幕間4ー2.リゼの異変
エリンからの報告が終わり、ルーファウスがリゼの自室の前に行くと、中から何やら言い争う声が聞こえてきた。
『リゼ! やっぱり俺らもついて行くべきだったじゃねえか!』
「そうは言っても、仕方ないじゃない、フェンリル。シャーロット様に気を遣わせたくなかったんだもん。こうして無事に帰ってきたわけだし、別にいいでしょう?」
『それはただの結果論だよ、リゼ。これから外出するときは、必ず僕かフェンリルを連れていくこと。いいね?』
「もう……。フェンリルもヴェンヌも心配性なんだから……」
リゼが精霊王たちに叱られているらしい。
リゼが愛し子だということがルーファウスにバレてからというもの、精霊王たちはこの屋敷内に限って、普通の人間にも聞こえる声で話すようになった。リゼ以外の人間――エリンとも会話するようになったからだろう。
ルーファウスが扉を叩くと、すぐにリゼが顔を出した。
透き通るような白銀の髪に、青空のように吸い込まれそうな瞳。愛らしい顔立ち。優しい笑顔。
ルーファウスはリゼに会うごとに、彼女に強く惹かれていっている自覚があった。小柄な彼女が懸命に見上げてくる姿が、この上なく可愛らしい。
「ルーファウス様」
「リゼ。無事で何よりだ」
「ご心配をおかけいたしました。この通り、怪我もなく元気いっぱいです」
その場でくるりと回ってみせたリゼを、ルーファウスは気づけば思いっきり抱きしめていた。
「……すまない。また危険な目に遭わせてしまった」
リゼを政争に巻き込んでいる罪悪感と、なかなか状況が好転しないことへの焦り。自分のせいで彼女まで命を落としたらと思うと、足元から恐怖が這い上がってくる。このまま腕の中に閉じ込められたなら、どんなにいいだろう。
リゼはルーファウスの胸に埋めていた顔を上げると、まるで子供を諭すような声音で言う。
「ルーファウス様のせいではないですよ」
リゼのまっすぐな目に射られ、ルーファウスは思わず唇を噛み締めた。そうでもしないと、今にも涙が滲んでしまいそうだった。
両親が殺されたあの日から、ルーファウスはこの国のすべてを背負い、生きてきた。誰が敵かもわからない閉じられた城の中で、疑心暗鬼になりながら、必死にもがいてきた。
血塗れの皇帝と恐れられ、多くの家臣が自分の元から離れていった。刺客に何度も命を狙われ、何度も死にかけた。それらはすべて、両親を守れなかった自分への罰だと思った。
黒幕を野放しにしておきながら、のうのうと皇帝の座に就いている自分が許せなかった。それなのに、弱音など、吐けるはずがなかった。
しかしリゼは、そんなルーファウスの心を見透かすように、奥底に沈めた弱さを掬い上げ、大丈夫と寄り添ってくれる。これ以上ない味方でいてくれる。
「ルーファウス様は、何も悪くありません。どうかご自分を責めないでください」
「……ありがとう」
ルーファウスは自分の顔を見られたくなくて、再びリゼをきつく抱きしめた。
彼女の温もりが、ルーファウスの心を和らげていく。彼女の言葉で、すべてを許された気がした。
ようやく気持ちが落ち着いたルーファウスは、リゼを横抱きにした。彼女は「ひゃっ」と可愛らしい悲鳴を上げて、落ちないように抱きついてくる。そして顔が思った以上に近いことに驚いたのか、彼女は頬を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いた。
精霊王たちはいつの間にか部屋から姿を消している。気を使ってくれたのだろう。
ルーファウスはリゼを寝台に座らせ、自分もその隣に座った。彼女の瞳を見つめ、意を決して言う。
「謝罪をさせて欲しい。俺はエリンに命じて、リゼを監視させていた。疑いはとうに解けていたというのに、黙っていてすまなかった」
「いいえ、気にしておりません」
リゼは柔らかく微笑みながら、なんてことないように言った。そしてすぐに、申し訳なさそうに表情を暗くする。
「ウィンター王国の動向について、何か情報を持っていればよかったのですが……。お役に立てず申し訳ございません」
「いや、むしろ何も聞かされていなくてよかった。事が起きた時に、リゼは無関係だったと主張できる」
ルーファウスがリゼの頭を優しく撫でるも、彼女は不安そうに眉を下げた。事が起きた時に、という言葉に反応したのだろう。
「やはり、ウィンター王国は帝国への反逆を企てているのですね」
ルーファウスはどこまでをリゼに話すか一瞬迷ったが、母国のことは知りたいだろうと、正直に伝える。
「……ああ。そう遠くない未来に、ウィンター王国とは戦争になるだろう。ウィンター王国で過剰生産された武器が、我が帝国に流れていた。おそらくは俺を排斥しようと企む黒幕が、王国を利用しているのだろう」
「そんな……」
リゼは目を大きく見開いた後、憂いの表情を浮かべながらきゅっと唇を噛みしめた。彼女の小さな唇に傷がついてはいけないと、指先でそっと触れる。案の定、彼女は驚いて唇を開いた。
ルーファウスは一度立ち上がり、リゼの前にひざまずく。そして、彼女の手を取った。
「たとえどんな結末になろうとも、リゼのことは必ず守ると約束する」
「ルーファウス様……」
リゼは目を丸くした後、すぐにふわりと笑った。
「守られてばかりではいられません。私も一緒に戦わせてくださいね」
「それは頼もしい限りだが、くれぐれも無茶だけはしないでくれ。お前を失いたくはない」
リゼの手の甲に口づけをすると、彼女の顔が途端に真っ赤になった。ここに通い始めて随分と経つが、こうした触れ合いにはまだまだ慣れないようだ。
ルーファウスは再びリゼの隣の座り、心配に思っていたことを問いかける。
「ウィンター王国と――母国と戦うことに、憂いはないか?」
リゼにとって、ウィンター王国は生まれ育った土地だ。いくら王城での日々が苦しかったとはいえ、森で過ごしてきた十五年間の思い出がある。一定の思い入れがあってもおかしくはない。
しかし、ルーファウスの懸念を振り払うように、リゼはきっぱりと答える。
「はい。あの国には、もう私の家はありませんから」
彼女はなんの気なしに言ったが、母国に「家がない」という事実が、実に悲しく思えた。きっと、母親のいる場所が彼女にとっての家だったのだろう。いつかここが、彼女にとっての家になればいいと、ルーファウスは切に願った。
「リゼにとってはある意味、弔い合戦になるのだろうな」
「弔い……?」
「ああ。リゼの母君の」
「お母さんの……?」
リゼは不思議そうに首を傾げた。言われた言葉の意味が理解できていないようだ。いつもは聡い彼女だが、どうも様子がおかしい。
徐々に視線を下げた彼女は、ポツリと言った。
「あれ……? お母さんって、どうして死んじゃったんだっけ……?」




