14
(お嬢――)
瞳を動かさず対象を認識する特殊な技法にて、クロードは隣に座る女生徒を見ていた。
流れで隣の席に座ってしまったから怒られるかと思えば、別にそうではない。どうやら彼女は自分との関係を周囲に漏らすつもりはないらしい。どうしてだろう。
(俺、言葉下手だから……)
クロードは喋らない。だが、喋ることを考えていないわけではない。口にする言葉の数十、数百倍の言葉を喋ろうとし、それをやめているだけなのだ。
先天的な言語障害を持つクロードは、過去にそれを原因に虐められ、両親に見捨てられたこともあり、必要最低限しか喋らないようになっただけなのだ。
(でも、お嬢は分かってくれる。これで良いって、言ってくれる)
エリサ・ヴァレンティはクロードが喋らないことを咎めない。それどころか、喋らないから都合が良いと色々なところで便利に使ってくれる。
代々王族に仕えてきたラプラス家の不良品と蔑まれ両親から捨てられたクロードを、クロードしか駄目なんだと使ってくれる。
とにかく実利のみを優先して動くことから、感情を燃料に動くタイプの人種には男女問わず嫌われるタイプではある。だが、クロードにとってはよき主であった。
(ジュリオ様も、嫌いじゃないし)
クロードの雇用主は、書類上はジュリオ・ヴァレンティである。
彼はエリサとは真逆、誰からも嫌われないタイプの朗らかな人物で、裏表があるわけでもない。純粋に良い人なのだ。
そんな人にこれまで出会ったことのなかったクロードは、はじめ警戒していた。
だが、同じ屋敷で暮らすうちに理解した。この人は打算で動くことがあっても決して強引に事を成す人間ではなく、そして他人を嫌い嫌われるような人間でもないのだと。
ヴァレンティ公爵家は不思議な家だ。だが、以前から勤めている文官曰く、こんな様子になったのは、しばらく前にご当主様の子息や奥様が亡くなられてからのことらしい。
ジュリオ様も以前はこんな性格ではなく少々ヤンチャな様子もあったが、弟達を失ったことで感情を殺すようになり、今の誰にでも優しい人格で上書きされたのだろう、との話であった。
彼は、当主の器になるため、自分の器を書き換えたのだ。それまでどのような人物であったかを考慮せず、当主を継ぐに最も相応しい人格を作り上げた。
そうして生まれたのが、今のジュリオ・ヴァレンティなのだろう。
(二人は、どんな関係なんだろう)
エリサとジュリオは、書類上は養子である。
以前、二人の距離に違和感を覚え調べたが、そこに不正の痕跡はなかった。使用人の間では養子でなく妾という噂もあったが、書類上は養子で、肉体関係もないらしい。
エリサ・ヴァレンティの肉親を書く欄は空欄であった。だが、それを言えば聖王国からの亡命者である自分だってそうだ。そのくらいは、別におかしなことではない。
(俺は、二人の間には入れない。でもそれでも、構わない)
二人の関係を知らない。それに、知る手段もないし、知る必要もない。ただ自分は、自分を認めてくれる唯一の存在であるエリサ・ヴァレンティに従うだけだ。
エリサ・ヴァレンティは、誰よりも優秀――というタイプではない。不正を見つけ物事の効率化を進める手練手管を王宮から褒められているが、本質がそこにあると考えている者が居たら、それは表面上しか見ていない馬鹿だ。
あの人の凄さは、自分のことを一切誇らないその自尊心にある。
誰かに認めてもらいたくて動いているわけではなく、対価を求めて動いているわけでもない。ただ自分が納得し、ただ自分が満足するためだけに行動する。
褒めてくれる人間が居なくとも構わないのだと、以前彼女は語っていた。自分は彼女に喋らない案山子か何かと思われているから、時折そんなことを聞かされる。
誰かに認めてもらいたいという気持ちは、どんな人にだって存在するはずだ。だがあの人は、敬愛する養父――ジュリオ・ヴァレンティに対してもそれを求めていない。自らの功績によって認めてもらおうとしないのだ。
故に、直球勝負になりがちである。それを傍から見ていると、いつもどこかおかしく思えてしまう。
(お嬢は、変な人だ)
エリサ・ヴァレンティに問題があるとしたら、人付き合いが苦手なことだろうか。
とにかく実利主義な彼女は、感情や人格といったファクターを無視して事を成す。不正を見つければそれが例え当主のものであろうと報告するし、側近のものであろうと、やんごとなき理由があろうと報告する。そこに隠蔽や共謀なく、誰の行動によって起こされた結果であろうと変わらず対処しようとする。普通の人間が情や立場によって憚られる行動も、一切減速せず進むことが出来てしまう。
そのせいで工作に慣れた者から嫌われていることもあるが、嫌いという人間の感情も無視するので、自分を嫌っていようが使える人間は使う。相手からすると理解不能だろう。どれだけ嫌いアピールをしていようが、我関せずの態度を貫くからだ。
それなのに、本人は無感情というわけではない。表情豊かな人だし、どんな状況でも慈しみしか表現出来ないジュリオ・ヴァレンティの代わりに負の感情を表に出すところもある。つまり彼女は、感情というファクターを理解した上で、全て無視して行動しているだけなのだ。
普通の人間に、そんなことは可能なのだろうか? ――否。行動と感情の回路が一切繋がっていない人間など、エリサ・ヴァレンティを除いて、この世界には存在しない。
(お嬢は、俺が守る。たとえ何をしても、お嬢がこのままで在り続けられるように)
エリサ・ヴァレンティ付き補佐官であるクロードは、自らが敬愛する女性のことをずっと考えていた。
先程図書館で見かけた、恋の魔法とかいう眉唾物の魔法式をノートに書き連ねて。
*
(……? 何だこの人?)
リベリオ・バリーニは困惑していた。
魔眼を持つリベリオは、対象の感情の揺らぎを視覚的に観測することが出来る。
普通は負の感情や正の感情を読み解くだけの魔眼でも、魔法に愛されたとまで言われているリベリオには、相手が考えていることまで分かるほどの精度となる。
(僕のことを知ってるのか……?)
リベリオは貴族だ。だが家督を継いだわけでなく、独立貴族本人である。
それを知る者は後ろに座るセヴェリアーノ王太子だけかと思っていたが、感情の揺らぎからしてエリサ・ヴァレンティという女生徒も自分のことを知っているようである。
(ベルント縁の者か……? そういえば、以前社交界で噂になってたっけな、この人)
リベリオは、自身の外見が他人と比べると優れており、相手を警戒させないものだと自覚していた。相手の望む性格を作り上げ、普段はそのように振舞っているのである。
まぁそれも、十数年続けていれば自分の根になるのだが――
(さっきこの人は、明らかに僕のことを警戒してた)
感情の揺らぎが、明らかに負に傾いていた。
僕を見てそう感じるのは、戦ったことのある敵国――ベルント共和国の人間だけのはずだ。だが彼女の顔に見覚えはないし、社交界での噂通りならば、彼女は戦闘員どころでなくこの国唯一の女性文官である。辺境のことなど知っているはずもないのだ。
(なんなんだ……?)
その疑問を解消することは、今のリベリオには絶対出来ない。
何せエリサがリベリオを見て考えていたことは、リベリオの性質であったり、ゲームとしての設定であったり、ルートに入った時にこれから起こる出来事であったり、言ってしまえば未来でしか知り得ない情報を元に生じた感情だったからである。
エリサは、前世の経験によりリベリオルートの内容を覚えてはいたが、彼の本質を完璧に理解していたわけではなかった。
彼女の前世の最推しはジュリオ・ヴァレンティであったから、それ以外のルートに関しての解像度がたいへん低いのだ。それはオタクなのでしょうがない。
(今は僕のことを考えてるようには見えない……)
彼女の感情が揺らぎ負に向かったのは、僕が座ってすぐのことだ。
初対面の男に対し正でなく負の感情を向ける女性というのは確かに存在するが、彼女の感情の揺らぎ方からしてそうではなさそうだ。セヴェリアーノ殿下に話しかけられた時も、面倒臭そうではあったが負の感情ではなかった。もし一度だけ僕のことを考えたのなら、それが負の感情になるはずもない。自分が女性に嫌われるような外見をしていないことを、嫌というほど知っているから。
それは言いようによってはとんでもないナルシストなのだが、リベリオにその自覚はなかった。人に、魔法に、精霊に愛される男、リベリオ・バリーニは、愛されることに慣れすぎていたから、自分が自分を愛するのも当然だと考えていたからだ。
(…………変な女だ)
リベリオは、情報の足りない現状では考えるだけ無駄だと判断した。
それは、万物に愛され続けてきたリベリオにとって、はじめて浮かんだ感情であった。




