32.マリーナの涙
「ルーファウス様が森林街道で賊に襲われたあの一件。あれもブロイド公爵の仕業ですね。ルーファウス様に傷を負わせるなど、相当な手練れでないと不可能です」
ブロイド公爵は現役時代、この国一番の剣の使い手だったという。年老いた今では、ルーファウスの実力の方が上だろうが、不意打ちとはいえ彼に一撃を食らわせられるのはブロイド公爵くらいなものだろう。
ブロイド公爵はあの夜、「先にルーファウスを逃がす」という名目で彼を孤立させた。そして、近衛兵たちが賊を相手にしている中、混乱に乗じて自分もルーファウスの元へと向かった。賊ではルーファウスの命は取れまいと、自らの手で仕留めに行ったのだろう。
ブロイド公爵がルーファウスの命を狙ったということは、ルーファウスの両親を殺害した黒幕もおそらくは彼だ。公爵は孫娘であるマリーナを使ってウィルバートを誘い出し、彼を「ルーファウスが両親を殺害した」目撃者として仕立て上げた。
四妃が揃った後、ルーファウスがリゼの元へ通ったと知ったブロイド公爵は、大層焦ったことだろう。皇帝を排斥しようとしているのに、その子供が生まれたら厄介だからだ。そこで彼は、マリーナにリゼを消すよう指示した。
しかしマリーナは、その優しさゆえに、リゼを殺しきれなかった。暗殺者ではなく人攫いを雇ったのも、あわよくばどこかで生きながらえて欲しいと思ったからなのかもしれない。
「正直に話してください。全てを打ち明けてくだされば、マリーナ様の罪が不問にできるかもしれません」
ここまでの話は、全てリゼの推測の域を出ない。だからこそ、マリーナの証言が必要なのだ。
リゼの訴えに、彼女は涙ながらに懇願した。
「どうかお願い……。全てをわたくしのせいにして、お願い。そうしないと、妹の命が……」
「妹君を人質に取られているのですか?」
マリーナは小さくうなずくと、泣きながら黙り込んだ。
リゼは一度立ち上がり、彼女の隣に座った。ハンカチを差し出し、背中をさすって彼女を落ち着かせる。
マリーナの方が背が高いはずなのに、今はとても小さく感じた。
「妹君をこのお屋敷に呼ぶことはできませんか? 私がマリーナ様と妹君を守ります」
妹の懸念が解消されない限り、マリーナは真実を話してくれない。そう思いリゼが提案するも、彼女は必死に首を左右に振った。
「それだけは絶対にできませんわ。この城には、お祖父様がいらっしゃるのですよ? 虎の住処に兎を連れてくるようなものですわ!」
「いいえ、必ず守ります」
「ルーファウス陛下でさえ殺されかけたのですよ!? あなたに何ができると言うのですか!」
叫ぶマリーナは、リゼの腕をつかみ必死で訴えかけた。
リゼは涙にぬれた彼女の瞳をしっかりと見据え、強くうなずいてみせる。
「今から、私があなたと、あなたの妹君を守れることを、証明してみせます」
そして、小さくつぶやく。
「フェンリル。ヴェンヌ」
「ひっ……!」
マリーナの視線が、リゼの背後に注がれた。二匹の精霊王が、そこにいるからだ。
実はこの部屋には、ずっとリゼのそばにフェンリルとヴェンヌが控えていた。しかし、マリーナは精霊術師ではないので、当然二匹の姿は見えなかった。そして今、彼らは人間にも見える姿に変身している。今の見た目は、本来の姿と同じだ。
巨大な白銀の狼と黄金の鳥を目の当たりにし、マリーナは目を見開き固まっている。
「彼らは精霊王のフェンリルとヴェンヌ。そして、私は精霊の愛し子です。私がブロイド公爵に負けることは絶対にないと、お約束します」
「愛し子……? 精霊王? まさか、そんな……」
愛し子も精霊王も、ある種伝説的な存在だ。マリーナは「信じられない」とつぶやいたが、実際にその姿を目の当たりにした今、受け入れざるを得ないだろう。
リゼはマリーナの手を取り、優しく微笑みかける。すると彼女も視線を精霊王からリゼに戻した。
「今まで必死に妹君を守ってこられたのですね。ですが、もう大丈夫です。私が絶対に守ってみせますから。だからこれ以上、一人で抱え込まないでください」
「あ……う……ううっ……」
マリーナはゆっくりと顔を歪め、しまいには嗚咽を漏らしながら泣き崩れた。そんな彼女を、リゼはしっかりと抱きしめる。きっと今まで誰にも言えず、孤独に戦ってきたのだろう。
(……この城にいる四妃は、みんな同じなんだ)
アンジェリカも、シャーロットも、マリーナも、リゼ自身も、それぞれの国の歪みを押しつけられ、背負わされた者たちだ。そしてきっと、ルーファウスも。
それがわかった途端、リゼのなかに、小さな使命感が生まれた。渦中にいる人間として、少なくとも今ある歪みは正さなければならない。
「お祖父様は」
胸の中でマリーナがポツリと呟いたので、リゼは彼女を離した。マリーナの目は赤く腫れているが、涙は引いたようだ。
「お祖父様は、ウィンター王国と手を組み、帝国を乗っ取るおつもりです」
とうとうマリーナが真実を吐露した。リゼはごくりと息を飲む。
マリーナ曰く、ブロイド公爵は、数年前から帝国の政権を握ろうと画策していた。その結果の一つが、ルーファウスの「血塗られた誕生日」だ。
本来ならそこでルーファウスに皇帝殺しの罪を被せ、ブロイド公爵がこの国の頂点に立つ算段だった。しかしルーファウスが自らクーデターを起こしたと宣言したことによって、彼が皇帝となり、公爵の計画が狂ってしまった。
その後、ブロイド公爵は、ルーファウスの命を狙い続けた。
しかし、なかなか仕留められないことと、徐々にルーファウスの勢力が大きくなっていることを危惧した公爵は、ウィンター王国と手を組むことにした。もしルーファウスの暗殺が成功したとしても、このままではルーファウス側の勢力に反発を食らうことが目に見えていたからだ。対抗するためには、対等以上の武力が必要だった。
現在、帝国軍の勢力は、皇帝派が六割、そして残りの半数を二分する形で、皇弟派とブロイド公爵派に分かれている。うまく皇弟派を取り込めたとしても、現状ではブロイド公爵はルーファウス派に敵わない。しかし、そこにウィンター王国軍が加われば、勢力図が逆転する。
ルーファウスの、黒幕として「思い当たる人物」というのは、ブロイド公爵のことだったのだろう。今のままでは手札が足りないと言っていたのもうなずける。
そして、宮廷晩餐会のあの日、リゼがウィンター王家に取り囲まれたのは、もしかしたらブロイド公爵が指示したことかもしれないと、リゼは思った。ウィンター王家にリゼの心を疲弊させ、ブロイド公爵が外へ出るよう促す、という作戦だったとしたら、リゼはまんまと策にはめられたことになる。
マリーナはルーファウスに嫁ぐ際、ブロイド公爵から「正妃に近い者が現れたら排斥せよ」とだけ命じられたらしい。もし歯向かえば、妹の安全は保障できないと脅され、彼女は従うしかなかったようだ。マリーナにとって、たった一人の大切な妹を見捨てる選択肢はなかった。彼女の両親はブロイド公爵の言いなりで、相談しても無駄だった。
四妃のお茶会でルーファウスが現れた際、マリーナがやたらと怯えていたが、あれはルーファウスにではなく、ブロイド公爵に対する反応だったのだ。それほどまでに、マリーナは血の繋がった祖父を恐れていた。
ルーファウスがリゼの元へ通うようになり、ブロイド公爵と共に色々と策を講じたマリーナだったが、ことごとく失敗に終わった。罪悪感が積み重なり心労がたたったのか、ここ数週間は本当に寝込んでいたようだ。
そして、ルーファウスが森林街道で襲われた件についてもマリーナから話を聞いたが、すべてリゼの推理通りだった。
「お祖父様はウィンター王国と共に、皇城に攻め込むつもりです」
「それはいつなのですか?」
「今からちょうど一か月後です。それまでに何か手を打たなければなりません」
そう話す頃には、マリーナの瞳に闘志が宿っていた。ブロイド公爵と戦う覚悟が決まったのだろう。リゼは彼女に力強くうなずいてみせる。
「まずはマリーナ様の妹君を保護しましょう。そして、ルーファウス様と作戦会議を開きます」
ウィンター王国にまつわる黒い噂と、ルーファウスを狙う黒幕については、こうして急展開を迎えたのだった。




