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「あと1年、か」
サルヴィーニ魔法学園への入学、たゆひつ本編の開始まで、1年を切った。
14歳に成長したエリサは、可愛い少女では済まされない美貌を獲得していた。
化粧品などなくとも見る者全てが目を奪われる、セラフィーナ譲りの外見を持ちながらも、娼館で習った最新のスキンケアは欠かさず、前世の知識として活用している化粧技術も使いこなすエリサを馬鹿にする者は、いつの間にか屋敷には居なくなっていた。
はじめは反発していた使用人達も、エリサと一緒に身請けされてきたミレーナの陰からの努力もあり、次代当主の娘として認められるようになってきている。
ほとんど社交界には顔を出さないエリサだが、時折養父ジュリオ・ヴァレンティと共に姿を現し、社交界を賑わすことがある。
以前は娼婦の娘と蔑み遠巻きに見ていた者すら、今のエリサの姿を見て、今のエリサの王宮への影響力を知った上でそう言える者はほとんど居ない。
天は二物を与えた。そう称される者は時折存在する。だが、そのような者は大抵、何かしらの欠陥を持って生まれるものなのだ。
ジュリオ・ヴァレンティが優れた知性と美貌をもって生まれた代わりに、妻を取らない異常者と言われているように、その養女であるエリサ・ヴァレンティも、父しか愛せない異常者と社交界では専らの噂であった。
「ファザコンは少ないのかなぁ……」
呟きが漏れる。とはいえ、それでもエリサに近づく貴族は多いのが現状だ。
王太子セヴェリアーノ・ヴェッキオが昨年の社交界で大々的に発表した、王宮人事異動を聞いた者は、耳を疑った。
エリサ・ヴァレンティを、王宮財務室の外部監査役に任命したのだ。
外部監査役と称しても、そのような役職がはじめから存在したわけではない。それはエリサのために用意された特別席で、財務大臣並びに監査副大臣及び、現王からの強い推薦があってその役職に任命されたエリサは、発表された社交界で当然のように言い放った。「私は王宮に入るつもりはありません」――それは王への背信ともとれる発言であった。
だがエリサがそう返すことまでセヴェリアーノは予測しており、外部監査役の仕事に通常の財務室文官としての職務はなく、あくまで財務大臣自らエリサに監査を受けたい書類を公爵家に届けることでそれの精査をする――と説明され、渋々承知したのであった。
ふつう、そのような役職が生まれたら、王の親族であったり妾であったりに社交界で良い顔をさせるために作られる名ばかりの役職であることが多い。だがエリサが時折王宮の監査室や財務室の文官や大臣を相手に研修会を開いていたことを知っていた者は、エリサの知識や着眼点が非凡なものだと確信していた。
ならば、室長である大臣自らエリサに監査を求めるというのも、納得出来るというものだ。大臣に近しい者は、エリサに意見をもらいたい書類を大臣自ら作成していたことを知っており、エリサが若くして現役の大臣にも認められた女傑であることを表していた。
王宮に影響力のある女性、且つ王族と婚姻関係を結んでおらず、単独で室長、大臣並みの権限を持つエリサに近づこうとする貴族が多いのも、当然といえよう。
「ただ、お友達は全然出来ないのよね……」
だが、王宮にも認められた知性の持ち主であるエリサの悩みと言えば、同年代の友人が出来ないという子供らしいものであった。
「イザベラ周りの子はイザベラを取られたって目の敵にしてくるし……他の派閥の子も下手なことは言えないからって全然近づいてこないし……婚約者も出来ないし……」
溜息を漏らすエリサの傍らには、バンビとして娼館で一緒に育ったミミが居た。
「やっぱり硬いのよリサは。もっと昔みたいに隙を見せないと」
エリサをバンビ時代の名で呼ぶミミは、エリサ付きの使用人に任命されている。昨年メイド長となった元娼婦ミレーナの計らいだ。
「えー、だって隙見せたらいつ殺されるか分かったものじゃないでしょ……」
「今のリサを殺す人が居たら、国家反逆罪で一族郎党死罪じゃない?」
「でも無敵の人に殺されるかもしれないし……」
ミミは「何それ」と笑いながら化粧品の準備をしている。
この部屋には、今はエリサとミミの二人しか居ない。
当主代理であるジュリオは、昨年より病床に着いた現当主である父に代わって外出することが増えており、公爵家内の仕事はほとんど全てエリサが回している状況だ。
貴族としての仕事は、屋敷の中で、書類だけで完結するものばかりではない。昨年までは屋敷の中の仕事を長男であるジュリオが、屋敷の外の仕事をご当主様が行っていたが、若くして病に侵された父に代わって、ジュリオが外の仕事をすることになったのだ。
「あぁ……はやくお父様に会いたい……」
「それ今日だけで100回くらい聞いたよ」
「だってぇ……」
もう一週間も会えていないのだ。
実父で、最推しで、愛しき人――ジュリオ・ヴァレンティに会えない時間が伸びれば伸びるほど、エリサはどんどんとだらしなくなっていく。
そんなエリサの髪を整えたり服を着替えさせたり社交界のセッティングをしたり王宮のお偉いさんとの話し合いの場を設けたりと、秘書の仕事をミミはこなしているのだ。
自分が使用人として成長する何倍もの速度で成り上がっていくエリサの噂を聞いていたミミは、気が気じゃなかったという。
使用人の中で最も立場の強いリディオに自ら頼み込み、使用人としての仕事の傍ら秘書としての仕事を覚え、ようやくエリサ付きの使用人になれたのが去年の話であった。
その頃はまだエリサは使用人達に避けられていたから競争率は低かったが、王宮に認められてからなら話は違っただろう。
「そういえば、ミレーナさんは元気?」
「元気よ元気。娼館に居た頃より元気なくらい」
「……そう、なら良かった」
ミミのようにわきまえていない娘と違い、ミレーナはエリサを公爵家の娘と認め、畏まった態度を取っている。気軽に雑談出来たのは、屋敷に来たばかりの頃だけだ。
それがエリサにとっては少しだけ悲しいことではあるが、真面目なミレーナならば、上に立つ者が自ら規律を破っていては下の者に示しがつかないと考えるのは当然であった。
ミミだって、人目がある時は物静かな使用人の一人になるのだ。このような砕けた態度を取るのは二人だけか、ジュリオしか居ない時だけである。リディオさんが居ると怒られるので彫刻になっている。
「でもミレーナさん、ちょっと老けたのよね。お化粧する時間あんまりないからかな?」
「元からいくつなのか分からない人だったし、ちょっと老けたくらいが丁度良いんじゃない?」
「それもそうね。今でも美人さんではあるけど、昔感じた嫌らしさはあんまり感じないかな。厳しいは厳しいけどね」
「ミミ、昔からミレーナさんのこと苦手だったしね」
ミミは「言わないでよ」と小さく笑いながらエリサの髪を整える。今日は珍しく内巻きのようだ。
ヘアスタイルに関してはミミに一任しているが、巻髪を作る時は大抵偉い人と会う日である。今日のこれからの予定は――お父様の代わりに領主会議に出席するんだっけ?
「あ」
「どうしたの?」
「狙ってた魔導具の競売がそろそろだった気がして。後で確認しておいて貰える?」
「魔導具――あ、永遠鍵穴かな」
「そうそう、あと真実鏡ね」
「なんでそんなもの欲しがるのかは分からないけど……確認しておくね。今回はいくらまで投げて良いの?」
「んー、合わせて200万エウロくらいまで」
「……いつも思うけど、金銭感覚おかしくなったよね、リサ」
「しょうがないでしょ。普段から扱ってる額はもっと多いんだから……」
ミミは「はいはい」と言いながら髪のセットを終え、お人形さんのようになったエリサに、今日の予定に適したドレスを纏わせていく。薄い水色のマーメイドドレスだ。
書類仕事の多いエリサは男の文官と同じようなラフな恰好をしていたかったが、次期当主の娘が男物の服を着ていては示しがつかない。
エリサは公爵家お抱えの領主たちにとっては決して手の届かぬ、神であり悪魔のような存在なので、相応に威厳を保つ必要があるのだ。
「はいおしまい、高い生地だから前みたいにインク汚れ付けないでよ。何か書きたい時はクロードさんに言うように」
「……ミミ、お姑さんみたいになってるよ」
「うるさいなぁ。リサがドレス汚したら怒られるの私なんだよ」
「ミレーナさんに?」
ミミは苦笑しながら頷いた。
以前、庶民が一生貯金しても買えないような純白のドレスを着たまま会議中に文官達と話し込んでしまい、会議を終えた時にはお父様が言葉を失うほどインクで汚れていたのを思い出したのだろう。
あれは本当に申し訳なかったけど、中々乾かないこの世界のインクが悪いのよ。
「ミミ、ついでにクロードさんの代わりに補佐官になってくれない?」
「無茶言わないでよ。私、あんな数字だけ見ても何も分かんないわよ」
「えー、頑張って勉強してよー」
「勉強どうこうの話じゃないの、自頭の問題なの……」
露骨に唇を尖らせたミミを見て、エリサは小さく溜息を吐いた。
二人とも、最近屋敷で働きだした文官――クロードという男性のことがあまり得意ではないのだ。
クロード・ラプラス。優れた知性と判断力を持ち、機転が利きながらも、その生まれが災いして要職に就けず、とある領主一族の元で下働きをしていた彼をお父様が拾ってきたのは去年のこと。
クロードは公国出身ではない。隣国、ルフィナ聖王国からの亡命者だ。
物静かを通り越して口を開いてもほとんど単語しか話さず、相手が当主であろうと10文字以上の言葉を喋れない無口っぷり。
何があってもまったく変わらない仏頂面を持つクロードだが、実は喋らないのは他国からの亡命者で公国の言葉を知らないからではない――というのは、私しか知らない設定だ。クロードは、たゆひつの攻略対象の一人である。
(お父様がいきなりクロード連れてきた時は、本当に驚いたのよね……)
主人公とクロードとの出会いは、物語の舞台となるサルヴィーニ魔法学園に入学してからすぐのことだ。
主席合格者であるクロードに図書館で会うところから二人の交友は始まる。だが、学園に来るまでのクロードのことは断片的にしか語られず、設定資料集でも「過去に色々なことがあり」で流されてしまっていた。まさかヴァレンティ公爵家に文官として雇われ、エリサ付き補佐官に任命されているとは思ってもみなかった。
(これもリメイクの設定なのか、それとも転生者である私の存在で変わったのか……)
お父様がクロードをエリサ付き補佐官に任命したのは、単純な話、エリサの話すことを聞いて理解出来る者が、お父様とクロードの二人しか居なかったからである。
この二人以外には、だいぶかみ砕いで分かりやすくした上で半分程度しか伝わらない。これは王宮で働くエリート文官を相手にしてもそうだったので、自頭や教育よりも発想と思考伝達速度の問題であろうとエリサは考えていた。
だが、それとこれとは話が別である。
(クロードルート、苦手なのよね……)
クロードは言語能力に障害があるキャラクターで、ルートの最後で主人公と結ばれた時ですら「……すき」くらいしか喋らない。
ちなみにこのシーンを除き感情を表に出すことは全くないので、クロードファンにとっては鼻血が出るほど嬉しいシーンらしいが、エリサは違った。
(めんっどくさいのよクロード! ホント何言ってるのかさっぱり分からないし話しかけた時どう振り返ったかとか立ち止まるまでに何歩歩いたかとか魔法の詠唱をあえて省略しなかったとかで好感度測るとか無理ゲーなのよ! せめて表情くらい変えなさいよ!)
叫びたい気持ちを抑えたエリサは、大きめの溜息を吐いて誤魔化した。
クロードは聞き取りが出来るが喋ることが苦手とされていた。
こちらの言葉は伝わっているはずなのに、返事の言葉がなく反応も皆無なので、地蔵か何かに話しかけてる気持ちになってしまう。つまりゲームをプレイして苦手だった部分が大体全部残っているのだ。まぁ本編開始までもう1年しかないから、キャラクター性がゲームと同じなのは分かるのだが。
(下手に仲良くなって心開かれちゃっても困るし、本当に扱いが難しいのよ……)
図書館で置物のようになっているクロードは、根気強く話しかけてきた主人公にようやく心を開くのがクロードルートの大まかな流れである。
学年主席であるクロードは座学だけでなく魔法も完璧な超人だがとにかくコミュニケーション能力が低く、友人らしき友人は学園に在籍している間一人も出来ない。そんな中唯一心を開いてくれるのが主人公なので、本編未登場キャラクターであるエリサ・ヴァレンティが彼の氷を溶かすわけにはいかない。
主人公が誰を選ぶかは本編が始まってみないと分からないし、社交界で数度顔を合わせたが一言も言葉を交わしていない現状では転生者かどうかも分からない。
主人公に誰のルートが選ばれるのか、もし転生者だった場合はどこまで自由気ままに動かれてしまうのか――そのあたりが分からない以上、迂闊なことは出来ないのだ。
「はい、セットおしまい。あんまり喋りすぎて領主の人たちに引かれないようにね」
「分かってるわよ。ちゃんと深窓の令嬢らしく立派に勤め上げるわ」
「……流石に深窓ってガラじゃないでしょ」
ミミは苦笑しながら私の背中をポンと押す。
傍にミミが居るから、お父様無しでもちょっとは頑張れる。生まれた時からずっと一緒な幼馴染が身近に居ると、心も休まるというものだ。
そうして私は領地の名産品である角砂糖を口に放り込み、領主会議に向かう。
身体のラインを美しく見せるために特注されたドレスを着ていると、コルセットもキツくて食事なんてほとんど取れないのだ。
食べ過ぎて太るとそのたびにドレスが作り直しになりお父様に苦い顔をされるから、大事な用事がある時は角砂糖と僅かな水だけで過ごすようにしていた。
明らかに一人で脱ぎ気することを想定されていないドレスだから、一度中座すると1時間くらいは戻れなくなる。
それを女だから許してねなんて言うわけにもいかず、水すら満足に取れない世界である。男はどんな服着ててもぱっとトイレ行ってぱっと出して戻れるから本当にズルいわ。
(文官になる女も、当主になる女も居ないわけね)
男を前提とした社会構築は、こういうところでも女が社会進出する時に壁となる。




