37.決着
リゼは焦る気持ちを抑えながら、国境沿いから皇都まで急いで飛んで帰ってきた。眼下に広がる街はいつも通り賑わっていて、特に異常はないように見える。
『街に被害は出ていないようだね』
「うん。城の皆が無事だといいんだけど……。流石にまだ戦いの途中よね」
皇城での開戦は、まだ始まって一時間ほどしか経っていないはずだ。しかし、皇城が近づいてきても、戦場の喧騒が聞こえてこない。あまりにも静かすぎる。ウィンター王国から小隊しか到着せず、焦ったブロイド公爵が作戦を中止したのだろうか。
リゼが正門に降り立つと、フェンリルが待ち構えていた。敵軍の姿は見えず、彼しかいない。閉じられているはずの正門が開いており、リゼはひやりと背筋が凍った。
「フェンリル!」
『おお、リゼ! お帰り!』
呑気にそう答えるフェンリルに、リゼは駆け寄って尋ねる。
「どうして正門が開いているの? 敵に突破されたの!?」
『違う違う、ついさっき終わったんだ。捕らえた敵を収容するために門を開けたのさ』
「終わった? もう!?」
驚くリゼに、フェンリルはニヤリと笑う。
『城内戦は皇帝の策略が綺麗にハマってな。こっちはほとんど被害なしだ』
フェンリルの報告にホッと胸を撫で下ろす。きっとルーファウスも無事なのだろう。
「ブロイド公爵は? 誰が倒したの?」
『皇帝が直接戦ったらしい。不意打ちを喰らわなきゃ、皇帝にとっちゃブロイド公爵も目じゃなかったってわけだ』
「そっか。良かった……」
ルーファウスはやっと、両親の仇敵と決着をつけることができたのだ。これで過去と決別できただろうか。過去に囚われず、前を向くことができるだろうか。
もう二度と、ルーファウスが「血濡られた誕生日」の悪夢を見ませんようにと、リゼは小さく祈った。
正門を通り中に入ると、兵たちが敵軍を縛り上げたり、怪我人の治療に当たったりと、忙しなく動いていた。後始末をしている最中のようだ。
すれ違う兵たちは皆、興奮した様子でフェンリルやウンディーネの神聖な姿と圧倒的な力を称賛していた。しかしそれ以上に、ルーファウスの手腕を褒め称える声が聞こえてくる。
戦力としては勝っていたので、帝国軍が負けるとは思っていなかったが、まさかこんなにも早く戦いが終結しているとは思わなかった。ルーファウスの戦いっぷりが見られなかったのが悔しいとさえ思ってしまう。
皇城内に入ると、外よりももっと慌ただしかった。大広間で守られていたはずの大臣たちはすでに出てきており、今後の対応に追われているのか、城のいたるところで喧々諤々と議論を交わしている。
その中に宰相コーネリアスの姿もあり、リゼは彼にルーファウスの居場所を教えてもらった。彼は今、前皇帝の私室――彼の両親が亡くなった部屋にいるという。
リゼは喧騒をかき分け、ルーファウスのもとへと向かった。彼の夢の中で通った道を辿ったおかげか、迷わずに着くことができた。扉は開かれており、中にはルーファウスがただ一人、ポツンと窓辺に立っている。彼はぼんやりと外を眺めていた。
リゼが声をかける前に、ルーファウスは気配に気づいたのか、その場で振り向いた。彼はリゼの姿を見て、わずかに目を見開く。
リゼは部屋の入り口で立ち止まった。この部屋には、あまり踏み入ってはならない気がした。何か大切なものを壊してしまいそうで。
「ルーファウス様。お約束通り、生きて戻りました。この通り無傷です」
ルーファウスはゆっくりとリゼに歩み寄り、思わずと言った様子で手を伸ばした。しかしその手はリゼに触れることなく宙をさまよい、そのまま降ろされる。
彼は苦しそうに笑った。
「よく戻った」
昨夜は触れてくれたのにと、リゼの心が締め付けられる。「最後に君に触れても?」という彼の言葉は、もしかしたら言い間違いではなかったのかもしれない。もう二度と、触れてはくれないのかもしれない。
リゼにはルーファウスの心がわからなかった。
彼に自分の胸中を悟られないようにと、無理やり笑顔を作る。
「ルーファウス様も、よくぞご無事で。見事な手腕だったと伺いました。過去と決着をつけることができましたか?」
「ああ。ようやく、両親の墓前で報告することができる」
ルーファウスはそう言うと、部屋の中を見渡した。今は改装されたこの部屋には、当然ながら血の跡はない。
しかし、そこにかつてあった光景は、リゼの脳裏に焼き付いている。彼は今、その光景を思い出しているのだろうか。それとも、それよりずっと前の、両親が健在だった頃のことを思い出しているのだろうか。
ルーファウスは懐かしむように目を細めた後、すぐにリゼに向き直った。彼の眼差しは真剣だ。
「リゼには酷な役割を強いてすまなかった。ひどい扱いを受けていたとはいえ、母国の兵と戦わせしまった」
リゼはゆるゆると首を横に振る。
「よいのです。私も、過去と決着をつけることができましたから」
ルーファウスはピクリと片眉を上げ、首を傾げた。彼の疑問に答えるように、リゼは続ける。
「実は私、母が亡くなった時のことを全て忘れていたのです。精霊王たちが私を思って、記憶を隠してくれていたようで。でも今日、街道の近くに母の墓石を偶然見つけて……。その時、全てを思い出しました」
リゼの話に、ルーファウスは一瞬大いに驚いた表情を見せた後、すぐに気づかわしげに眉根を寄せる。
「……大丈夫か?」
「はい。ようやく、前に進める気がします」
リゼは穏やかに笑った。
ずっと霧に包まれていた道は晴れやかだ。これからはしっかりと、地に足をつけて歩いて行けるような気がした。
* * *
それから一か月が経った。
ブロイド公爵は国家反逆罪として極刑となり、彼の企てに深く関わった者たちにも同様の処分が下った。ブロイド公爵側についた兵たちは、彼に脅されてやむなく寝返った者もいたため、どのような処分とするかは慎重に判断が行われている最中らしい。
そして、ウィンター王家もまた、セレスティア帝国に反旗を翻したとして、見せしめの意味も込めて極刑が決まった。捕らえられた彼らは今、皇城の特別牢に入れられており、四六時中断末魔のような叫び声を上げているそうだ。特に国王がひどく、「側妃に殺される」だの「殺すつもりはなかった。許してくれ」だの、訳の分からないことを叫びながら、気が狂ったように壁に頭を打ち続けているという。
一方、ブロイド公爵の孫娘であるマリーナは、リゼの口添えもあって、極刑は免れた。しかし、罰を与えないわけにもいかず、彼女の家は爵位を剥奪され、今は平民として遠くの街で静かに暮らしているそうだ。
マリーナの生活が心配になったリゼは、一度彼女に手紙を送ったことがあった。すると彼女からは、「大好きな妹と一緒に居られて、城にいたころよりずっと幸せだ」という返事があった。
あと特筆すべきことがあるとすれば、アンジェリカの恋が実ったということだろうか。決戦の日、彼女の想い人である元護衛騎士も参戦していて、偶然再会を果たしたのだ。
アンジェリカはこれが最後のチャンスだと、自分の気持ちを全てぶつけた。正妃になれなければ国に帰るから、そしたら自分をもらって欲しい、と。
彼の返事は、「ずっと待ってる」というものだった。アンジェリカにとって、これ以上ない返事だった。
シャーロットはというと、ルーファウスへの気持ちはきっぱりと諦めたらしい。彼女は正妃になるのはリゼだと確信しており、自分が側妃になった暁には、この国で精霊術師として自由気ままに生きていこうと考えているようだった。
そんなある日の正午前のこと。
リゼが屋敷の庭先に出ていると、突然ルーファウスが訪れた。彼を見るのは実に一か月ぶりだ。彼が夜以外にこの屋敷を訪れるなど、初めてのことである。
リゼが驚いて声を出せないでいると、ルーファウスは穏やかに笑った。
「リゼ。急で悪いが、今から海を見に行かないか?」




