幕間4ー3.リゼの真実
リゼの言葉に、ルーファウスの心臓がドクンと跳ねた。頭が痺れ、背筋が凍る。この話題は――母親の話は絶対にしてはならなかったのだと、今更になって気づく。だが、もう遅かった。
リゼは顔を引きつらせながら、歪に口角を上げる。
「あれ……? おかしいな。お母さんって、どうして死んじゃったんだっけ……。あれ?」
「リゼ、何も考えなくていい」
「どうして死んで……痛っ」
リゼが突然、両手で頭を押さえ顔を歪ませた。激しい痛みが走ったようだ。ルーファウスは咄嗟に彼女の肩を支えた。
「リゼ! 大丈夫か?」
「…………」
「頭が痛むのか?」
「……お母さん。嫌だよ。一緒に逃げよう?」
「リゼ……?」
ルーファウスがリゼの顔を覗き込もうとしたその時。彼女はルーファウスの服の袖を掴み、激しく揺さぶった。
「お母さんがいなくなったら、私はどうやって生きていけばいいの? 嫌だ、嫌だよ、一緒に逃げて! 私を一人にしないで!!」
リゼの悲痛な叫び声が、ルーファウスの心をえぐった。彼女の目は虚ろで、焦点が合っていない。
取り乱したリゼをどうにか落ち着かせようと、ルーファウスは強く彼女を抱きしめた。大声で泣きわめく彼女は、腕の中で叫びながらバタバタと目いっぱい暴れるので、怪我をしてしまわないかと心配になる。しかし今離すと、彼女はそのままどこかへ飛び出して行ってしまいそうだった。
途方に暮れていると、不意に諭すような穏やかな声が聞こえた。
『大丈夫だ、リゼ』
『何も心配することなんてないよ』
その声で、リゼの動きがぴたりと止まる。腕の中を確認すると、彼女は気を失ったように、静かに寝息を立てて眠っていた。長いまつげは涙で濡れている。
『リゼに母親の話はするな』
次に聞こえたのは冷たく険しい声だ。ルーファウスは振り返り、窓辺へ視線を向ける。
フェンリルとヴェンヌがいつの間にか部屋に入ってきていた。普段のかわいらしい獣の姿ではない。白銀の毛並みを持つ巨大な狼と、黄金色の羽を持つ巨大な鳥。
これが彼らの本来の姿なのだろうと、ルーファウスは直感的に思った。
(……怒りを買ってしまったか)
普通の人間が精霊の姿を見ることはできない。にもかかわらず、わざわざルーファウスに見えるように顕現するなど、威嚇以外の何ものでもないだろう。
「彼女の記憶を消したのか?」
リゼの母親が亡くなったのは四年前、彼女が十二歳の時。普通なら、覚えていないはずがない。それなのに、リゼは母親の死因が思い出せない様子だった。
とすれば、可能性は一つ。精霊王たちがリゼの記憶を消したのだ。
ルーファウスの問いに、フェンリルは唸った。
『消してはない。記憶の奥底に沈めただけだ。当時のリゼでは、母親の死を受け入れることはできなかった。あのままではリゼが壊れてしまっていた』
ヴェンヌはリゼの過去を憂うように、静かに語る。
『あの日――ウィンター国王が放った捜索隊に追われた日、リゼの母親はリゼを逃がした。僕たちは、リゼについていったよ。それから、捜索隊が諦めて森が静まった後、リゼは母親を探しに行ったんだ。でも、見つけた時には、母親は血まみれの状態で息絶えていた。リゼは自分のせいで母親が死んだと、激しく自分を責めた』
――似ている。
ルーファウスは自然と、両親が倒れていた光景を思い出していた。血塗られたあの光景を、何度夢に見たことか。そして、自分の未熟さを何度責めたことか。
しかし、ルーファウスは当時十八歳でそれなりに成熟していたが、リゼは当時十二歳だ。彼女の心が壊れるのも無理はない。記憶を操作することで彼女を守ろうとした精霊王たちの選択は正しかったのだろう。
だが、どうしても疑問が残る。
「なぜ母親の援護をしなかった? 精霊王ほどの力があれば、捜索隊を蹴散らすなど造作もないことだっただろう」
ルーファウスの問いに、フェンリルは眉をひそめた。
『精霊王たるもの、安易に人間に干渉してはならない。俺たちが直接人間に力を振るってしまえば、人間は精霊を憎み、精霊と人間の関係が壊れてしまう。違うか?』
「その言い分はわかる。だが、リゼの母親に魔力を貸すことはできたはずだ」
『愛し子でない一介の精霊術師に、精霊王への対価が払えるとでも? それこそ命を差し出すくらいのことをしないと無理だ』
フェンリルは苛立っているようで、グルグルと喉を鳴らしている。救いたくても救えなかったという思いが痛いほど伝わってきた。
精霊術師が精霊に払う対価は様々だが、基本的にその対価は、精霊の力の大きさに比例すると言われている。精霊王ともなれば、命をも差し出さなければならないのかと、ルーファウスは畏怖の念を抱いた。そして、リゼがいかに特別な存在であるか、改めて思い知らされる。
ヴェンヌが『それにね』と付け加える。
『仮にリゼが捜索隊を迎え撃ったとしてごらんよ。愛し子ということが知れ渡り、リゼは一生追われる身となっただろうね。愛し子の力を利用したいと思う奴はごまんといるから』
「……悪かった」
『いいよ。愛し子なんて滅多に生まれない。どんなものかわからなくて当然だ』
それからヴェンヌは、リゼが森の中で母親を見つけた後の話を聞かせてくれた。
――リゼは母親が倒れていた場所の近くに遺体を埋めた。そして、墓石になるような大きな石を魔法で運び、母の名を刻んだ。
墓を作り終えたリゼは、そこからしばらく動かなかった。雨が降っても、風が強く吹いても、墓の前から動こうとしなかった。そして、丸二日が経った頃、リゼはその場で倒れた。食事もとらず、眠りもせず、墓石の前でただじっとしていたのだから、体調を崩して当然だった。
フェンリルとヴェンヌはリゼを遠くの森へと運んだ。ウンディーネと合流できるよう、澄んだ湖の近くに新しい家を建て、そこにリゼを寝かせた。
それからリゼは三日三晩眠った。そして起きた時には、魂が抜けたように虚ろな目をしていた。食事もろくに取れず、次第にやせ細っていくリゼを見ていられなくなり、三匹の精霊王は「母親の死」について、リゼの記憶の奥底に隠すことにした。
次に目覚めた時、リゼはすっかり元気になっていた。彼女の中で、母親の記憶は曖昧なものとなった。
リゼの母親は、生前、リゼが人間界で生きることを強く願っていたそうだ。三匹の精霊王は母親に何度も「精霊の森にリゼを隠すべきだ」と申し出たが、母親が首を縦に振ることはなかった。
精霊の森とは、霊気に満ちた神聖なる場所――精霊王が統べる、彼らの住まい。そこはこの世にあってこの世にあらず、愛し子以外の人間は決して踏み入れることはできない。
――リゼが大人になって、自分で自分を守れるようになったら、街に出て人と関わり、人として生きて欲しいの。
ささやかな母親の願いを、精霊王たちは無下にしなかった。その願いがなければ、リゼはとっくに精霊の森に連れていかれていただろう。
今日は自分たちがリゼを見るからと、ルーファウスは精霊王たちによって半ば強制的に部屋から追い出された。本当は朝までそばにいてリゼを見守りたかったが、彼らがそれをよしとしなかった。
去り際、ルーファウスは「母親の死をずっと隠し続けるつもりか」と尋ねた。
『どうだろうな。今はまだわからない』
『リゼがいずれ過去を受け入れられるようになったら、伝えるかもしれないね』
彼らも答えを持ち合わせず、正解を模索しているようだった。
屋敷の階段を下り切った時、ルーファウスはいつも持ち歩いている懐中時計がないことに気がついた。暴れるリゼを押さえているときに、落としてしまったのかもしれないと、再び来た道を戻る。
リゼの自室の前に着くと、中から精霊王たちの声が聞こえてきた。
『正直、俺はリゼにとって何が最善の道なのか、わからなくなってきた』
『この城から抜け出した方がいいってこと?』
扉を開ける手が止まり、ルーファウスはその場で立ち尽くす。背筋がひやりと冷える。
『ああ。二度も命を狙われたんだ。精霊の森に連れていくまではしなくとも、せめてこの城からは逃がした方がいいんじゃないか?』
『それは一理ある。でも、リゼはこの城に来てから、ウィンター王国で失った本来の明るさを取り戻しつつある。僕はもう少し見守りたい』
『リゼが避妊魔法をかけ続けていることが答えじゃねえのかよ』
『それは……』
『正妃にならなければ、この城から出ていける。そうだろ?』
『そうかもしれないけど、僕はリゼの気持ちを最優先に考えたい。リゼがこの城から逃げたいというまでは、見守らないか?』
そこまで聞いたルーファウスは、すっかり顔から血の気が引いていた。
(避妊魔法……)
思い当たる節はあった。リゼは子や妊娠の話になると、決まって困ったような反応を見せるのだ。彼女の気まずそうな、後ろめたそうな顔が、脳裏に蘇る。
ルーファウスは踵を返し、そのまま玄関へと向かった。
「ルーファウス様、どうされたのですか? 顔が真っ青で――」
「なんでもない」
途中、エリンに声をかけられたが、適当に返事をして屋敷を出た。
そこから、どうやって自室に戻ったのか、自分でも覚えていなかった。




