36.追憶
決戦当日。
支度を整えたリゼとヴェンヌは、エリンとフェンリル、ウンディーネに見送られ、早々にウィンター王国と帝国を結ぶ山中の街道へと向かった。
本来の姿のヴェンヌに乗り、空高く飛ぶリゼは、すっかり小さくなった皇城を後ろに見ながら、胸のざわめきを抑えきれないでいた。今日、あの城で血が流れる。どうか犠牲者が少しでも出ないようにと、リゼは強く祈る。
『城のことはフェンリルとウンディーネに任せれば大丈夫。僕たちは、僕たちの仕事に集中しよう』
「そうだね」
ヴェンヌに声をかけられ、リゼはようやく前を向いた。
目的の街道までは、それなりの距離がある。ヴェンヌに乗って向かったとしても、一、二時間はかかる予定だ。適宜森へ降り立ち、何度か休憩を取りながら向かった。
そして、とうとう国境が近づいてきた。国境と言っても、明確な線が引かれているわけではないので、上空から見る景色と地図を見比べて判断しているに過ぎない。
「この辺りで降りよっか」
『ううん……もう少し先まで行かない?』
渋るヴェンヌに、リゼは首を傾げた。待ち伏せ地点はすぐそこだ。それ以上は国境を越えてしまう。
今日の作戦は、ウィンター王国が帝国の領地に入ってきたところで一網打尽にする、というものだ。ウィンター王国領で迎え撃てば、こちらが先に仕掛けたことになってしまう。あくまで「相手が侵入してきたからやむなく対処した」という体を保たねばならない。
「これ以上は、行き過ぎじゃない?」
『そう、だね……』
ヴェンヌは渋々といった様子で、山の中に降り立った。近くの小川で水分補給をした後、最後の休憩として木陰で一休みする。ヴェンヌはその間も、そわそわして落ち着きがなかった。キョロキョロと辺りを見回し、まるで何かを探している様子だ。
「ヴェンヌ、どうしたの? さっきから様子が変よ」
『そ、そんなことないよ。ねえ、やっぱりもう一度空に上らない? その方が敵が来たことが分かりやすいし』
「街道はすぐそこだよ? わざわざ空を飛ばなくても大丈夫よ」
リゼは街道でウィンター王国軍を迎え打つのではなく、街道の両側を囲む切り立った山の上で待ち構えるつもりだった。そういう作戦であることはヴェンヌもわかっているはずだ。しかし、どうやら彼は、どうしてもリゼをこの場にいさせたくないらしい。
「さあ、そろそろ街道の方に行こう」
空で待ち構えても問題はないのだが、先に敵に見つかってしまうとそれはそれで面倒だ。リゼはヴェンヌの様子を訝しみながらも、そのまま進むことにした。
そして、街道の崖まであと少しというところで、森の中にポツンと大きな石が置いてあるのが目に入った。自然物にしては表面が妙に綺麗で、形も整っている。なんとなく墓石に似ているような気がした。
不思議な石だと思って視線がくぎ付けになる。岩の表面に文字が刻まれているのに気づき、リゼは吸い寄せられるように石へと向かった。
刻まれた文字を読み、リゼの心臓がドクンと跳ねた。
「お母さんの名前……?」
『きっと偶然だよ。先を急ごう』
すぐ近くにいるヴェンヌの声が、なぜかずっと遠くに聞こえる。リゼの頭の中には、数々の疑問がとめどなく湧いていた。
(これはお母さんの墓石? ということは、作ったのは私? でも、そんな記憶ない。それに、ここはまだ帝国領よね? どうして帝国領にお母さんの墓石があるの? わからない……何も思い出せない)
押し寄せる疑問の数々に脳が悲鳴を上げた。鋭い痛みが頭に走り、リゼは思わずその場でしゃがみ込む。
『リゼ!?』
「お母さん……」
リゼはふと後ろを振り返る。そこは、ただ木々が生い茂る、なんの変哲もない森の中。
(私はこの場所を知っている……)
血まみれで倒れる母が、すぐそこに見えた気がした。あの日は確か、雨が降っていた。
「あ……ああっ……。お、おかあ、さん……」
リゼはその場でひざまずき、母の幻影に手を伸ばす。
(そうだ……思い出した……)
あの日、リゼは母と共にウィンター王国の追手から逃げていた。とうとう捕まりそうになり、母はリゼを逃し、ひとりで追手を迎え撃った。
(私を逃すために、お母さんは死んだんだ)
自責の念が一気にリゼを支配する。
激しい逃走劇の末、いつの間にか帝国領にまで入り込んでしまったのだろう。だからこんなところに墓石があるのだ。
薄暗い曇天の中、母は土埃と血にまみれて放置されていた。母の亡骸を土に埋め、墓石をこしらえたのも自分でやったことだったのに、今の今まで忘れていたなんて。どこまでひどい娘なのだろう。
いつの間にか、とめどなく涙が流れていた。嗚咽を漏らし、過呼吸になりかけているリゼに、ヴェンヌが焦ったように語り掛ける。
『リゼ! すぐに忘れよう。それは君が背負う必要のない記憶だ!』
「ヴェンヌ、やめて! 消さないで!」
リゼは反射的に叫んだ。そしてすぐに思い至る。精霊王たちに記憶を操作されていたのだと。
「……そうか、ヴェンヌたちが、私の心を守ってくれていたんだね」
ヴェンヌは否定をせず、ただ申し訳なさそうに俯いた。リゼは頭の痛みを堪えて立ち上がり、彼の翼を撫でる。
「でも、もう大丈夫。私、戦わないと。私も、自分の過去に決着をつけないと」
『リゼ……』
「行こう、ヴェンヌ。あの国に、一切の未練はない」
リゼは涙を拭うと、足元に生えていた一輪の花を摘み、母の墓石に供えた。
「お母さん。私、負けないよ。絶対に、罪を償わせるから」
それだけ言い残し、リゼは街道へと向かった。その足取りは力強く、その表情は怒りと覚悟に満ちていた。
* * *
リゼは断崖絶壁の崖の上に立っていた。見下ろすと、そこには細い街道が伸びている。すでに寂れたこの街道に、人通りはない。
しかしほどなくして、遠くから土煙が近づいてきた。ウィンター王国軍の行軍だ。先頭には一際豪華な装飾を施した馬に乗った、異母兄の姿があった。その他にも、騎士団長など見覚えのある顔がいくつか。彼らに散々虐められた過去を、頭の片隅で思い出す。
異母兄が真下を通りかかろうとしたところで、リゼは声を張り上げた。
「お久しぶりです。ウィンター王国の皆さん」
誰もいないはずの街道に突然女の声が響き、王国軍は当然ながら一気に警戒を強めた。声の主はどこだと皆が見回している。最初に気づいたのは異母兄だった。
「あの女……、なぜあんなところに!?」
異母兄が崖の上を指さしたので、他の兵たちも一斉に上を見上げる。彼らは見知ったリゼの顔がそこにあることに、驚愕の色を浮かべていた。
「ここから先は帝国領です。どうか引き返してはいただけませんか?」
リゼの言葉が彼らに届くはずもなかった。兵たちは慌てて弓を構え、すぐにでも矢を射る準備を整えている。
リゼも彼らを説得するつもりなど毛頭なかった。一度警告したのにそれを無視して侵入しようとした、という実績作りのための言葉に過ぎない。
「殺せ! あいつを殺した奴には、なんでも好きな褒美を与える!!」
異母兄の言葉と共に、一斉に矢が放たれた。しかし、高くそびえたつ崖の上に届くはずもない。
「残念です。では、足止めせざるを得ませんね」
その言葉と共に、ヴェンヌが人に見える姿に変身する。神々しい黄金の羽を持つ巨躯の鳥に、彼らは唖然とし、その場に立ち尽くした。
「なんだ、あれは……?」
「まるで、神話に出てくる精霊王ヴェンヌの姿だ……」
「まさか、そんな……! 精霊王など、伝説上の存在だぞ!?」
慌てふためく兵らを見下ろしながら、リゼはヴェンヌの体に触れ、彼から膨大な魔力をもらった。
『後方の壁は僕が。前方は任せるよ』
「うん。よろしく、ヴェンヌ」
リゼが翼を優しくポンと叩くと、それを合図にヴェンヌは飛び立った。兵の視線は彼にくぎ付けとなる。
王国軍が今この場でとるべきは、一目散に全速前進することだったが、指揮官が悪かったようだ。
「帝国は私が守る。もう二度と、大切な人を奪わせない!」
リゼが指をパチンと鳴らした途端、王国軍の前方の地面が大きく揺れた。ゴゴゴゴゴという地響きと共に、徐々に地面がせり上がってくる。
異母兄や騎士団長が慌てて馬を走らせたが、その時にはすでに馬の背の高さを優に超える壁ができており、彼らはどうすることもできなかった。壁はまだまだ背を伸ばし、やがて五メートルほどの高さになって止まった。
「後退だ! 急いで後退しろ!!」
「だめです! 後ろにも突然、巨大な壁が立ちふさがりました!!」
「なんだと!? それでは、我々は閉じ込められたということか!?」
兵たちの表情が、途端に絶望に染まっていく。ようやく自分たちの状況を理解したようだ。
これで彼らは、前進も後退もできない。当然、補給路も絶たれた。
多くの人的被害を出すと後々禍根を残すので、三日もすれば壁は崩れるようにしてあるが、彼らはそのことを知らない。彼らは飢えの恐怖に怯えながら、数日ここで過ごすことになるだろう。
『後ろも終わったよ』
一仕事を終えたヴェンヌが戻ってきた。リゼは彼を抱きしめ、「ありがとう」と礼を言う。
自分の責務を果たせたリゼは、ようやく肩の力を抜いた。思った以上に緊張していたらしい。
『このままウィンター王城まで行って、国王や正妃たちに仕返しする?』
ヴェンヌにそう提案されたが、リゼは苦笑して首を横に振った。ここからウィンター王城まではかなりの距離がある。流石に赴く時間はない。
「そうしたいところだけど、早く皇城にもどらないと」
そこまで言って、リゼの脳裏にふと母の墓石が蘇る。自分が虐げられたのはまだ水に流せても、母の無念は誰が晴らすのだろう。
「……お母さんのこと、思い出してもらうくらいはいいよね」
リゼはウィンター王城のある方角に向かって、意識を集中させた。目を閉じて、祈るように手を合わせる。
脳内にウィンター王城をイメージする。その中の、王家の部屋。国王や、正妃や、異母姉が暮らす部屋。そこにいる彼らを脳内に描き、リゼは魔法をかけた。
(お母さんのこと、どうか忘れないでください。自分が犯した過ちを、どうか忘れないで)
魔法をかけ終わったリゼは、ゆっくりと目を開ける。これで彼らは、しばらく母の――自分たちが死に追いやった女性の幻影を見ることになるだろう。
「少し意地悪しすぎたかな?」
リゼが問うと、ヴェンヌはいたずらっ子のような笑みを浮かべている。
『いや、いいと思う。さて、帰ろうか、リゼ』
「うん」
戦いはまだ終わっていない。早く皇城に帰り、ルーファウスに加勢しなければ。
(……早く、ルーファウス様に会いたい)
リゼはヴェンヌの背に乗り、帰路を急ぐのだった。




