38.幸せの涙
――海に連れていく。
それは、決戦前夜にルーファウスが約束してくれたことだった。
まさかこんなタイミングだとは思わず、リゼは戸惑ってしまう。なにせ、ブロイド公爵が起こしたクーデターの後処理で、城内は誰しもが多忙を極めている。ルーファウスの忙しさは言うまでもない。
「大変うれしいお誘いですが、よいのですか? まだまだお忙しいでしょう?」
「少しくらいは大丈夫だ。ようやく少し落ち着いてきた」
そう言うルーファウスに、リゼは半ば強引に連れられ、馬車へと乗り込んだ。
皇城から海までは、少なくとも馬車で三日はかかる。今のこの状況で、皇帝がそんなに城を空けて大丈夫なのだろうかと、リゼはやはり不安になった。
馬車の窓から後ろを見ると、そこにはもう一台の馬車と、荷馬車が連なっている。後ろの馬車には誰が乗っているのだろうか。荷馬車には、道中のための荷物が積まれているのだろうか。
ルーファウスは何も語らなかった。ただひたすら窓の外を見つめ、リゼとの会話を避けているようにすら思える。時折リゼが話しかけるも、彼は言葉少なに答えるだけで、会話が続かない。ついにはリゼも彼との会話を諦めて、黙り込んでしまった。
二時間ほど走ったところで、馬車が止まった。そこは皇都と隣街を結ぶ街道の途中だった。
ルーファウスがなぜか馬車を降りたので、リゼも続いて降りようとするが、彼に視線で止められる。
「リゼ。ここでお別れだ」
「……え?」
リゼは馬車の中で固まった。
馬車の扉は開かれたままで、リゼとルーファウスを遮るものは何もない。それなのに、馬車の中と外で、明確な線が引かれている。
「港町まで、ここから三日もあれば到着する。帝国で三番目に大きな街だ。そこの一等地に、リゼ専用の屋敷を用意した。エリンがついて行くから、不自由はしないだろう。取り急ぎ必要となる荷物は後ろの荷馬車に積んであるが、他の荷物は後で運ばせる。精霊王たちもすぐに追いつく手はずだ。これからは何にも縛られず、好きなように生きろ。そして、もしこの国が嫌になったら、出ていっても構わない」
わっと濁流のようになだれ込んでくる彼の言葉に、リゼは表情を引きつらせた。脳が理解を拒んでいる。
「ルーファウス様……? 仰っている意味が、よくわかりません。私は妃として失格、ということですか?」
自分でもわかるくらい声が震えていた。声だけでなく、手も足も震え出す。
そんなリゼの手を、ルーファウスは優しく握った。彼の手が温かくて、リゼは泣きそうになってしまう。
ルーファウスは申し訳なさそうに表情を暗くした。
「リゼはずっと、自由を求めていた。それなのに俺は、ずっと気づけなかった。長らく城に縛り続けて、本当にすまなかった」
「……どうしてそんなこと仰るのですか? 私はそんな風に思ってなど――」
「避妊魔法をかけていたのだな」
リゼの息がヒュッと詰まった。途端に青ざめたリゼを見て、ルーファウスはやはりといったように傷ついた顔をした。
「それなのに、リゼを求めてすまなかった。本当に、悪いことをした。これはせめてもの、俺の償いだと思ってくれ」
(……待って)
声が声にならない。喉はヒューヒューと音を立て、ただ空気を通すだけで、言葉を届けてくれない。
「さよなら、リゼ。どうか……どうか元気で」
(……待って、話を聞いて)
彼の顔が涙で見えない。彼がどんな表情をしているかはわからなかったが、さよならと言ったときの声音で、ひどく苦しんでいることはよくわかった。
リゼの目から涙が零れ落ちた時、彼の手が離れ、自分の手が途端に冷たくなる。
ルーファウスはゆっくりと馬車の扉を閉めると、後方へと向かっていった。そこでリゼははたと気づく。
もう一台の馬車には、誰も乗っていなかった。彼が皇城に帰るためのものだったのだ。
窓から顔を出すと、彼はすでに後方の馬車に乗り込もうとしていた。この時を逃せば、一生彼に会えなくなると、リゼはそう直感した。
頭で考えるより先に、体が動いていた。リゼは馬車の扉を開き、勢いよく外に飛び出す。
「ルーファウス様!」
リゼはルーファウスの元へ全力で走った。それほど離れていないのに、彼までの距離が随分と長く感じた。涙があふれてはこぼれを繰り返す。
ルーファウスは名を呼ばれたことに驚いたのか、馬車に乗り込む前にこちらを振り向いていた。そんな彼に、リゼは勢いのまま抱きつく。
「リゼ……?」
「ルーファウス様のおそばにいても、いいですかっ……?」
嗚咽が漏れるのを堪えながら、リゼはかろうじて言葉を紡いだ。
泣きながら離そうとしないリゼに、ルーファウスは困惑しているようだった。
「……自由になりたいのではなかったのか?」
頭上で再び声が聞こえ、リゼは首を大きく横に振る。
「ルーファウス様のおそばにいられるのなら、自由など必要ありません……!」
そう言って顔を上げると、ルーファウスは心底驚いたように目を丸くしていた。
リゼは懸命に訴える。
「嫁いで来た当初は確かに、側妃になって帝国から出ていこうと考えていました。ですがそれは、この国でもひどい扱いを受けると勝手に思い込んでいたからです。皇城での生活は私が思っていたよりずっと自由で、ずっと楽しくて……。今はこの国に――ルーファウス様のおそばにいたいと思っています」
「そうだったのか……?」
「避妊魔法はすでに解きました。それに恐らく私は、ルーファウス様のお子を、身ごもっています」
「……!」
今から半月ほど前だろうか。リゼは漠然と、自分の中に、自分以外の魔力の存在があることに気が付いた。
初めは一体なんの病気だろうと不安になったが、時期を含めてよくよく考えてみると、それは自分の体内に新たな生命が宿っている証拠なのだと、得心がいった。
しかし、妊娠が確定するまでは様子を見ようと黙っていた矢先に、ルーファウスから別れを告げられてしまった。リゼにとって、それはどうしても受け入れられないことだった。
「私はあなたの隣で生きていきたいっ! それが私の、唯一の願いです!!」
涙が次々とあふれ、どうしても彼の顔がにじんでよく見えなかった。拭いたくても、彼を抱きしめている手を離してしまえば最後、彼はここから去ってしまうのではないかと怖かった。
「リゼ」
とても優しい声だった。だが、震えてもいる。
背中が不意に温かくなり、彼も抱きしめ返してくれたのだとわかった。
「愛している、リゼ。どうか、共に生きて欲しい。これからも永遠に守り続けると約束する」
ルーファウスの声はやはり震え、そして、わずかに上ずっていた。リゼは彼の胸の中にいるので顔を見ることはできないが、彼は今きっと、泣いている。
リゼは思わず抱きしめる力を強めた。
「はい……! 私も、私の持てる力全てで、ルーファウス様と、私たちの子を幸せにすると誓います……!」
「フッ……本当に……なんと頼もしい妻だろう」
ルーファウスは小さく笑った。彼は一度リゼを離し、触れるだけの優しい口づけをする。
今までで最も愛にあふれた口づけだった。
彼の想いがこの上なく嬉しくて、リゼはきゅっと胸を締め付けられる。そして、涙が拭われて視界がはっきりしたリゼは、ルーファウスの顔をようやく見ることができた。
やはり彼は泣いていた。泣きながら、嬉しそうに笑っていた。
「リゼ、帰ろう。俺たちの家へ」
ルーファウスの泣き顔を見るのは、これが二度目だった。一度目は、血塗られた誕生日の夢で見た、悲痛の涙。
しかし、今回は違う。
今、彼の目にあふれるのは、幸せの涙だ。
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