令嬢・逃走
身震いするような冷たい風が吹きつける夜の屋敷、その客間の一室で事は起きた。
「お前の命はここまでだ。ハテナ・ラヴミリアン・ジーナス。」
洒落たスーツの紳士が豪華なドレスと数々の宝石を身に纏った少女に銃を突きつける。
「…なんのつもりですの?ジェームズ氏、今日は商談だとお聞きしておりましたのに。」
冷淡な表情を一切崩さずにハテナと呼ばれた令嬢は飲んでいた紅茶のカップをそっと口から離すとそうジェームズに問う。
「貴方に恨みを持つ輩はごまんといますから、始末すれば多額の報償金が降りる。そしてなにより超大企業ラヴミリアンコーポレーションの令嬢を殺したとなれば世界中のコーポに恩が売れるのでね。」
まるで夢を語る子供のようにはしゃぎながらジェームズは薄ら笑いを浮かべる。
「嗚呼…なんてこと…」
手で顔を覆うハテナの失意のこもった震え声に満足したのかジェームズは銃の撃鉄を起こして引き金に指をかける。
「それでは、さようなら。」
ドォンッ!?銃が火を噴いた。だがハテナは依然として無傷のままだ。
いや、そもそも銃弾自体が発射されていなかったのだ。
「なっ!?」
動揺して視線を銃におとすジェームズ、そこをすかさず胴に蹴りを入れ、地面へ踏み付けた。
ほんの一瞬の出来事だった。気付けば天井が彼の視界にあり、ハテナが自分を見下ろしていた。
「謀殺未遂、毒殺未遂、爆殺未遂、で、今度は暗殺未遂?こそこそやってて殺せなかったから今度は直接ってワケ?ど〜んだけ恨み買ってんだよウチのお嬢様は……」
「な、な、なんグゥアアアっ!?」
まさかの状況に戸惑っているとドレスのスカートのスリットから露わになった黒のガーターベルトを履いた太腿から足先に力を込められ、ヒールでグリグリと強く捻られ、あまりの痛みに悶絶する。
ジェームズはひどく動揺した。一体何が起こっている!?コイツは温室育ちの穀潰しのはずだろう!?と思考をぐるぐると巡らせるが要領を得ない。
「アンタねぇ、実行までのお喋りに時間かけすぎ。スった銃の弾全部抜いてポケットに戻せちゃったし、どうせその辺のブローカーにでも唆されて捨て駒にでもされたか…あ〜あ可哀想に。」
思ってもいないことを口にしながらも、その手は淡々と銃に銃弾を装填して、ジェームズに銃口を向ける。
ジェームズは突きつけられた現実に狼狽し、ジタバタと暴れるがまたもや脚で踏みつけねじられて押さえつけられた。
「お、お前はっ何者だ…!?」
顔を歪ませたジェームズの質問に、ハテナ?は辟易とした様子で答える。
「さあ?オレちゃんは誰かに求められるままに求められる事をするだけだ。
それでは…ご機嫌よう、ジェームズさん♥」
ジェームズを見下ろすハテナ?はスカートを摘んでお辞儀をして恍惚とした微笑みと妖艶な視線を送り────ドォウンッ!?────弾を撃ち込んだ。
______________________
「殿、奴はブローカーと繋がっていたようなのでテーザー弾で失神させ生け取りに致しました。あとは記憶を抜き取るなどしてご活用いただければと。」
「ハテナの影武者よご苦労だった。大義である。」
ラヴミリアンコーポレーションCEO、ゴウミン・ラヴミリアン・ジーナスは影武者♂へ形ばかりの称賛を送る。しかしその目は鉄のように冷たく、少しでも言葉を間違えれば悲惨な死が待つという事実をこれでもかと実感させられる。
だがその奥様に比べたら遥かに寛容で理知的。
「恐悦至極に存じます。」
「ヨシ、ならば疾く持ち場へ戻り次に備えよ。」
「ハッ!直ちに!」
そうゴウミンからそう命令を受けた影武者は素早くこの場から離れた。
だってこうやってちゃんと会話が出来るんだから、本当にこれほど重要なことはない。何故なら人間は言葉を使う生き物であって、会話が成立しなければそれはもはや人間では無いからだ。
しかも奥様はラヴミリアンコーポレーションの理事長であり実質殿よりも立場は上だ。
なので殿は超厳重にオレを奥様から遠ざけている。
もし殿の目の届かない場所で鉢合わせようものならオレは何をされるか分かったもんじゃない。
影武者はやがて地下深くの光が僅かに灯る薄暗い廊下に出る。
そうしてたどり着いた鋼鉄の座敷牢に、自分自ら入って行くと扉が一人でに閉まりガチャリと施錠された。
「んっ…あ〜」
影武者♂は体を伸ばして一息付くと窮屈なドレスと胸パッド、マジで一番苦しかったコルセットを脱いで、パンツ一丁で薄くて固い布団に腰掛けた。
奥様に過剰に嫌われている理由、それはもちろんオレちゃんが娘であるハテナ姫の影武者、つまり偽物だからというのもあるようだけど、奥様の怒りに触れた一番の理由は…「男」のオレちゃんが可愛い娘の真似をしているのが心底気持ち悪くて許せないから…らしい。
「ふざけるなその娘が引き起こした厄介ごとの後始末全部こっちにおっ被せてるくせにどの口がぁ!!」
思わずドレスを畳に叩きつけてしまい、すぐ我に返り、衣服を丁寧に畳んで置いた。
机に置かれているハテナ姫の食べ残し、もとい夕食をいただきますと口にして黙々と食す。
今日の献立は白米、鶏もも肉と里芋の甘辛煮、ワカメの味噌汁、胡麻ソースの小松菜のお浸し。そして空のデザートの皿。
まったく姫のやつまたデザートだけ食べて他の料理には手もつけなかったのか?もったいない。合成じゃない本物だぞ?なかには強盗してまで欲しがるやつだっているのに。ああ全くこの料理はこんなにも…
「美味ーいっ!!」
心の底から溢れる思いを叫ぶと、再びこの素晴らしき料理を食べ進める。
完食してごちそうさまをすると影武者♂はおぼんをさげた。
「ス〜ハァ〜〜〜」
布団の上に寝っ転がり大きく吸ってため息を吐く。
幸いここは不潔とは無縁の場所で、空気が綺麗で臭くないし、汚れなんて一つもないし、いくら騒いでも怒られないし暴れても埃一つ浮かない。
暴力と欲望、病気の巣窟だったスラムとはえらく違いすぎて自分はとっくに死んでて今は天国いるんじゃないかとすら思える。
「……思えば、スラムで殿に拾われてそろそろ数年経つな。」
まさかコソ泥だったオレちゃんがハテナ姫と性別以外容姿が本当に瓜二つで、影武者をやらされるとは思わなかった。
確かに容姿にだけは自信があるけどね!
まぁ事業が銀行から法律関係から治安維持やセキュリティサービスなど非常に多岐に渡る超大企業の一人娘だけあって、その影武者なら常に死の危険と隣り合わせではあるが。
「疫病神娘の弾除けにされてるとしても、こんな天国みたいな生活が送れるなら喜んで引き受けるね…。」
そんな思いを口にしながら影武者はゆっくりと微睡の中へ沈み静かに眠りについた。
誰かの身代わりだろうとなんだろうと食いっぱぐれないならどんなことでもやってやるさ。
この時は本気でそう思っていた。
そう、ついこの時までは…ね。
______________________
「姫が男と夜逃げしたぁっ!?」
オレちゃんは先ほど殿から飛び出てきた信じられない言葉に思わず再確認した。ハッとして手で口を塞いだ、なぜなら奥様、カース・ラヴミリアン・ジーナスが殺気の煮詰まった目でこっちを睨んできたからだ。
殿はバツが悪そうに淡々と話し始めた。
「そうだ…数時間前に捜索部隊に探させたが尻尾を掴んだ頃には素知らぬ男と月へ行った。宇宙は地球とは隔絶された世界だ。我が社から干渉を試みたが断固拒否された。ハテナとの再会はほぼ不可能だろう。」
うわ〜マジかー…よりによって月かよ!あそこはあらゆる星へ続く中継地点だからたとえ月まで追いかけたとして、もうその頃には別の星へどこまでも逃げられるだろうしなぁ。
だって宇宙便なんて一週間に一度だし!地球から月までは地上文明産のエレベーターで40時間だけど月から別の星までは宇宙文明産エレベーターでどれも24時間以内だからうん!無理捕まえられません!!てかこっちが追いかけている間に何日かバカンスしてても余裕で逃げ切られるわ!!
というか…姫はなんで夜逃げなんかしたんだろうか?ここにいれば金もあるし食べるものもあるし寝るところだってある。なんの不自由もないというのに…。
すると奥様は激昂して殿を捲し立てる。
「ああ…なんてこと!?どうしてもっとよく見張ってなかったのよ!?」
「そ、その、あの時はデッドコール(ガードメカ)のメンテナンス中で代わりに最新鋭サイバーウェア化を施した精鋭を配置していた。だがハテナは、忽然と、消えた、どうしようもなかった…」
殿は弱々しく狼狽するばかりで先日まで自分に向けていた冷たい覇気は見る影もない。もちろんそんな言葉で奥様が納得するはずもなく。
「毎日学習装置で娘に浸けたデータにいくらかけたと思ってるの!?全部無駄金じゃない!!」
おーいコイツだ!コイツのせいで娘が逃げたんだ!!昔何度か学習装置にデータぶち込まれたことあるけど、ありゃ人間を理想の為だけのロボットにする悪魔の機械だ!!それを毎日ですって!?サイバーウェア化してる実の娘にやっちゃったの!?バッカじゃないの!?本当に馬鹿じゃないの!?完全に逃げた理由それだよ!!
「だ、大丈夫だ。既にプランは立ててある…」
ヒートアップする奥様に反して殿はどこか落ち着いている。それと何処か余裕そうだ。
そりゃそうか、影武者♂のオレちゃんがいるからとりあえずなんとかなるという算段なのだろう。
現に学校以外で姫として活動してるのオレちゃんだもんな。
ならまぁなんとかなるだろう。
「プランってまさか…っ、娘の代わりにコイツをティーダ王子と婚約させるなんて言わないでしょうね!?」
うるせぇ〜な〜このババアガードメカハックしてけしかけてやろうか…おい待て今なんて言った?
「ん?え、婚約…?」
婚約、というワードにとてつもなく嫌な予感がした。
ティーダ王子?という奴とハテナ姫は婚約する予定だったのか???
おい、待てよ!?ということはまさか!!嘘嘘嘘嘘駄目駄目駄目!!
その予感はまさに的中らしく、殿は苦悶の表情で目元を手で覆いながらフーッと息をついた。
「嫌よ!!コイツがヘマをして偽物だと暴かれでもしたら国際問題よ!!」
「このまま何もしなくても同じだ。もしもザナル王国資源的優位性が傾けばこのラピス共和国は容赦なく軍事企業であるアーミーテクノロジーに鞍替えするだろう!そうなれば我々は多くのコネクションを失い、消滅する!
アーミーテクノロジーはこちらのサイバーウェア技術が喉から手が出るほど欲しがっている。そうなれば我が社は吸収、合併され、わたしたちを始末した後で世界一の戦争屋となった奴らの下で世界中のチンピラ相手に最新鋭の兵器を横流しするだけの低俗な業社に堕ちる、それだけは断固として認められん。ならやるだけやってみるほかあるまい。」
「!!!!!〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ」
これに当然口にするのも恐ろしいとばかりに震え声で悲鳴をあげて猛反対する奥様を気にも留めず殿は影武者♂に命令を下した。
「ラヴミリアンコーポレーションは現在深刻な資源不足に陥りつつある。資源が豊富なザナル王国と同盟を結べるまたとないチャンスだ。ザナル王家にはラヴミリアン家の者としてお前を嫁に出す。出来るな?」
ウッソでしょ!?冗談でしょ!?無理でしょ!?無理無理無理無理!!とは拒否権などはなから持ち得ないオレちゃんにそんなこと言えるはずもなく…
「……仰せとあらば」
こういうことがあって、オレちゃんはあの最低王子に嫁ぐハメになった。
てゆーかー?野郎が女の子のフリして野郎に嫁ぐとか頭がおかしいんじゃないの!?




