第四話:野の畑、目覚める呼吸
〈山門の下 ゼンの庭〉
木々の合間から差し込む陽光は、粒子となって草はらへ降り注いでいました。
色とりどりの花と、健やかさを奏でる草草の緑が、優しく私の心を解きほぐしてくれます。
こだまする鳥のさえずりが耳に優しく、土や草、花や虫たちのいのちの香りが、私を安心させてくれるのです。
ああ、なんと心地よい。
立ち尽くす私の目の前で、ゼンさんは草の海に膝をついていました。
そして私はあることに気付きました。
(……これは、畑?)
野の花が咲きほこる中に確かに野菜たちが見えるのです。
私の知る畑は、町の通りに家々が並ぶように、野菜たちが均された土道の両側に並ぶ場所。
でもここは畑と呼ぶには程遠い、草の合間に獣道のような条があり、その両側に点々と野菜たちが、植わっている、いえ、生えているというのでしょうか。
背の高い草も、名もなき花も、そしてその隙間に顔を覗かせる野菜たちも、互いに場所を譲り合うようにしてそこにあるのです。
ゼンさんは膝を起こし立ち上がると、ゆっくりと歩を進めながら、まるで眠っている子供の髪を撫でるような手つきで、草たちの上に手をそよがせていました。
私には気付いておいでです。
でも特に私に目線を配るでもなく、ただ気付いているという気配だけで、私に挨拶しているように感じられました。
この一面の野の世界と、まるで鳥や蝶のように自然と佇むゼンさんの姿に、私はすっかり町のことや本陣のこと、お寺参りのことも全てがどこか遠い国のことのように感じられていました。
今、私の眼に映るものはなに?
ここは虚ろの国なの?
私はどこへ迷い込んだというの?
ゼンさんが、足元の茂みから、ひとつ人参を抜き取りました。
また一つ二つ、また別な場所から青菜と大根を取りあげました。
一見するとそれはとても不思議で、草の合間からあるはずのない野菜を取り出してるような、見世物の催しを観ているかのようでした。
その野菜たちも、不揃いでいながら市場のものと遜色なく、色は陽光を浴びてとても鮮やかで、不思議なほど食欲を掻き立てます。
私が気付いた時には、ゼンさんは私のすぐ側にいらっしゃいました。
「お嬢様、どうぞお持ちください」
ゼンさんの声。
初めて聞いたそれは、なぜかとても懐かしく、優しい余韻と共に記憶の奥底に響くような声でした。
差し出された野菜に意識が戻り、一瞬だけ躊躇しました。
けれど、彼のその何の忖度もなく、屈託のない姿と目を見て、私も素直に差し出された野菜を受け取りました。
「……ありがとうございます」
一瞬、私が私の声に驚いていました。
私は自分の呼吸が変わったことに気付きました。
これまで本陣の奥底で、胸の浅いところで繰り返していた細い呼吸ではありません。
足の裏から、土の冷たさと熱を吸い上げ、全身の細胞を呼び覚ますような、滑らかな呼吸。
私があっけにとられている間に、ゼンさんはまた野の間の道を手をそよがせながら歩いて行きました。
私には、見渡す限りのその光景と、ゼンさんのその姿が、まるで小さい頃に母上が寝床で語ってくれたお伽話のようで、空を見ながら河原で想像した絵空事のようにも感じられました。
時に恐ろしく感じられる木々を抜ける風の音も、ここでは歓迎の大合奏のように心地よく感じられます。
蜜蜂が花から花へ飛び回っているのも、蝶がひらひらと舞い、その下の草の間を天道虫が歩き回っているのも、全てが喜びに満ちて感じられました。
しばしその美しい桃源郷のようなゼンさんの畑に、私はうっとりして時間を忘れていました。
その時の私は、背後の木陰から様子を伺うズイシンの気配に気付く由もなく、はたまた一之介という若き侍がズイシンとなる所以も、ゼンという野鍛冶が私の記憶の奥深くに潜んでいらっしゃることも、まだ知る由もなかったのです。




