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舞踏会から帰ると、いつも通り書類の山に埋もれていたお父様に早速報告をする。
「お父様、お友達が出来ました!」
「お、おぉ、それは良かった。どこのご令嬢だ?」
若干驚き方が予想とは違ったが、あれは間違いなくお友達だ。社交界ぼっちの私が、お父様抜きで雑談する相手を見つけられたのだから。
「グランドーリ公爵家の、イザベラさんです!」
肘掛に肘をついて書類を眺めていたお父様が、ゴトリと腕を滑らせる。
「……とんでもない大物の名前を聞いた気がするが、気のせいかな」
「大物、ですか?」
お父様は一度窓の外を眺め、小さく笑うとこちらを見る。どうやら、嫌いな相手のことを思い出しているわけではなさそうだ。
「グランドーリ公爵家の現当主、コルラード・グランドーリは学生時代に私と学科で競っていた男だ。お互い魔法の才能はなかったが、学科だけは上位の成績でな。あいつは前当主の急逝もあり若くして当主となったが、グランドーリの名に恥じない活躍をしていると聞く」
「当主が変わって5年足らずで商会が大きくなったと聞きましたが、でも既に公爵家だからそれ以上がなくて分からないんですよね」
「……まぁ、あいつにとって爵位は飾りのようなものだからな。で、その長女イザベラといえば、9歳の頃からアモーレ商会の会頭を任されている逸材と聞く。……知らなかったのか?」
「え、はい。グランドーリ公爵家の子なら商売に詳しいのかなーと思ったくらいで……」
「…………そうか」
呆れ顔のお父様に、なんて声を掛ければ良いか分からない。
たゆひつにおいてサブキャラでしかないイザベラは、そこまで掘り下げをされるキャラではないのだ。過去のことなどほとんど語られないし、何かしらコンプレックスがあるということは分かるのだがそれが解明されることはない。
主人公の聖人のような行動に腹を立たせ嫌がらせを仕掛ける――という流れが多かったが、何故主人公を嫌うのかという根本が分からないままだ。
当然、お父様が今語ったことを私が知っていたはずはない。アモーレ商会という名だけはゲーム内で聞いたことがあったが、確かドレスアップアイテムを購入出来る店だったな、という程度の記憶だ。あれ、イザベラの店だったんだ……。
主人公がイザベラに嫌がらせをされているタイミングでも店が使えなくなることはなかったので、無関係だと思っていた。出禁にだって出来たろうに、どうしてしなかったのだろう?
「あと、可能性の話なんですが、今度財務室の方が当家に研修へ来るかもしれません」
「……査察じゃなくて、か?」
「はい、研修です」
お父様に、セブ様と話したことをざっと説明する。
財務室に誘われたところだけを意図的に省いたが、お父様は胃の辺りを擦り苦い顔をしながら、最後まで黙って聞いてくれた。
「……なんとなく、分かった。準備はエリサの方で出来るのか?」
「はい、お父様のお手を煩わせるほどではありません。私が言い出したことですから、対応までお任せください」
気まぐれなセブ様がその場のノリで言っただけかと思っていた私の予想とは裏腹に、数日後に王家から届いた手紙には、財務室所属の文官と補佐官をヴァレンティ公爵家に向かわせる、と書かれていた。
慌てて屋敷の客間や作業できる部屋や資料を人数分用意していると、翌日には王家の紋が入った馬車が公爵家にやってくる。行動が速すぎだ。
「来たぞ」
お父様と馬車を迎え入れると、中から現れたのは見覚えのある――
「これはセヴェリアーノ様。ようこそおいでくださいました。生憎、当主は現在屋敷におりませんので、代わりに私、ジュリオ・ヴァレンティが対応させて頂きます」
「ん、構わん。手紙にも書いた通り、俺は空気か何かと思え」
「……畏まりました」
これは完全に査察だろうと、頭を下げたお父様の顔は語っている。
確かに手紙には文官だけでなく監督役が来るとは書かれていたが、王太子本人が来るとは予想していなかったのだ。
続いて馬車の中から出てきたのは、私の知らない人だ。歳はリディオさんと同じくらいで、恰幅の良い白髪の男性。でも明らかに偉そうな気配を感じるね。
「財務大臣のガストーニ様です」
私の隣に立っていた家庭教師の先生が耳打ちしてくれたことで、とんでもない大物がやってきたことを知ってしまう。あれ、来るのは文官級じゃなかったの!?
その後も馬車から出てくるわ出てくるわ、王家に仕える偉い人達。
一応立場としては王太子であるセブ様が一番上だが、国の実権を握っている、という意味では王太子より大臣の方が数倍偉い。仕舞いには監査室の副大臣まで現れ、お父様の笑顔は歪なものへと変わっていく。
挨拶を済ませると、お父様の代わりに私が屋敷の案内をする。
客間は人数分用意していたが、文官クラスならともかく王太子や大臣クラスが泊まる前提の部屋を用意していたわけではなかったので、慌てて屋敷のメイド長を呼んで出来る限りグレードの高い部屋を用意させる。
メイド長は私のことを露骨に嫌っている節があるが、流石にここで私に反旗を翻すためにやらかせば(・・・・・)自分の首が物理的に危ないことを察したのか、普段は本邸に入れない使用人達も総動員して客間のセッティングを始めてくれた。
遠くからやってきたお客様にまずは軽食でも、と提案したが、先導するセブ様が「要らん」と断ったので他の者もそれに従うしかなく、偶然資料室に居たメイドに、話をしながら食べられる焼き菓子でも用意しておくよう伝え、皆を着席させる。
「てっきり文官の方が来られると思っていましたので、あまり畏まった資料が作れたわけではありませんが、まずはこちらをご覧ください」
明らかに資料室には場違いのお偉いさんが集まり、部屋で作業していた文官は皆逃げ出してしまったので、私自らお客さん達に配ったのは用意していた研修資料だ。
それから半日ほど、ヴァレンティ公爵家に文官として雇い入れられた新人に教える時と同じような研修を行っていると、夕食の準備が整ったとメイド長が報告にやってきた。
大臣クラスでない文官は客間で食べると言われたのでそのように手配したが、セブ様含むお偉いさん達を客間で食事させるわけにはいかない。その旨をお父様に伝えに行くと、「用意はしておいた」と返されたので、嬉しさのあまり抱き付きそうになっちゃった。はしたないとリディオさんに止められたので未遂です。
「……で、研修はどうなんだ? 粗相はしてないか?」
「してないと思いますが……。皆熱心に聞いてくださいますよ」
「それなら良いんだが……」
ただでさえ大量に仕事を抱えているお父様に心労までかけちゃうのは本当に申し訳ないけど、これに関しては突然大臣クラスを連れてきたセブ様が悪いと思う。セブ様に興味持たれるのは避けたかったけど、主人公とは全然違った方向性の興味で、異性とは見られていないみたいだからまぁこの際仕方ないものとしよう。
たぶん「女なのに賢いんだな」って思われてるだけだと思う。女は文官になれず公職にも就けない国だから、普段頭脳労働する女性を見ることがないのかもしれない。
ところで、お偉いさんとの会食などほとんど経験のない私と違って、お父様は流石に経験豊富のようで、そこまで緊張した様子はなく会食は滞りなく進む。
私はいつもより明らかにグレードの高い料理に舌鼓を打つばかりで、ほとんど喋ることなく会食を乗り越えた。
*
「で、どう見る」
王太子セヴェリアーノ・ヴェッキオに続き、集まった者はぽつぽつと話し出す。
ここは公爵家の屋敷にある客間の一室だ。夕食を振舞われた後、数名の臣下と大臣とで集まり密談が始まった。
「異常ですな。儂の部下にも見習わせたいくらいです」
呆れ顔でそう発言したのは、財務大臣のガストーニだ。齢70を迎えるガストーニは50年近く王宮の財務室で働いていたが、そんな彼をもってしても、本日の研修は異常だったようだ。
まるで不正をする様を目の前で見たかのように帳票の見分け方や間違えやすい書き方などを説明され、ガストーニは大臣という立場でありながらも素直に関心していた。
「正直に申し上げますと、エリサさんは財務でなく監査室に向いてると思いますが」
片眼鏡を拭きながらガストーニの方を見たのは、監査副大臣のトファーノだ。
「何だと?」
「着眼点も、不正を許さない心構えも、どちらも監査室で重要視されるものです。財務など教えれば誰でも出来ます。ですが、監査において重要な『意識』というものは、一朝一夕の教育で身につくものではないのです」
「いや、そんなはずないだろう。あれは明らかに財務を担える器だ。何なら儂の後継者に任命しても良い」
「無理でしょう。王宮の歴史において、女の大臣が生まれたことはありません」
「それを言えば、文官だって居ないではないか」
「いえ、170年前に2名、62年前に1名採用された記録があります」
一見穏やかに見える口調で言い争いをしている二人は、学生時代からの腐れ縁だ。
どうしてあまり相性の良くない二人がこの研修に参加したかと言うと、セヴェリアーノが財務室に声を掛けたタイミングが、丁度監査の最中であったからだ。
監査の手を止めたトファーノが「女性の文官ですか、興味がありますね」と呟いてしまったから、張り合って大臣のガストーニ自ら研修に足を運ぶこととなったのである。
監査室所属のトファーノは、ヴァレンティ公爵家に近年異変があったことを認識していたという。
「俺にはあの女がどこまで賢いのか分からんが……」
「100年に一度の逸材かと」
「いや300年で一人も女の大臣が居なかったんだから、300年に一人だろう?」
トファーノとガストーニが張り合うように数字を盛る姿を見て、セヴェリアーノは驚いた。この二人は王宮で重役に就いている者の中でも堅物なことで有名で、他人を叱っているならともかく褒めている姿を見るのは初めてだったからだ。
「こうなると、殿下がお誘いしても断られたのは痛いですな。ナンパと思われたのではないのですよね?」
「違うぞガストーニ。正直俺は、ああゆう男より前に出る女は好かん」
「……左様ですか。では純粋に、王宮に入る意思がないということでしょうな」
「あの聡さです。王宮に女の文官が居ないことを知っていたから、雑用でもさせられると思ったのではないでしょうか?」
「……いや、恐らく違う。委細は忘れたが、家を出る気がないと言っていたはずだ」
客間に用意されていた果実酒で喉を潤わせながらセヴェリアーノが言うと、大臣二人は小さく唸った。
「となると、お家問題でしょうか。ヴァレンティ公爵家には後継ぎがジュリオ・ヴァレンティ一人しかおりません。しかし彼に妻はおらず、妾の一人も居ないと聞きます」
「だがエリサ嬢は養子であろう? それもまだ家に来て2年しか経っておらん。そこまで家に愛着が湧くものか?」
「人の機微は分かりませんよ。あなただって、長年寄り添った妻より妾との子の方が多いでしょう。共に生きる時間の長さは愛という感情において然程重要ではないのです」
グサリと言葉のナイフを刺されたガストーニは、「いやしかし……」と言い淀む。
堅物の中の堅物、その性格や仕事ぶりから、王宮で誰からも好かれていないとまで言われているトファーノが『愛』という言葉を発したことにセヴェリアーノは心底驚いたが、しかしどこか納得出来るとも考えていた。
「つまり、あの女は、養父を好いているから家を出たくないということか?」
「私はそう見ますね。エリサさんが養子といっても、養父ジュリオ・ヴァレンティとの年齢差はたった12――妾としても妻としても一般的な年齢差です。本妻を持たずに妾を家に入れるのは体面上良くないと考え、養子にしただけかもしれません」
「……なるほど。それならば家を出たくないというのも納得か」
「では本当に、殿下が惚れなくて良かったですな。王家がまた(・・)略奪婚になってしまう」
ハハハと笑うガストーニを睨むような鋭い目付きで見ていたトファーノは、ハァと小さく溜息を吐いた。
「私としては、無理にでも殿下のお力で王宮に入れてもらいたいと考えます。女というだけで文官になれないのなら、相談役にでも襲名すれば良いのです」
「だが、トファーノ。それではエリサ嬢の意思に背くことになるのではないか?」
「それがどうしたというのですか? 養子であろうと実子であろうと、女に生まれた者が家長の意思に背くことはないでしょう」
「……トファーノは俺から公爵家に圧力を掛けろとでも言うのか?」
セヴェリアーノが睨むと、トファーノは恐れるものなどないとでも言うように頷いた。
通常ならば不敬な態度であるが、幼年期からセヴェリアーノの教育係を兼ねていたトファーノだ。過去に散々嫌な思いをしたからか、今でもセヴェリアーノはトファーノが得意ではない。
「無しだ」
「どうしてでしょう?」
「……俺は、あの女を王宮に入れない方が良いと思う」
「それは殿下の直感ですかな?」
「そうだ。あの女を王宮に入れると――嫌なことが起こる気がする」
「「…………」」
セヴェリアーノの直感は、いいや、ヴェッキオ公国における王族の直感は、時として政策よりも重要視される。
それは、国の成り立ちにも関わっている。300年以上前、公国がまだタリア帝国でしかなかった時代、王族だけでなく多くの貴族が流行り病で命を落としていた帝国末期に、ヴェッキオ公爵家だけは誰一人として命を落とさなかったという。
当時のヴェッキオ公爵は「嫌な予感がする」と病の流行前から国中の薬師や祈祷師を集めており、それらの力で無事流行り病を乗り越え、独立へと至ったのだとされている。
「では、今回のように外様の講師として使うのが丸いでしょうな」
諦めがついたガストーニと違って、苦い顔をしているのはトファーノだ。
トファーノはセヴェリアーノの教育係ではあったが、あくまで副大臣と王太子である。どちらが偉いかと言えば、当然王太子だ。王太子の意思に背くことは、即ち王に背くことに繋がってしまう。
「では、具体的にあの女のどこが異常だったか、俺に説明出来るか?」
どっしりと背もたれに身体を預けるセヴェリアーノは、世間一般に見られるわがまま王太子のそれではない。確かに王の器を感じさせるものであった。
「では儂から。先も言った気もしますが、エリサ嬢が未だ12かそこらの小娘は思えませぬ。明らかに高度な教育を受けておりますが、それが公爵家に来てからのものではないのです。まるで戦場のような場所で数十年文官を続けていたかのような、経験則に基づく推論と着眼点を披露され、小娘と侮る者が居たら無能と断言して良いでしょうな」
「……噂に聞く、賢い娘を娼館から身請けした――という話か?」
「えぇ、ですがあの歳の娘は娼館では小鹿と呼ばれており、殿下が娼館に行って『一番賢い娘をくれ』などと言ったところで、エリサ嬢を身請けすることは叶いませぬ」
「どういうことだ?」
質問に対し、ガストーニは一瞬だけ言い淀む。娼館の話を王太子にどこまでしていいものなのか悩んだのだろう。
だが、娼婦の存在は別に違法ではない。借金返済に追われている者も居るし、奴隷同然に扱われていることもあるが、職業の一つであることには違いない。
「バンビは裏方――通常、娼婦の身の回りの世話をし、後に娼婦となるための訓練を受ける者です。客前に姿を現さず、客も取れない年齢の、娼婦の娘のことを呼びます。では、誰がその娘に文官相当の教育を施すのでしょう? 仮に娼館に優れた教育者が居たとしたら、身請けされるべきは、間違いなくその教育者の方でしょう」
「……突然聡い娘が生まれただけ、という可能性はないか?」
「教育者が存在しないとしたら、儂にはそうとしか考えられませぬ。ですが、果たしてそんな人間が実在するのでしょうか? 教育を受けず聡明に育つ人間など、儂は一人も知りませぬ」
「ふむ…………」
口元に手を当て、セヴェリアーノが小さく声を漏らすと、トファーノが口を開く。
「私もガストーニの意見に概ね同意します。ただ、ガストーニが話していなかったことがあるので、そこを説明させて頂きます」
名を出されたガストーニは「ん」と声を漏らしたが、トファーノは話を進める。
「教育者の存在ですが、娼婦の娘というのなら、母親となる娼婦が居たでしょう。エリサさんの母が高度な教育を受けた――それこそ文官の娘であったり、地方で文官の仕事をしていた可能性があります」
「だがそれをガストーニが否定しただろう。教育者が居るなら、そいつが身請けされるべきだと」
「それは、生きていれば、の話でしょう?」
「「…………」」
トファーノの想像は実際のエリサ・ヴァレンティの経歴とは大きく異なるが、ガストーニとセヴェリアーノの二人を納得させるのには十分であった。
「教育者であり母である娼婦が故人だった場合、まだ若いエリサさんが身請けされる可能性は充分にあると考えます。性病と堕胎の多い娼婦の寿命は平民の中でも短く、身体を壊し40歳を迎えることなくほとんどの者が亡くなると聞きます。それならば、2年前――養子に迎え入れられた時点で、既に故人であってもおかしくはないでしょう」
「……なるほどな。では、同等の頭脳を持つ者が他に居るとは考えない方が良いか」
「それが妥当かと思います」
三人は、揃って溜息を吐いた。
「一つ、疑問があるのですが」
「どうした?」
ガストーニが若干言いづらそうに手を上げると、セヴェリアーノが腕を組んだまま続きを喋れと促す。
「エリサ嬢の出自について、殿下はどうお思いですか?」
「どうでもいいな」
ばっさりと切り捨てたセヴェリアーノに目を丸くしたのは、ガストーニだけでない。トファーノもだ。
「重要なのは、誰から生まれたかではない。何を成したかだ」
「……そう、でしたな。失礼しました」
ガストーニは謝罪し、大きな頷きを返した。
妾の子であるセヴェリアーノは、ことあるごとに本妻の子と比べられて育った。それ故、そのような自尊心が生まれたのだ。
第一王子という身分に恥じない男になるため努力した。生まれというどうしようもないもので比べられることがないよう、努力を惜しまない男――それがセヴェリアーノだ。
故に、エリサの才も認めることが出来たのだろう。女だからとか、娼館生まれだとか、母が娼婦だとか、そんなものはどうでもいいといわんばかりに。
「エリサ・ヴァレンティ。公国にとって毒となるか、薬となるか――」
セヴェリアーノの呟きに、言葉を返す者は居ない。
この場に居ないエリサに朗報があるとすれば、それはセヴェリアーノに好意を向けられているわけではない、ということくらいだ。それが良いことなのかは、別として。
*
「お父様、どうされました?」
セヴェリアーノ達が密談をしている頃、エリサとジュリオは執務室で書類の山と格闘していた。今日はエリサが手伝えなかったから、いつもより書類仕事が進んでいなかった。
目頭を押さえ小さく溜息を吐いた父の姿を見たエリサは、心配そうな目を向ける。
「あ、いや、私の娘は本当に賢いんだな、と思ってな」
「お父様の子供ですから」
恥ずかしげもなく即答するエリサを見、ジュリオは顔が赤くなるのを感じていた。
セラフィーナとは随分性格の違う、けれど確かに面影を感じる養女エリサは、父の聡明さと母の美貌を兼ね備えた完璧な人間であると考える者も居る。
公爵家においてエリサが実子ということを知っているのは、血縁者を調べる魔導具によって実子の存在を知った、あの場に居た極少数の忠臣だけであるが、皆は墓まで持って行ってくれるのだろうとジュリオは考えていた。
子がいたこと自体は、別に恥じることではない。
だが、長女が娼婦の娘であり、娼館で育っていたという事実が問題だ。この貴族社会において、それは大きな痛手となるだろう。
事実として、バンビは客を取っていない。だがそんなもの、あまり重要な話ではない。他人にどう思われる場所で生きてきたかが重要なのだ。
性技の訓練を受けていたことは変えようのない事実だし、バンビは総じて処女ではあるが、売り物としての価値を高めるために処女であるというだけだ。
「どうしてセラフィーナは、黙って産んだのだろうな」
「さぁ……。お父様の子と認知していなかっただけかもしれませんよ?」
「だが、娼婦は仕事なら避妊をするだろう」
「あえて避妊しないこともありますよ。意中の男性との子を成したい女のやることは、娼婦であろうとなかろうと変わりませんから」
ジュリオは「そうか……」と呟くと、文官から上がってきた報告書を高速で片付けていくエリサの横顔を見る。
今はまだ、可愛い少女で済む年齢だ。だが、このまま育っていくと、セラフィーナ顔負けの美貌に育つことは間違いない。そうなると、このまま変わった娘として扱われ続けることはあるのだろうか? ――否だ。
セラフィーナはジュリオにとって初恋の相手で、最も強く憧れた女だ。その女と同じ顔を持つ娘にこれまでと同じように好意を向けられた自分がどうなってしまうのか。
エリサが自分に向けている好意は、肉親に向けるそれ(・・)ではない。
これまで数えきれないほど女性に好意を向けられてきたジュリオだからこそ確信出来る。エリサのそれは、異性に向けた好意なのだ。
これも、遠く離れ、認知すらされないまま育ってしまった所為であろう。相手を父と認識出来ていないのだ。
「……っ」
――しかしそれは、エリサだけではない。ジュリオも同じであった。
今もまた、手を止めてエリサの横顔を眺めてしまっていた。
あぁ、駄目だ、駄目だと自分に言い聞かせ、書類の山に目を向ける。文官から上がってくる様々な報告書の山は、エリサが来る前と比べると信じられないくらい少なくなっている。収穫の時期が被らなければ、書類が1枚も残らないこともあるほどだ。
むしろ、30人ほど働いていた屋敷の文官が10人まで減った今、滞りなく業務が進んでいることの方が異常である。
不正の多かった地区へ領主業務に向かった20人の文官は、別にサボっていたわけではない。むしろ優秀な者から選んで向かわせたほどだ。現在はほとんど新人の10人プラスエリサだけで片付けつつ、更にエリサはジュリオの手伝いまでこなしている。
一体娼館でどのような訓練を受けてきたのか、ジュリオには理解出来なかった。
今日の大臣への研修だってそうだ。研修の様子は見ていないが、夕食の際の話しぶりからして彼らも驚く研修だったと思われる。
それもそうだ。読み書きが出来少々賢い程度の農民が、たった1週間受けただけでベテラン文官並みの仕事量をこなせるようになる研修である。
それを最初から仕事を知り、国の中枢に携わる人間に受けさせれば、どうなるか。
「エリサは――いつかここを出たいと思うのか? その、子供が欲しかったり、嫁ぎたかったり、そういう願望はあるのか?」
「そうですね……無いことはないですが、それより今はこのままお父様と一緒に居ることを私は望んでいます」
こちらに微笑みそう返すエリサを見て、思わず目を逸らしてしまった。嫌いだからではない。むしろ、照れてしまうのだ。
貴族社会において、正面から好意を向けられるというのはあまり多いことではない。
文面から、挨拶から、距離から、表情や意識から、そういう細かい機微で奥ゆかしく相手に好意を伝えるのが貴族の女のやり方で、正面から口に出して好意を伝えるのはしたないとされる。
――これがか? これがはしたない行為だというのか? まさか。
「私、お父様の養子にして頂いて2年が経ちましたが、今でも妾と勘違いされることが多いんですよね」
「……使用人からか?」
エリサは書類に目を向け、コクリと頷いた。
使用人の教育は家長の、ひいては家長代理である自分の役割だ。
だがしかし、「エリサは養子であり妾ではない」と公言したところで、働く者の意識を変えられるわけではない。
エリサのことを娼婦を蔑む者もはじめは居たが、調べ上げ全員解雇した。だが、口に出さないだけでそう思っている者を解雇するには、読心術が必要だ。
使用人を束ねる立場であるメイド長も、貴族の出身であり貴族的に正しき教育を受けた女性である。彼女がエリサのことを快く思っていないことはジュリオも気付いていた。
だが、だからといって解雇するわけにはいかない。メイド長の仕事は多岐に渡り、簡単に代用出来るものではないからだ。
リディオ曰く、最近目まぐるしく成長する使用人が居るらしく、世代交代も近いと語っていたのでそれを待とう。
それに、屋敷の使用人には、当主である父上自ら雇った遠い血縁者も居る。娼館から養子を迎え入れることは父上にすら難色を示されたので、家長代理でしかない自分が他人を変えようとし、変えられない者悉くを処分していれば、それはいつか独裁者となる。
ヴァレンティ公爵家の後継ぎとして、これ以上汚点を増やすわけにはいかない。エリサのことは守ると自分で決めたのだ。ならば、守り切るのも自分の役目である。
「……子煩悩と、言われるわけだ」
そう小さく呟いたのをきっとエリサは聞こえただろうが、こちらに一瞬だけ目を向けるだけで聞かなかったことにしてくれた。
子を愛す。それは親ならば誰しもが持つ感情である。
だが、子が多ければ多いほど優れているとまで言われているこの貴族社会、子が増えれば増えるほど、妾が増えれば増えるほど一人一人への思い入れは薄くなり、愛情は等分され、時として偏りが生じるものである。
子であれば愛情は父と母への2等分、妾が2人に子が5人居る父であれば、それは7等分の愛情となるのが一般的である。
――だが、ジュリオ・ヴァレンティとエリサ・ヴァレンティにはお互いしかない。向けるべき愛情が、割られない純粋な1なのだ。
更にお互いが相手を父娘であると感じる以前に異性であると感じてしまっていれば、そこに過ちが生まれてもおかしくはない。妾と思われるのも当然だ。状況から、エリサの態度から関係を読み解こうとすれば、そうとしか思えないのだから。
綺麗な純白のドレスに身を包んだエリサが、他家に嫁ぐ姿を想像し――ぶんぶんと頭を振ってその妄想を中断させた。
それに気付いたエリサが小さく笑った気がしたが、そちらには目を向けない。普通の父親はこれを何度も経験するのか? ……正気を保てるのか?
「ふぅ……」
小さく溜息を洩らし、首を回し夜空に意識を向ける。
――この時間がずっと続けば良いと思っているのはエリサだけではないことに、ジュリオも気付いていた。
それでも、はじめて芽生えたその感情が何なのか、ジュリオには分からなかった。




