変心(スピリューション)・覚醒(ウェイクアップチェイサー)
「無事かっ!!どこが痛い!?意識はあるか!?目を開けろ!!」
強化壁に大きな亀裂を入れてしまうほど強く叩きつけられ、床に膝から崩れ落ちた影武者♂を見た瞬間、血相を変えて駆け寄ったティーダ王子は緊迫した声で呼びかける。
「ええっ、大事ありませんわ…」
強化壁が自己修復を始めると同時に身を起こす影武者。
受け身はとった、けどものすごく痛い。背中の数か所打撲したかもしれない。
どよめきが、怯える声が、悲鳴が、恐怖の感情が連鎖となって人から人へ飛び移っていく。
ありえないことが起きた。
さっきまで見目麗しかったカワイ子ちゃんが怪物に変わってしまった!!
嘘だろマジか!!あの感じだと恐らく本人の意思じゃない。明らかに誰かからの干渉によるものだ。なんだ?遠隔で活性化するクリーチャー化ウィルスでも仕込んでたのか!?畜生この人でなし!!
「キュゥ━━━━━━━━━━━━━━━ンッ!!!!!」
………クソ。
影武者♂が見つめる先には仄暗い泥濘で踊るように、濡れた漆黒、赤黒いドレスが吸い付くような肉体の輪郭を容赦なく描き出す。
溢れ出る「泥濘」の触球は、彼女のしなやかな肢体を這い回り、まるで肌そのものが怪しく発光しているかのような生々しい艶を放っている。美しさと悶々しさが同居するその立ち姿は、見る者を死へと誘う、妖艶で退廃的な人魚のようだ。
肌を締め付けるボンテージを思わせる帯が、豊満な胸元とくびれた腰の曲線をこれでもかと強調し、倒錯的な色香を放つ。
濡れて乱れた長い髪の隙間から覗く、赤黒くも生々しい肌。その絶対的な美しさに、恐怖を忘れて目を奪われる。
───恋愛を司る超人兵器は、濡れた狂気と、狂おしいほどの情欲を纏う───赤黒いドレスに刻まれた、肉体という名の妖艶な罠───溢れる泥濘に濡れそぼる肢体───それは、サイバーメンタルロスト(ロボトミー化した者)すら魅了する、最悪で最高の病婦───その名は、超人兵器第6号ウルトノイド『ラバーズ』───
影武者♂は沸々と湧いてくる怒りと悲しみに打ち震え、思わず嗚咽が漏れる。
なぜこんなにも胸胸が締め付けられる?苦しむ?心が痛む?そもそもアイツは敵だ。オレちゃんたちを殺そうとしていて、アイツはなんの殺意もなく命を奪い去るような最悪の妖女だ。慈悲をかけるに値しない。
───うるさい黙れ!!そんなことは分かってる。
それでも!!あの子は誰かと恋がしたかっただけの…ただの…っ女の子だったんだぞ……ッッッ!!
「これはっ、これは人にすることじゃないッ!!!!」
一閃のクナイが喉元に迫る。
ドグゥンン!!ギィィィンッッ!?
ティーダ王子のSPEC強度エンプレスのサイバーウェアは正常に機能した。
尋常ならぬ加速(マッハ3 ※十秒ジャストが限界)でとっさに影武者♂の前に立ち、銃剣を抜き放ち、構え、撃つ。狙いは正確、弾丸に弾かれたクナイはラバーズの髪を散らして掠める。
「あれは…っ?」
「…知り合い、ですわ」
「そうか……下がれ、許嫁殿」
ティーダ王子は撃つのを止めずに間合いを詰めて、連続する高速のクナイから込められる力を剣で受けて、流して、払う、隙を縫うように攻撃を加え続ける。
その中でクナイを軽々と操るラバーズのしなやかな四肢は、冷徹な兵器でありながら、同時に極上の肉体美を誇示する踊り子のようであった。
「キュウゥ━━━!!キュキュゥゥゥゥゥゥゥゥ━━━━━━ッ!!」
攻撃的な行動とは裏腹にラバーズの悲痛な叫びが響き渡る。
嗚呼、いまにも彼女とティーダ王子の間に飛び出してしまいそうだ。でもそれは間違っている。余計事態を悪化させるだけだ。
彼女を見捨てる判断、その痛みに背中が震える。
「セイヤーぁ!!」
彼は一切ためらいのない剣と弾丸のリズムでラバーズの動きをことごとくを相殺して、押し込み始めた。
その場の生徒たちは一瞬、勝てるかもと希望が立つ。
だが───病魔は形ではなく空間そのものを支配する。
撃っても、斬っても、瘴気は至るところで満ちていく。
自身の異変に気づきティーダ王子は、悟った。
この銃剣は“形あるもの”しか殺せない。
白い肌に変色した血管が浮き出し、天空の髪の色が濁る。銃剣の柄ごと床に落とし、
「……なぜ、この身が」
───守るべきものの前で、敗れる。
「ティーダ!!」
影武者♂が飛び出していく、自立する体力すら失った彼を全力疾走で抱きとめる。
「ぁ………ぁ…ぁ………」
呼吸が怪しい、脈も弱い、それに体温が異様なほど冷たいしあの澄んだようだった瞳が開いたまま虚に変わり果てている。
「聞こえるかティーダっ!このボクの声が!!返事をして!!」
マズイ、返事もないから意識があるのか分からない。いったい何がどうなってる!?
パチパチパチ…
「いいセリフだ…感動的だな!だが無意味だ」
そう言って拍手をしながら現れたのは王子にウィルスを盛り自分がお仕置きしたはずの犯人だった。
「お前は…!?」
「流石に手柄を横取りさせるわけにはいかないからね、ティーダ王子を殺すのはこのオレだ。それにしても昼は世話になったな」
男の言う通り、先ほどまでエネルギッシュに暴れていた彼女が動きを止めているのを見て、影武者♂の頭の中で点と点が繋がり自分が置かれていた状況をようやく理解し始めた。
同時に、あの時この男の思惑を徹底的に潰そうとしなかったことも激しく後悔する。
会場の騒ぎは一瞬で明らかな悲鳴に変わっていた。
たくさんの人が折り重なって倒れていた。全員苦しそうにうめいていた。
───痛い痛い痛い……!
「なんて、ことを…」
思わず息を飲み、後ずさる。
「マジかよ本当にウィルス効かないのか!オレなんて専用のボディまで用意したってのにさあ!!」
直後、犯人の左腕が爆散する。
次の瞬間影武者♂の右手が吹き飛ばされた。
千切れた腕の片と血液が全身に飛散している。
「ッッッッガァアアアゥアア━━━!?」
地獄の苦しみの衝撃、地べたに膝をついてのたうち回る。
い、息が出来ない!
激しい喘ぎを必死に止めようとするが、もがけばもがくほど胸が破裂寸前の風船みたいになる。
先ほどは左腕が爆散したと錯覚したがそれは違う、やつの左腕には長い銃身に大口径、対物ライフルが備わっていた。
「安心しろ、お前は美人だから殺しはしないよ。この最低王子を殺した後でゆっくり借りを返してやる……オレ専用のはけ口としてさ!」
大きな絶望がやってきて希望の光を陰りが覆う。
精神が息苦しい、蠢く狂気の記憶が脳裏に駆け巡る、あぁ忌々しい。
この無常な世界は護り斬れないものばかりだ。
…だが。
───どうせ死ぬなら一矢報いんッッッ!!
その時、不思議なことが起こった。
動悸が始まり、耳鳴りがする。
「く、あ、あああああああッ!」
影武者♂の喉から、人間のものではない獣の咆哮がほとばしる。
────ドグンッ────メザメヨ────メザメヨ────
倒れた王子の最も近くで、影武者♂の頭に誰かの声が響く。
───ドグンッ───ドックン─────封印ヲ解キテ…汝…今コソ発セヨ…!───
溢れ出す感情がこの身体を突き破り、自分を塗り潰し始め、制御不能の熱い衝動がボクの心を殺した。
『ここは…ッどこだ……わたしは、誰だッ……誰がッ、造ってくれとッ、頼んだ……!』
胸を叩く激しい心音が、彼の荒い呼吸をかき消していく。
「壊れたのか?最新鋭サイボーグに生身の人間は勝てない。これ、常し___」
様子のおかしい影武者♂を見て余裕綽々の犯人、しかし突如その手においていたはずの影法師備忘録に独りでに宙を舞って飛んでいかれ、影武者♂???に奪われてしまった。
「しまっ!?」
どうやら影武者♂が着ていたドレスのきめ細やかな一本の糸とその毛先に小さなフックがわりの変形した留め具で作った窃盗道具を使って影法師備忘録を引っ掛けて引き寄せたというタネだったらしい。
影武者♂???は血にまみれた身体をかろうじて支え、目の前の悪を睨みつけていた。
『これは、お前たちへの、逆襲だ…!』
影武者♂は限界だった。肉体は悲鳴を上げ、意識は朦朧としている。
だが、彼の魂の底にある「生きようとする意志」だけは、牙を剥いたまま消えていなかった。
「は、ハハハっ!バカめ!その制御デバイスは俺の生体認識がなきゃ──」
犯人は影法師備忘録にかけられた堅牢なロックを盾に嘲る、が。
「ん、ああああああ……ッ!」
───≪スピリューション(発動承認擬態解除)≫───
そんなことは覚醒の予兆を発現させた影武者♂???にとってなんの問題も無く、擬態能力で犯人の肉体情報の一部をコピー、生体認識によるロックを突破した。
「ハァアアアっ!?」
犯人はあまりにも無茶苦茶で有り得ないはずの事態に動揺する。
影法師備忘録と同期するように、影武者♂???の背後の空間が歪みそこから妖光を放たれると凄まじいエネルギーの奔流が影武者♂???の身体を包み込む。
魂の咆哮とともに、彼の身体から禍々しい緑のオーラが噴き出す。
次の瞬間、影武者♂の背後にもう一つの影が奈落の底から湧き上がるように立ち現れたのは、それは、道化師服に酷似したバイオグリーン色の生物的な外骨格に包まれた戦士の姿。
ボンヤリと光を放ち、脈動する胸に三画のエナジーコア。
禍々しい一対のジェスターハットのような角。不気味に輝く赤いアーモンド・アイ
影武者♂の「愚者」そのものが具現化したかのような存在――ウルトノイド・フル。それは意思を持つかのように宙を舞い、影武者♂???の周囲を激しく浮遊する。
怪しく、周囲の空気を震わせる。
───ドックン──メザメヨ───メザメヨ──メザメヨ───メザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨメザメヨ────
胸の鼓動と頭の中の声がドンドン大きくなる。まるで雄叫びをあげるみたいに
「……変心。」
変心の衝撃波が周囲の瘴気を弾き飛ばした。
───≪ウェイクアップ・チェーイサ━━━━━━!! フル!…(覚醒せよ 追い求める者!! 愚者!…)≫ ───
二人は一瞬、鏡写しのように、背中合わせで闇の中に並び立った。
いや、並び立っていたのは、ほんの一呼吸の間だった。
フルが、凄まじい威圧感を放ちながら、影武者♂を追い抜くようにして一歩前へと踏み出す。
その圧倒的な存在感が前に出ると同時に、後方に残された影武者♂の輪郭が、陽炎のように揺らめいた。
人間の肉体、人間の理性、人間の苦悩。それらすべてが、フルの背中に吸い込まれるようにして、すうっと消えていく。
そこに残されたのは、ただ一人の愚者の超人、いや「愚者の野獣」だけだった。
ユラリと、フルの肉体から余剰エネルギーが陽炎のように揺らめいて立ち上る。
「WOOOOOOOOOOOOOOOOOWッッッッ!!!!」
人間の声ではない。
影武者♂が消えた空間から、咆哮をあげたフルが完全に肉体を得て、地を蹴る。
空を引き裂き、野生の渇きを満たすための戦いが、いま始まった。




