしかありませんわ。
「どうやって乗るんですの?」
ノブのようなものが見当たらず、ノブがあるべき場所に少しへこんだ部分が見えます。これがとってかしら?
「その後ろの席ではなく、私の右隣の席に乗るのだ」
「普通、馬車では御者台の横に乗るのは道を教える使用人か付き添いの侍女ですわ」
「魔車では違うのだ。むしろ、伴侶のそなたにしか許されない席で……いいから、一度乗ってみたらわかるだろう」
ヴァーミナスが苛立ち始めたのはわかりますけれど、こんな怪しい物体が走るだなんて……ちょっと信じられませんわ。
「そ、それに屋根がないのでは髪のセットが崩れますわ。風でめちゃくちゃになってしまうでしょう?」
「それも問題ない。口で説明するより走ってみた方が早いだろう?」
郷にいっては郷に従え。ディモルト界にいってはディモルト界の習いに従うと決めたではないですか、私!
「わかりましたわ……ひゃふぁっ?!」
意を決して、ヴァーミナスの右隣の席の扉を開けようと近づくと……か、勝手に扉が開いた?!
落ち着きなさい私。これは魔法ですわ。あの大広間の扉を開けるのに比べたら、この程度のことは小指を動かすより簡単なはず。というかマナーだと習ったではありませんか。得体の知れない魔車に、動揺しすぎてますわね……違います! 少し警戒しているだけですわ。
「済まない、声をかけるべきだった。またそなたを驚かせてしまったな」
「い、いえ。次から注意してくだされば結構よ。それでは失礼して……」
乗り込んだ座席のクッション部分には、革が張ってありました。綿が詰めてあるのか、木の御者台よりはよっぽど居心地が良さそうですわ。
「扉を閉めるぞ」
「ええ」
ヴァーミナスの前には、まるで船の舵のような物が付いていました。舵……ということは、運転をヴァーミナスが?! 御者台部分には座っていましたけれど、後ろの席で誰かが操作するのかと思いましたわ。
「出発しても構わないか?」
「構いませんけれど、もしやあなたが直接操縦なさるの?」
「そうだ。この魔車は最低でも子爵クラスの魔力がなければ動かせないからな」
そんなに魔力が必要なのに何故、転移なさらないのかしら? 従者たちがいないのも気になりますわね。
「なるほど……他の皆は乗らないんですの?」
「使用人たちならば、先行しているはずだ。この魔車にかなう速度の移動手段は転移しかない」
「では転移なさってはいかが?」
私はいつも外出となると転移を使っていたので、魔車と聞くまでは今回も転移魔法で移動するものと思っていましたわ。
旅の間には馬や荷馬車に乗っていましたので、私はちゃんと馬車も御せますのよ?
「皆が転移を使うから、やむを得ないのだ。事故の元になる為、人口の多い街での転移は法律で禁じている。禁止区域の前まで転移して歩くくらいなら、最初から魔車の方が速い……理解して頂けたか?」
なるほど……誰でも転移できるのであれば、確かに事故の元ですわ。城でも一部で禁じられていますし、ディマ国ならではの法律ですわね。なんてこと、法律の勉強を後回しにしていたなんて失態ですわ。自習の時間を増やすべきかしら。
けれど学ぶべきことがたくさんあり過ぎますのよね。魔法、言語、歴史、文化……レプケが優先度の高いものから教えてくださってますけれど、貴族社会についてなどは殆ど実地で教えていただいて、座学は後回しになっていますし……毎日やりたいことが増えて行って悩みますわ。
勉強だけでも時間が足りていませんのに、本来ならば社交もこなす必要がありますし……今は最低限の夜会のみ出席していますから、こんなことでは国民に大使として妃として認められませんわ。レプケに相談して時間割を組んだ方が効率が上がるかしら。
「ええ、とても納得できましたわ。煩くしてごめんなさい、ヴァーミナス。それでは出発なさって? しばらく黙っておきますから」
ヴァーミナスは魔車のスイッチを動かすと、舵を切りました。う、動きますのね……この重そうな金属が。魔力だからこそでしょうけれど、こんな力にもなるんですのね……。
「疑問があるのを解消するな、とは誰も言わぬ。むしろ訊いて欲しいくらいだから、構わず何でも訊くが良い」
「お優しい方ですのね。ではお言葉に甘えて。何故このガラスだけで風が全く来ないんですの?」
男性は女性のおしゃべりを煩わしく思うものだと聞いていましたけれど、ヴァンスは質問ではそう思わないようですわ。ディモルト界への理解を深めるためだからでしょうね。
「これはガラスではなく、プラトドラゴンの爪の一部を透明に加工した物だ。この下に魔道具が仕込んであって、魔力を通すと風を相殺する仕組みだ」
「では、やはり魔力で走るんですのよね?」
「その通りだ。速度を上げるぞ?」
「ええ、よろしくてよ」
ヴァーミナスが足下で何かを踏んだ? ようですわね。すると、激しい揺れもなく徐々に速度が速くなっていきます……。
「――馬車よりずっと快適ですわ」
「それは良かった。二十分ほどで病院に着く、それまで景色を楽しむと良い。ずっと城下町を見たいと言っていただろう?」
「そうですわね! 魔車も素晴らしいですけれど、初めて外出した訳ですし、せっかくですからディマ国の景色を見なければ」
ヴァーミナスの方を向いていた顔を右に、街の方へ向けると――街?!
「これが、街、ですの……」
もはや訳がわからなさ過ぎて、どこから質問すればいいのやら……悩みます
わ。
「我も地上の街を見た時に同じように感じた」
先ず、通りが異様に広いですわ。大通り? 広場? 長いので通り……のような気がしますけれど、地上なら完全に広場ですわ。
そして色。鮮やかで光沢のある色の洪水……道行く魔族はもちろん、建物もすべてカラフルに彩色されています。
忘れてはいけないのが空。城の最上部より少し低い高さまで建物や看板があって、地面と繋がっている物もあり浮いている物もあり。羽ばたく魔族が我先にと飛び交うその様子に、だんだん目眩がして来ましてよ。
「城からは城下町がぼんやりとしか見えませんでしたわね……」
「半透明の防護障壁を張っているからな、間者に入られてはかなわない」
透明になったり蝿に変身するなんて造作もない魔族だらけなのですから、当然ですわ……それにしても。
「派手ですわね……」
「地上が地味過ぎるのではないか? あんなにごみごみしていて、よく気が滅入らないものだ」
「ディモルト界ほどに魔力も使えない地上では、あれでも頑張って発展したのですわよ……自由な空気がありますわね、この街には」
来た時に考えた、文明が発展していないという印象を完全に捨て去りました。間違いなく、人間界よりも発展していますわ。
「そうだな、自由とは強さだ。ここでは強くなればより自由に生きられる。金も恋も名誉も」
「そのすべての頂点があなた、ヴァーミナスなんですのね?」
「気持ちばかりは……どうにも難しいがな」
気持ち……確かに気持ちの自由というのは難しいですわよね。
「仕方ありませんわ。私の髪のように、生まれ持った定めというのがありますから」
「ああ……褒められて嬉しいぞ。もしや、卑下する意味で使ってはいないな?」
「ま、まさか。あなたに褒めていただいた髪を卑下する意味で引き合いに出したりしませんわ」
図星ですわ……これからは気をつけなければ、ヴァーミナスを不愉快にさせてしまいますわね。体を外に向けて街に夢中になっているふりをして、別の話題を探します。
「ならば良いのだが。アンヌはまだ一人になると髪を纏めてしまうとマスユに聞いたぞ」
ギクリ! 痛いところを突かれましたわ。皆に励ましていただいたおかげか、不安はだいぶ薄くなったのですけれど。
「ぶ、文化の違いですから。ほら、前よりずっと下ろしてますでしょう?」
笑いかけようと振り向いて……金の目がすぐそばで、私を見つめていました。
「そうだな、偉いぞ。もっと見せびらかすべきだが」
囁く低い声が耳元で聞こえ、驚きの声を出さないように口を閉じました。髪を一房取られ、唇に寄せられて……――ハッ!
「前! ちゃんと見なければ危ないですわ、ヴァーミナス」
注意を促せば、すぐに前方に向き直りました。ふらついたので心配になりましたわ、何もなくて良かった。
「済まなかった、次は部屋で二人きりの時にしよう」
「そういう問題ではありませんわ。それに、あなたとはまだ婚約期間なのですから慎みを持ちませんと」
もう、突然あんなに近寄られては驚きますでしょう? またおかしな声が出かけましたわ。抑えるので精一杯。それに髪にキスなさるなんて……ちょっと恥ずかしいですわ。
「ふぅ……そなたはどんな男が好きなのだ?」
ため息だなんて珍しい。もしや私と性交渉したいのでしょうか? それで殿方が不機嫌になられることがよくある、と聞きますし。
「殿方の好み、ですの? そうですわね。思いやりのある、辛い気持ちの人に寄り添える人……でしょうか? 立場や装いを抜きにすれば、一番大切なことだと思いますわ」
レプケにもこの前憧れのシーンは? なんて質問をされましたし、これだけ魅力と感じる部分の違う文化ですから、やはりヴァーミナスも興味がありますのね。
「思いやりか、わかった。認めてもらえるように努力しよう」
「あら、ヴァーミナスに努力なんて必要ありませんわ。あなたは充分に思いやりのある、好ましい殿方ですもの」
また私を正面に見ます。
「危ないですわ、前を見て!」
「あ、ああ。わかった。もう着くぞ、あの建物だ」
指の先を見ると、そこには病院とはとても思えない、二色のピンクに塗り分けられた二棟の四角い建物が建っていました……うーん、ピンク……可愛いですけ、いいえ文化よ、これは文化。あのマークは薬草かしら? 後で調べてみましょう。
「否定ではなく受け入れることから、ですものね」
「その息だ」
ヴァーミナスに手を貸していただいて魔車から降りると、城で見る使用人と医者らしき方が玄関の前にズラリと並んでいました。
現実に患者の方とお会いして見ると、雨の悲惨さは凄まじく……魔族たちの体だけでなく、心にも大きな傷を残したのだと心から理解できました。
雨が当たって焼けただれた皮膚。魔力を吸収し過ぎたために肥大した手や足……私で何かお力になれないかしら?
「病院の建物は雨を通さない金属でできており、魔法では治療不可能の為、患者の方々は薬草を主に使用して治療されています」
「薬草を? まあ。でしたら私が、新しい魔法薬を開発致しますわ!」
レプケの説明に私は光明を得ました。勇者たちと共にした旅の間は、回復や解毒はスターシアの魔法と売られている薬で充分だったので、魔法薬を作ったのは……あの一度きりでしたわね。
砕けた瓶と一緒に、あの男への憧れめいた感情は砕け散りました。フ……勇者を毒殺してやるのも一興ですかしら。
「あ、アンヌ様は魔法薬をお作りになるので?」
レプケの問いに頷きました。私は公爵令嬢にして魔法使い、そして魔法薬の調合師でもあるのです。ドルツストイアの家に生を受けた以上、このくらいのことは基本として修めているものです。
「ええ、お母様が素晴らしい薬師ですので、教えていただきました。私は魔法薬しか作れないのですけれど……ディマの薬はすべて魔法薬に当たりますわよね?」
ヴァーミナスに訊ねれば、「その通りだ」と肯定していただきました。
魔法薬の定義は、薬草と魔力を含む素材を魔力により練り上げて作った薬。液状、軟膏、粉状、シップ薬など様々に加工しても魔法薬と呼びますの。
ディモルト界の薬草はすべて魔力を含んでいますので、魔法薬にしかならないはずですわ。魔力が混じると、途端に通常の方法では薬にならなくなるらしいのです(試したことはありません)。
「でしたらこれから薬草の勉強をして、魔族の方々に効果のあるお薬を調合しますわ。よろしくて?」
「そなたの優しさに否と言う者は居ない。皆、喜んでアンヌの薬を試してくれるだろう」
「ま、まあ。試作品をこちらの方々にお渡ししたりしませんわ。完成品をお持ちしますから、安心なさってくださいね」
魔王の立場にある方が、傷ついた国民を実験台のように仰るなんて軽率ですわ。誤解されてからでは遅いのですから、後で注意しなければ。
「アントワーヌ様……なんてお優しい……」
「これからはあなた方も私の守るべき民たちとなるのですから、当然ですわ。私にできることがあって嬉しいくらいですのよ。それまで、どうかご自愛なさってくださいませ」
感激なさっている魔族の方に労りの言葉をおかけして、新薬作成のお約束を交わしました。
「それではアンヌ様、これから病院の食事の時間となりますので、お名残惜しいかと思われますが……」
「わかりましたわ。それでは皆様方、きっと私が新たなお薬を作り上げますので、待っていてくださいましね」
「ええ、ぜひともお待ちしています」
患者の中で人の言葉が話せる方は少ないようで、私は数人の方としかお話できず帰ることになりました。早く会話できるようになりませんと、民からの信頼は得られませんわよね。やはり自習の勉強を増やしましょう!
「疲れては居ないか、アンヌ? 街で休憩などしてから帰ろうか?」
「ご親切にありがとう、ヴァンス。でもさっそく帰って薬草の勉強をしたい心持ちなんですの。早く帰りましょう?」
「ではそうしよう」
帰り道では行きと違う道を通って、私に街をよく見せてくださいました。実際に見るのが一番早く学べますから、本当にありがたいことですわね。
薬草と法律の勉強を新しく追加してもらって、自習の時間にマスユと言語を重点的に学びましょう。お散歩の時間は減らして、お茶の時間は短く。そこまですれば一応様になると思うのですが……復讐と大使と婚約者を同時にこなすのはなかなか難しいですわ。
魔車=オープンカー。だってボディコンといえばry…
誤字修正しました。今まで読みにくいとお感じになられた方、申し訳ないです。
ヴァ「『なのなのだが』はないだろう」
ごもっともです魔王様。
ア「可愛らしいですわね」
喜んでる…むしろ抑えてるから無愛想になってるんだね…。
頻繁に節穴になる目ですので、もし誤りを発見した場合はコメント頂けると助かります!




