陰謀・発動
今宵の交流夜会は、格別な熱気に包まれていた。なぜならば世界中の名門企業の家系である学生たちが一堂に会している、良い関係を築ければ行政クラスへの昇給も夢ではないからだ。
重厚なブロンズの扉が開くたび、執事が朗々とした声で高名な家名を読み上げ、会場からは感嘆の溜息が漏れる。一歩足を踏み入れれば、そこは現実を忘れさせるほど贅沢で、眩いばかりの光の海だった。
きらきらとかがやくダンスホール、ドレスやタキシード姿のやつもいれば、お忍びで来ていて仮装してるやつも多い(誰なのか探らないのが暗黙のルール)。
サイバーウェアのSPEC強度バロンが35人、バイカウントが55人、アールが9人か…な、生身なヤツが自分以外一人もいないっ!?(ティーダ王子は一見生身に見えるが超高級品のアニマトロニクスのサイバーウェアを使っていておまけにSPEC強度エンプレス。ただしこの数相手に出来るかは本人の戦闘センスに依存するので判断は難しい。)けど今のところ怪しいやつは一人もいない。でももしコイツらがあの犯人と全員グルで襲いかかってきたら…。
「目が眩んでしまいそう…」
そうポツリと言うとティーダ王子はこちらへ手を差し出す。
「お手をどうぞ、許嫁殿」
「では遠慮なく♥」
本当は遠慮したいけどねぇー???
と言葉と裏腹にそんなことを思いながら王子の手をとる。
こういった場所にはそれ相応の格好をしなければならない。
つまりはドレスアップである。
ティーダ王子が身にまとっているのは、新雪のように眩しい白と、晴れ渡る春の空を切り取ったような空色の王子服。肩から流れる白銀の外套には、星屑を砕いたような繊細な刺繍が施され、彼が歩みを進めるたびに淡い光を放っている。胸元で揺れる大粒のサファイアは、彼の澄んだ瞳と同じ色をしていた。
そして影武者♂はリボンのカチューシャやパープルブラウンカラーのフリルの揺れるマルーンカラーのドレスには赤いルビーの宝石が散りばめられ、素肌の肩と首筋を大胆に晒している。
のど仏(のど仏の存在感皆無だけど一応)を隠すため首には一際大きなルビーが揺れるチョーカーをつけていて、寄せ寄せしておっぱいっぽくした胸には胸パッドを装備して男バレ対策はバッチリだ。
オレちゃん……いまだかつてない高級な服に震えが止まらなくてあまり身動きがとれずにいる…ぶっちゃけると王子に手を取ってもらえてすごく助かってる。ホント、マジで、着心地めっちゃいい上にフリフリだし、けど重厚感っていうの?なんか財産を着てるって感じする。
きらびやかなシャンデリアの下、交わされる言葉のすべてに裏があった。グラスを傾け、微笑みを浮かべながらも、学生たちの目は互いの出方を探り合っている。誰が誰と手を取り、誰が失脚の危機にあるのか。音楽とダンスの喧騒に紛れて、今夜も歴史を動かすような秘密の同盟が、バルコニーの片隅で結ばれようとしている…のかもしれない。
まぁ所詮ガキの真似事でしかないからね。
というかこれが息抜きとか正気かい?あのクラス以上の思惑の気配がビンビン伝わってくるんですけど!!
ただめちゃくちゃ美味そうな飯とお菓子があるだけだ、ろ、おいおいおいおいおいおい!?なんだあの飲み物!!色んなフルーツが詰まってるぞ!!ああああ〜…ゴクリッ。
「食べたい?」
「はい!(…ハッ!)」
背後からティーダ王子の声、反射的にYESを返してしまったことに気づき、振り返るとそこには微笑ましそうにオレちゃんを見つめるヤツの顔が。
やめろそんな私の許嫁可愛いとか思ってそうな顔をやめろ、マジでやめて下さいお願いしますオレちゃんノンケなんです勘弁してくださいというかなんで初っ端からオレちゃんに対する行動力がフルスロットルやねんおかしいやろ最初はお友達からやぞ普通はだっちゅーのにコイツ妙に距離近いねん近すぎるねんそんでもって顔がイイからワンチャン白飯3杯はイケそうだとか一瞬考えてしまうし、気を抜いたらすぐ絆されちまう…気をしっかり持てよオレちゃん!きっとオレちゃんを籠絡して始末しようとしてる可能性だってあるんだ仕事人としての意地を今
「お待たせしました幼き記憶のフルーツバスケットでございます。」
「わーい♪」
影武者♂の仕事の意地、フルーツたっぷりのカクテルを前に一瞬で陥落。
「ほら、あ〜ん」
「?????????」
平然とフルーツをスプーンですくって食べさせようとしてくるティーダ王子に困惑のあまり影武者♂正気を取り戻した。そして≪ああ、毒味か≫解釈してそれを甘んじて受け入れた。
「どうだろう、美味いか許嫁殿」
「確かに美味ですけれど毒味役にそれ聞きますの?」
「そのような意図はない、ただ命の恩人に報おうとしているだけだ。」
「…なら遠慮は入りませんね!」
もう限界だった、それはもう夢中で堪能する。
みずみずしい完熟フルーツを贅沢に詰め込んだ、まるで飲む果樹園のような一杯。 グラスをそっと傾ければ、イチゴやマンゴー、キウイといった色鮮やかな果実たちが、シュワシュワとはじける炭酸や芳醇なスピリッツの中で美しく舞い踊り、ひとくち口に含むたびに、もぎたてのフレッシュな甘みと爽やかな酸味が口いっぱいに広がり、心まで華やかに満たしていく特別なカクテルだった。
思わず吐息が漏れてしまうほどの美味さである。
そんな影武者♂を見てティーダ王子はちょっと安心していた、嗚呼…やっぱり普通の女の子なんだと。目の前にいる美女が男だということにはまったく気づいていない。
「しゅしゅしゅしゅみましゅぇん!わ、わたわたしと、お、踊りませんか!!」
言葉をもう一種の芸人みたいに噛みまくったのは慎ましやかなドレスを着た日本人の女の子だった。どうやらティーダ王子にダンスの相手を頼みたいようで相当な勇気がいったのだろう耳が真っ赤っかだ。
そしてその後ろでは彼女を密かに応援している友達らしき女子が1、2、3人か…変にプライドが高くて生意気なヤツが多い高級クラスとは違ってあっちのクラスは睦まじいらしい、あーいいね青春してるよ羨ましい。友情いいよな友情。
「すまない、先約があるんだ。」
王子は柔らかく穏やかな声できっぱりと誘いを断った。
「そ、そうですよね…ごめんなさい。いきなり…」
「そう落ち込むな、また次の機会があれば言葉を交わそう。」
「………っ」
うぉい!?本人が一番傷つく断り方したぞコイツ!?このクソボケイケメンがぁあああ!!この子はなぁ!?オレちゃんっていう婚約者がいるって分かってた上でせめて思い出を作ろうと一縷の望みをかけて勇気を出したんだぞ!?次の機会なんてねぇええんだよアホかあの子にとってはこれがラストチャンスだったんだよ!!その後に話しかけられても辛いなんだぞ!!確かに王子の対応は間違ってないけどさぁ…一応この子なにも怪しいもの持ってないみたいだし普通に恋する乙女なんだろうなぁ。
い、いたたまれなっ…………………………………妙なヤツが近づいて来てるな?
華やかな喧騒が一瞬にして静まり返ったのは、彼女が姿を現した瞬間だった。
身に纏うのは、まるで無垢な少女を思わせる純白のワンピースドレス。しかし、清純を装ったその布地は、彼女の狙い通りに機能していた。動くたびにしなやかに翻る白い裾は、見る者の視線を釘付けにし、その下に隠された「牙」を完璧に隠蔽している。
(女の子?……っ…!?)
そう思ったら。
心の奥から胸脈が暴れ馬みたいに弾けていた。
乱高下に駆け巡る血が骨、肉、臓器、頭へ熱をはらませる。頭のてっぺんからつま先までドクドクと茹っていく。
前世はともかく今世14ねん生きてきて見に覚えのない反応だった。
とりあえず思春期特有のアレよりタチが悪いとすぐに直感する。
たられば、なんとも奇妙な感覚を感じてすぐこの場から離脱していれば影武者♂は反応することはなく、平静を保ったまま妖しく、異様で、摩訶不思議な人物として状況を把握することが出来た事実に打ち震える。
だがもう取り返しがつかない。
出来るだけ当たり障りのない表現にすれば……ムラっときた!!
つややかさに満ち溢れた張りの肢体がこう、その、ドンピシャ。
(年はオレちゃんよりもう少し…上……か……〜)
緊張が解かれるのを感じる、まずいこういう下手に媚薬盛られるより見ただけで「そうなる」のは一番ダメなヤツだ。
何より、その白さは彼女の持つ艶やかな褐色の肌をこれ以上ないほど鮮烈に引き立てていた。衣服の隙間から大胆に覗く、瑞々しくしなやかな肢体。計算され尽くした肌の露出は、そこにいる生徒たちの理性を確実に、そして狂おしいほどにかき乱していく。
スノーホワイトの滑らかな髪は、絹糸のような輝きを放ち、影を落とす褐色のうなじとの対比で周囲の目を眩ませる。
tender 、ふと見つめ返したその双眸――琥珀の太陽の光をそのまま固めたような、深い蜂蜜色の美麗を孕んだ瞳が、獲物を定めたように妖しく揺らめいた。
純潔を象徴する白のドレスを鎧に、その身から溢れる色香を最大の武器にした暗殺者。彼女が甘く微笑み、こちらへ向かい一歩を踏み出す。その優美な一歩は、今宵の標的を奈落の底へと誘う、死のダンスの予感。
そんなこと影武者♂は知る由もなかったが嫌な予感を禁じ得なかった。
「ワタクシ。お花を摘みに行ってきますわ、ティーダ様?くれぐれもこの子とは慎重に接してくださいね?(これ以上純真な乙女心傷つけたら承知しねぇぞの意)」
王子にはそう言っておきこの場から抜け出してその子の元へ向かう。
あっかんマズイマズイマズイ!?なんとか王子から引き離さないと!!
なんだ?何が目的だ?
——えーまずは?あの子、笑ってない、声も高くないし。ただ、そこに自然と存在してるだけ。なのに、その静けさがオレちゃん的に、ほんとに、怖い。
……はい、落ち着こう。オレちゃんは王子の婚約者として女装令嬢やってるだけの影武者だし。ここで動揺したら、そこで負けだ。うん、落ち着こう。——でも、あの女の狙いだけは、絞っておかないと間に合わない。考えるか。選択肢は、十。
一 国家機密、盗みか
基本中の基本だよな。軍事、外交、先端技術。あの末っ子の口から国の話を引き出せたら、それだけで桁が違う値が付く。あの静けさ、なんなんだろう。一国の重みを知ってる女の静けさだ。あり得る。潰したいところだけど。
二 金
あの王子は末っ子で、それでも王位継承者って立場だ。まだ表に出てない併合だの、開発計画だの。それをひとつ嗅ぎ分けるだけで、裏ではいくらでも金が動く。あれは、儲ける女の静かさじゃない。計算の静かさだ。濃厚だよね、これ。
三 ——暗殺
血の気が引くって、こういうことか。毒か、隙を突く一撃か。あの女、笑顔ひとつ作らないまま、王子に手が届く距離まで詰めてくる。振り返ってはいけない。あの静けさは、仕事前の職人の静けさだ。絶対に止める。今、ここで。
四 情事を撮って、弱みにする
ここで冷や汗が止まらない。あの静かな女は、一枚噛ませれば写真だ動画だ、「表に出されたくなければ」で王子を頤で使う。静けさは演技だ。証拠を握る側の顔だね。どこに仕込んでいるか、今すぐ洗い直さないと、まずい。
五 王子を抱き込んで、二重スパイに仕立てる
一度身体を許させれば、もう共犯だ。逃げられない。ゆっくり、確実に、あの末っ子を他所の内通者へ仕立て上げていく。あの女、急がないんだよ。だから、なおさら怖い。王位継承者が内通者、か。オレちゃんの立場でできる最悪が、もうそこにある。
六 人事に介入して、王宮を内から腐らせる
あの王子は、そのうち人事を握る。末っ子なりに、王宮の顔もするだろうし。あの静けさの女に取り込まれたら、誰を上げて誰を落とすか、裏からじわじわ整えてくる。統治って、案外そういうところから骨が折れるんだ。陛下の代から仕込まれている——そう思うだけで身の毛がよだつ。
七 政策を拐かして、特定の国や商家に都合よくする
あの静けさの後ろに、誰かいる。国の者か、商人か。王子の考えに、一滴ずつ毒を差して、法律だの予算だのを引っ張らせる。効くのが、いちばん遅い手なんだよ。目には、毒が見えないから。
八 亡命、保護——逃げ道の確保
あの女自身が、一族を抱えている線だ。王子の力を借りて、国外へ逃がす手引きをさせる。捜査の手を逃れる、隠れ蓑だな。あの寡黙さ、逃亡者の静けさに似ている。悪くない読みだ。ただ、決めつけるにはまだ早いけど。
九 社会的に抹殺——スキャンダルで引きずり落とす
あの女、王子を王座から落とすこと自体が狙い、かもしれない。継承の話が転がっている今だからな。静かに、確実にスキャンダルを流して、王の信頼を砕いてくる。あの静けさは、刃の顔だ。手を出したら、切れる。
十 ——自分が、上がる
飯に困っていない女が、身分を隠してここまで来る理由があるか。純粋な工作員じゃないやつ。権力者に寄り添って、自分の位を吊り上げるタイプだ。あの末っ子の側近としての君臨。それなら、まだ話は通るんだけど。いちばん怖いのは、これが本当で、しかも後ろに何もないときだ。空っぽの祠に、静かな欲望だけが座っている。そういう女は、止め方が分からない。
——どれだ。静か過ぎて、どれにも似ていて、どれにも見えない。
まぁ待て待て待て、待てて、こういう時どうするかは決めてあるだろ。
オレちゃんがティーダ王子の婚約者であることは周知の事実だ。
だからあの子はオレちゃんと波を荒立てるわけにはいかない。
作戦はこうだ、人気の少ないところへ連れて行ってキスする!男でも女の子でもああいうのは唇奪って舌を入れた時の反応で大抵どんなヤツか分かる。まぁたまにキツイ口臭をモロに食らった事もあるけど…。
それと殺し屋なら舌を噛み切ろうとしてくるから判別が楽でいい。
もしさっきの線が全て外れてたら?ハハ☆それはナイナイ☆絶対ない☆
マージであの子ヤバい、オレちゃんの経験がそう叫んでる。
きらびやかなドレスを着せられ、周囲の視線に怯えるように縮こまっていた彼女の細い手首を、影武者♂は音もなく掴んだ。
だがラバーズは何も言わず、流されるようにただ静かに会場の喧房から遠ざかっていく。
連れて行かれたのは、月明かりだけが差し込む、誰もいない夜のテラスだった。
「……わたしはいつも飢えている、あなたはわたしを満たしてくれる人?」
「酸いも甘いも味わってみなければ分かりませんわ」
弾かれたように、彼女の華奢な身体が胸に飛び込んでくる。同時に、熱い唇が重なった。
この時オレちゃんはあの時とまったく同じウィルスの存在を彼女から感じとった。
───なんでこの子からウィルスが…?
彼女の病魔か、それとも彼女自身の執着か、そのどちらかも分からなくなるほどに。息を吸うことさえ忘れ、お互いの唾液を貪り、貪られる。
彼女の小さな口腔から漏れる、甘く切ない吐息。
深く、深く、お互いの舌を絡ませ合う。
彼女の舌は、まるで蕩ける蜜のように甘美で、同時にオレちゃんの輪郭を内側から溶かしていくような、強烈な熱を帯びていた。
蕩けるような、溶けるような、解けるような。
自分と彼女との境界線がドロドロと解けていく。
そんな目眩を覚えるほどの感覚が、脳髄を直接揺さぶる。
ナニカガハジケテナダレコンデクル____
なまえは、いらないの。だって、わたしのこと、みんな、なまえよりさきにわすれられなくなっちゃうんだよ。そういうふうに、つくられてるの。
みためはね、きれいなおんなのこだよ。およめにいけるくらいの、ね。だからみんな、つい、こっちをみちゃうの。
でも、これ、ほんとのわたしじゃないの。せんとうぶぞくの人が、わたしを「さばきのどうぐ」にしようって決めたの。だから、きれいなところは、そとがわだけの、かりそめなんだよ。なかには、いろーんなびょうきが、こっそりすわってるの。けっかくも、とうも、なまえのないこたちも、ぜーんぶ。わたしは、それにたえられるようにうまれたの。それで、それをぜんぶかかえてる、かたまりなの。たえられることと、かかえてること。それだけで、できてるの。
さわらなくても、つめも。はだも、かみのけも、なみだも、ぜーんぶ、そうなの。それで、おうさまを、きぞくさまを、しょうぐんさまを、ねやで、しずかに、ねむらせてあげるの。ねむってるみたいに見えるけど、おわってるの。それが、わたしのおしごと。
すきだったの、ひとつだけ、あったの。
こいびとを、つくるの。こんやくを、つくるの。とどきそうで、とどかない、しあわせ。わたしのてで、そっとつむの。それから、わたしのてで、そっとしまっちゃうの。なんども、なんども。そのたびに、わたしのなかのなにかが、ほそーくなって、すこしずつ、くるってなっちゃうの。おおきな音は、いちども立てないの。だまって、ゆっくり。
おわりかたは、ふたつあって、どっちだったか、わたしにもわからないの。
ひとつは、わたしが、おあいてのひとに、ほんとのこと、はなしたの。「わたし、せんとうぶぞくなの」って。だから「ころして」って、おねがいしちゃったの。……もうひとつは、そのひとが、ふっとめをはなした、すき。うえのひとのこころで、わたしのくびは、もうおちてたの。
どっちも、しってるの。でも、わたしのこえは、もうどこにもとどかないから。だから、どっちだったのかも、ほんとはわかんないの。
あのね、あなた。いま、わたしのまえに、たってる、あなた。
ちかよらないほうが、いいよ、とおもうの。それに、ちかよっちゃ、だめだよ。だって、そとがわだけの、かりそめだから。ちかよったら、わたし、あなたのことも、ねむらせちゃうから。
はじめるまえに、もう、はんぶんこ、なかったの。
現実が戻ってくる。
なんだ、なんだ、頭の中に入ってくるこの記憶は、感情は、今のはなんだ?ウィルスが見せた幻覚か?
気付けば、ボクは、泣いていた。
この子の人生を思うと、どうしようもなく寂しくて哀しくて、堪えようとすればするほど声が激しく揺れた。
───もっとわがまま言いたかっただろうに、遊び盛りだったろうに…っ。
憤りが湧いてくる、熱い大粒の涙が目からボロボロと溢れて、彼女の頬に落ちる。
彼女の細い腕が私の首に回り、爪が食い込むほどに強く抱きしめられる。まるで、この一瞬を永遠に固定してしまいたいかのように。
ラバーズもまた、影武者♂の記憶と感情を垣間見たらしい。
そして彼が自分を満たしてくれるかもしれない存在だという事も。
それは、彼女の凍てついた心が解ける音でもあった。
戦闘部族として、誰の体温も知らずに孤独に生きてきた過去。その頑なな寂しさが、目の前にある確かな体温によって、ゆっくりと解き放たれていく。彼女の目尻から溢れた一筋の涙が、重なる境界を静かに濡らしていく。
その陰で状況を観察していた犯人は、ハァーッとため息を吐くと鋼鉄の錠が施された一冊の備忘録を構える。
「まさかウィルスが効かないとは…チッ、やはり所詮は化け物が死人を模倣しただけの影法師…だがすぐに分かるさ、お前たちがいかに無力であるか………≪スピリューション≫」
ガチリ、と鋼鉄の錠が解かれ開本した備忘録が独りでにめくられていきⅥ章で止まると、そのページから飛び出したラバーズのカードを叩き割った。
まるで割られたカードと連動しているラバーズは苦悶の表情で激しく喘ぎ始める。
「ぅ゛ッ…!ぅ゛ッ…!う゛あ゛ッッ…!?」
「ちょっと!大丈夫!?」
突然彼女の様子に異変が起き膝から崩れ落ちかけたところを影武者♂は慌ててキャッチし、破いたドレスを敷いた地面にゆっくりと降ろした。
「ボクの声聞こえますか!?なにが起こって…っ」
「ごめん…なさい…!」
か細く小さな声を聞いた次の瞬間、影武者♂は夜会の室内にまで突き飛ばされた。
勢いのまま壁に叩きつけられ、衝突音が響き会場にどよめきが起きる。
背中に灼けるような衝撃が走り身悶える。
「アーーーックソクソクソクソ…ッ!」
「許嫁殿ッ!!」
ことの騒ぎを聞きつけたティーダ王子が駆け寄ってくる。
───≪ウェイクアップ・バーンアップ ラバーズ!(覚醒せよ・焦がれる者 恋愛!)≫───
この場にいる者達は、ラバーズに刮目していた。
月明かりが冷たく差し込むテラスの片隅で、彼女は自身の肩を抱き、激しく荒い呼吸を繰り返していた。
全身の細胞が、内側から激しく沸騰していく。肌のすぐ下を、禍々しい異形の血流がドクドクと駆け巡る。彼女の遺体から人格を複製した組織の男たちの言葉が、呪詛のように脳裏に蘇っていた。
『おめでとう、君は選ばれた。気高き擬態型宇宙究極生命体、その影法師となったのだ』
「嫌……、私は、人間として……!」
抗うために、彼女は自分の指先を自らの腕に突き立てた。しかし、抵抗も虚しく、指先はすでに人間のものではなくなっていた。爪が漆黒の鋭い刃へと変貌し、皮膚を引き裂く。流れたのは赤い血ではなく、淡く発光する銀河のような体液だった。
「あ、ああ、ぁ……っ!」
逃れられない変身の衝動が、彼女の身体を蝕んでいく。
その変身は、無機質な装甲を纏うような生易しいものではなかった。純白のワンピースドレスが内側からの膨張に耐えかねて裂け、露わになった肉体が、見るも鮮やかな、しかし悍ましい赤黒い生体皮膚へと変色していく。
有機的な筋肉の繊維が、ピキピキと音を立てて波打ちながら定着していく。背筋が不自然にしなり、細い首筋から鎖骨にかけて、鋭利な生物的ディテールが浮き上がった。
それは、人智を超えた超人への変化でありながら、過酷な運命に翻弄される人間の悲哀を際立たせるような、圧倒的な変化の光景であった。
超人兵器としての完璧な肉体へと再構築されていく恐怖が、彼女を包み込む。
「いや……やめて……! 私は……っ」
悲痛な拒拒絶の叫びは、喉の変形とともに、低く地響きのような、野性味を帯びた咆哮へと変わる。
「キュァ━━━━━━━━━━━━ァアッ!!」
最後に、彼女の顔が歪んだ。
皮膚が引き裂かれるように割れ、アーモンド・アイが生物的な赤い輝きを放ち始める。額には、恋慕と熱情を象徴するラインが突き出した。
かつて艶かしい彼女の面影は、その輪郭だけを残し、完全なる超人兵器へと変貌を遂げてしまった。
静寂が戻ったテラスに、擬態から覚醒した「ラバーズ」の、キューキューとした、重く、どこか哀しい呼吸音だけが響いていた。




