31.追い詰める
翌日の午後。リゼはマリーナの屋敷を訪れていた。今朝方、彼女から「今日の午後にぜひお茶会をしましょう」と返事があったのだ。
白と深緑で統一された洗練された造りのこの屋敷は、内装も凝っている上に、格式高い調度品が揃っている。流石はセレスティア帝国の公爵家の娘だ。幼い頃から一流のものに触れ、センスを磨いてきたのだろう。
リゼは客間でマリーナと対面していた。向かいのソファに座る彼女は、少しやつれたようにも見えるが、穏やかな微笑みは健在だ。
「お手紙をありがとうございます、リゼ様。とても嬉しかったですわ。体調を崩していて、すぐにお返事できず申し訳ありませんでした」
「いえ、お気になさらないでください。お元気になられたようで安心しました」
リゼは紅茶を出されていたが、まだ一口も飲んでいない。緊張で喉はカラカラだったが、万が一に備え、飲むわけにはいかなかった。
無駄話は避けるべきだろうと、リゼは意を決して、マリーナの瞳をしっかりと見据える。
「マリーナ様。どうか正直にお答えください。どうして宮廷晩餐会の日、私を池に突き落としたのですか?」
「ええと……なんのことかしら?」
頬に手を当て、困ったように微笑む彼女に、リゼは構わず続ける。
「池の水面に映っていたのです。ローブをまとった小柄な人物――マリーナ様、あなたのお顔が。あの日、あなたは体調不良を理由に、先に会場を後にしましたね。しかしあなたは屋敷へは戻らず、あの池の近くで待っていたのです。私がやって来るのを。違いますか?」
「…………」
マリーナの顔から一瞬にして笑みが消え去った。マリーナは目を見開いた後、今まで彼女からは聞いたこともない、とても冷たい声を出す。
「それはおかしいですね。水面に映ったわたくしの姿を見たというのなら、なぜ今まで黙っていたのですか? まさか、わたくしを無実の罪で罰しようとでも?」
(……すぐには認めてくれないか)
ここで引いてはならないと、リゼは心の中で気合を入れた。マリーナの言葉に押し切られないよう、思考を巡らせる。
水面に映るマリーナを実際に見たのはリゼではなく、水の記憶をたどったウンディーネだ。マリーナの言う通り、水面に顔が映っていたと主張するなら、このタイミングで打ち明けるのは違和感が生じる。
「いろいろと確信がなかったからです。それこそ見間違いだった場合、マリーナ様を無実の罪で糾弾することになってしまいますので」
リゼはそう言ってマリーナの追及をかわした。彼女の指摘はもっともだったが、リゼにはとっておきの切り札がある。
「私が確信を持ったのは、マリーナ様からお返事をいただいた時です。私からのお誘いの手紙は、私の屋敷への招待だったはず。それなのになぜ、マリーナ様はご自分の屋敷に私を招いたのですか? まるで、私の屋敷に来られない理由があるかのようですね」
「それは……まだ体調が万全ではなかったからよ」
「では今から、私の屋敷に来ていただけませんか? 体調が優れないのなら、車いすをご用意いたしましょう。もし私の屋敷に入ることができたなら、私はこれ以上マリーナ様を追及しません」
「…………」
マリーナの視線が泳いだ。彼女は反論しようと口を開くも、言葉が出てこない。
どうやら、勝負あったようだ。
リゼの屋敷には、ルーファウスが施した強固な結界が張られてある。その結界により、リゼに対して悪意のあるものは決して立ち入れない。そのため、アンジェリカとシャーロットは確実に白だった。屋敷に入って来られる時点で、リゼへの敵意がないとわかるからだ。
しかしマリーナは、リゼの屋敷へ赴くことを避け、自らの屋敷へとリゼを招いた。彼女の沈黙は、何よりも雄弁に自分が犯人だいうことを物語っている。
マリーナは、とうとう諦めたのか、深い息を吐いた。彼女の顔は青白く、伏し目がちだ。ほんのわずかな風が吹いただけで、この世から消え去ってしまいそうなほどに、弱々しかった。
「リゼ様。まずは謝罪を。あなたを池に突き落としたのは、間違いなくこのわたくしです。大変申し訳ございませんでした。そしてあなたに、わたくしが知りうる全てを話します」
マリーナはそこから、様々な話を聞かせてくれた。
宮廷晩餐会のあの日、マリーナは体調不良を装い、早めに会場を去った。そして、あらかじめ仕込んでおいた貴族に騒ぎを起こさせ、庭園にいた衛兵たちをそちらへ向かわせた。ローブをまとい、誰もいない池の近くで待ち構えていたマリーナは、隙を狙ってリゼを池に突き落とした。
リゼとシャーロットが王都へ出かけた時、二人を攫うよう賊を雇ったのも自分だと、マリーナは語った。理由は、正妃争いに勝つため。妃の情報は、四妃の間では割と早く回るので、二妃が出かけるという話を耳にしてすぐ、マリーナは賊を雇い、二妃の外出の情報を漏らしたそうだ。
「わたくしを皇帝陛下に突き出しますか?」
マリーナの表情は、もはや晴れやかだった。全てをやり遂げたような、ようやく重責から解放されたような、そんな表情。
「迷っています」
「迷う? なぜ? わたくしはあなたを殺そうとしたのですよ?」
リゼは胸が痛んだ。今からマリーナに対して、酷なことを言う。彼女に戦えと、言わなければならない。
「マリーナ様は、まだ隠し事をしていらっしゃいますね。確かにあなたは私を池に突き落とし、賊を雇って私を誘拐したかもしれません。ですが、それはあなたの意思ではない。違いますか?」
「…………」
マリーナは心底驚いたように目を見開くと、途端にカタカタと震え出した。呼吸も浅くなっている。
「違う……。嘘なんて、ついていませんわ……」
「ずっと疑問だったのです。なぜあなたは、賊に私を殺すよう命じなかったのか。わざわざ人攫いなどという、面倒なことをしたのか。正妃争いに本気で勝ちたかったのなら、暗殺者でも雇って確実に殺そうとするはずでしょう? それに、池に突き落とすという行為も中途半端です。殺したければ、私が浮かんでこないか最後まで確認すべきでした」
「……そんな度胸、わたくしにはありませんでした」
震えながら頑なに否定するマリーナを、リゼは不憫に思った。そして、同時に怒りが湧いてくる。彼女に対してではなく、彼女を操る黒幕に。
「マリーナ様。あなたは誰に命令されているのですか?」
「だ、誰にも命令などされていませんわ。わたくしは……わたくしの意思で……」
「命令しているのは、あなたのお祖父様――ブロイド公爵ではありませんか?」
「断じて違いますっ!」
マリーナの声は悲鳴に近かった。ブロイド公爵の名が出た途端、彼女の瞳にはありありと恐怖の色が浮かんだ。
「ではなぜ、宮廷晩餐会のあの夜、私が庭園の池に現れるとわかったのですか? 事前に知らなければ、待ち伏せなどできません。ブロイド公爵に、池の近くで待っていろと言われたのではありませんか?」
「……っ!」
マリーナの顔が一瞬にして絶望に染まる。彼女は両手を口元に当て、叫び出しそうになるのを必死にこらえていた。
宮廷晩餐会のあの日、リゼを外に出るよう促したのは、まぎれもないブロイド公爵だった。ウィンター王家に囲まれていたところをルーファウスが助けてくれた後、ブロイド公爵が自然な会話の流れで、リゼに「外の風に当たってきてはどうか」と提案したのだ。大広間のバルコニーから階段を降りると、庭園に出られるからと。
ブロイド公爵は、昔は軍部の頂点に君臨していた人物だ。当然ながら、衛兵の位置は熟知しているだろう。マリーナに庭園の衛兵を遠ざけるよう策を与えたのはブロイド公爵ではないかと、リゼは睨んでいた。マリーナに自分の名を使わせ、衛兵を動かした可能性もある。ブロイド公爵の名が出てくれば、衛兵たちは揃って騒ぎの元へと駆け付けるだろう。
それに――。




