30.犯人の名は
リゼが攫われたあの日の夜を境に、ルーファウスはぱったりと屋敷へ訪れなくなった。
彼に何かあったのだろうかと心配になって、リゼはエリンに何度も尋ねたが、
『お元気でいらっしゃいますから、ご安心ください』
『ご公務でお忙しいのです。きっとまたいらっしゃいますよ』
と、そんな返事ばかり。リゼが尋ねると、エリンは決まって困った顔をする。彼女もなぜルーファウスがリゼの元へ通わなくなったのか、よくわからないでいるようだ。
あの日、何か粗相を働いてしまったのだろうかと思ったが、記憶がぼんやりとしてよく思い出せない。それがなおさらリゼの不安を増長させた。
そんな折、シャーロットから手紙が届いた。そこには、ルーファウスに贈り物をし、自分の想いを伝えたという旨が書いてあった。ルーファウスからは「ありがとう」という、どちらとも取れない返事をもらったという。
シャーロットは彼に、精霊術師であることも打ち明けたが、「君の力を利用する気は一切ない。その力は自分自身のために大切に使いなさい」と言われたそうだ。実に彼らしい返事だと、リゼは思った。
シャーロットがルーファウスに会えたなら、彼が元気というのは本当なのだろう。彼の無事にホッとすると同時に、ずっと顔を見ていないことに寂しさも覚えた。そして、自分が彼を求めていることに驚きもした。ここ数日は、寝台がとても広く感じてならなかった。
そして、数週間が経ったある日のこと。
リゼの屋敷には、アンジェリカとシャーロットが訪れていた。リゼが接点となり、二人はすっかり打ち解けたのだ。
リゼと友人になって以降、アンジェリカはとげとげしい雰囲気がなくなり、シャーロットも随分と口数が増えたように思う。
今は三人そろって屋敷のサロンでお茶を楽しんでいた。アンジェリカが深紅の瞳を輝かせながら言う。
「ねえ、リゼ。今度わたくしとも一緒に出掛けましょうよ! あなたに似合うドレスを買いに行きましょう!」
すると、シャーロットが聞き捨てならないというように口を挟む。
「あら、それならわたくしだって、リゼと買い物に行きたいわ。この前は途中で賊に攫われて、最後まで楽しめなかったんだもの」
静かに火花を散らす二人を見て、リゼは慌てて止めに入った。
「さ、三人で行きましょう、三人で!」
リゼの困り果てた顔に、アンジェリカもシャーロットも柔らかく笑う。二人はまるで、妹を見守る姉のような表情だ。どうやらからかわれていたらしい。
アンジェリカは「リゼったら、かわいいんだから」と言って頷く。
「そうね、三人で行きましょう」
「ええ、そうしましょう。でも、マリーナ妃だけ仲間外れというのも、外聞が悪いわね」
シャーロットの言うことはもっともだった。ここ最近、こうして三人で会うことは増えたが、マリーナには一向に会えずじまいなのである。
「本当は、マリーナ様ともお近づきになりたいのですが……」
マリーナにお茶会の誘いを送ってから、実に三週間以上が経っている。彼女からは、断りの手紙どころか、返事すらない。リゼは彼女から一切の反応がないことに不安を覚えていた。
「宮廷晩餐会の日から、ずっと体調が優れないそうよ。屋敷からもろくに出ていないとか」
アンジェリカが語った噂話は、リゼも耳にしていた。
宮廷晩餐会の日、マリーナは体調を崩し、先に屋敷に戻ったという。それからずっととなると、約二ヶ月もの間、寝込んでいるということになる。
実は、お茶会の誘いを送った後、リゼは何度か見舞いの手紙も送っていた。しかし、それにも返事はなく、リゼはマリーナの安否を心配していたのだ。
その後、お茶会がお開きになったあと、エリンが血相を変えてリゼの元に飛んできた。その手には、白い封筒が握られていた。
手紙の送り主はマリーナだった。とうとうマリーナから返事が来たのだ。
リゼが意を決して封筒の中身を見ると、そこにはお茶会の誘いへの感謝と、今まで手紙を返せなかったことへの謝罪がしたためられていた。そして、「ずっと体調が優れなかったがようやく回復したので、ぜひ自分の屋敷に来てくれないだろうか。お茶会を開いてもてなしたい」という趣旨の内容も書かれていた。
リゼはすぐに返事を書き、都合が会えば明日にでもぜひ、と伝えた。
いよいよマリーナと会い、話を聞ける。彼女と話すのは、あの四妃のお茶会以来のことだった。
その夜、リゼは寝台の中に入ったものの、ソワソワとしてなかなか眠れないでいた。いつもはフェンリルとヴェンヌの温もりですんなり眠れるのに、マリーナとのお茶会のことを考えると、目が冴えてしまう。
体勢を何度も変えながら、なんとか寝つこうと奮闘していると、突然、裏庭の方から大声で名を呼ばれた。
『リゼ! まだ起きてる? 伝えたいことがあるから、すぐにいらっしゃい!』
ウンディーネの声だ。
リゼは寝台から飛び起き、フェンリルとヴェンヌとともに、すぐさま裏庭にある池へと向かった。ウンディーネはそこで、リゼが来るのを待ち構えていた。
『リゼ!』
「どうしたの? 何かあったの?」
ウンディーネの慌てように、リゼは大変な事が起きたのではと背筋が冷える。彼女はリゼの両肩を掴むと、興奮した様子で叫んだ。
『わかったのよ! リゼを池に突き落とした犯人が!』
「え!?」
『池の水面に映っていたのよ。犯人の顔がね!』
ウンディーネは得意げに言ってから、すぐに悔しそうに歯噛みする。
『ああ、どうしてもっと早くに気がつかなかったのかしら。現場にいた精霊たちに話を聞くばかりで、水面を調べるなんてこと、すっかり頭から抜け落ちていたわ!』
ウンディーネは水を司る精霊王だ。水面が何を映していたのか、などという本来なら到底知り得ない情報も、彼女なら水の記憶を辿り、知ることができる。
『で、誰なんだよ』
『もったいぶってないで、早く教えてよ』
ウンディーネに焦らされたフェンリルとヴェンヌは、少々苛立っている様子だ。愛し子を殺そうとした犯人を、早く懲らしめたくて仕方がないのかもしれない。
『リゼを池に突き落とした犯人。それはね――』
ウンディーネが口にしたのは、リゼの予想通りの名前だった。




