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お父さんヒップホップで生きていくことにしたんだ  作者: はまゆう


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6/21

第6話「それぞれの月曜日」

 十一月になった。

 英二の一週間はこうなった。月水金はKENJIのスタジオ、火木は渋谷のスタジオを自主練で借りる。土日は家にいる。朝六時に起きて、夜十時に寝る。証券会社にいた頃と起床時間は同じだったが、疲れの種類が全然違った。

 筋肉痛が、毎日どこかにあった。

 それが嫌じゃなかった。


 月曜の朝、麻衣子はパートに出た。

 駅前のスーパー「フレッシュマート大山」、青果コーナー担当。時給は千百二十円だった。由里子たちには「近所でちょっとお手伝いしてる感じ」と言っていた。

 同僚の田中さんは五十二歳で、麻衣子より三年先輩だった。無口だが仕事が速く、麻衣子は密かに尊敬していた。

 午前中、二人でキャベツの品出しをしていると、田中さんが突然言った。

「坂本さんとこ、旦那さん退職されたんでしょ」

 麻衣子は手を止めなかった。

「そうなんですよ〜、体壊しちゃって」

「今は何してるの」

「ダンスです」

 田中さんの手が止まった。

「……ダンス」

「ヒップホップ!」

 田中さんがキャベツを持ったまま麻衣子を見た。値踏みでも同情でもない、純粋に状況を把握しようとしている顔だった。

「仕事として?」

「本人はそのつもりで」

「坂本さんは」

「私は」麻衣子はキャベツを棚に並べながら言った。「お米が買えれば何でもいいです」

 田中さんが少し黙って、またキャベツを並べ始めた。

「うちの夫もね」と田中さんは言った。「五十で脱サラして蕎麦屋やったのよ」

 麻衣子は初めて聞く話だった。「そうなんですか」

「三年で閉めた」

「……それは」

「でも」と田中さんは続けた。淡々と、キャベツを並べながら。「あの三年間の夫の顔が、一番よかった。今でもそう思う」

 麻衣子は何も言えなかった。

 田中さんはそれ以上何も言わなかった。二人でキャベツを並べ続けた。

 帰り際、麻衣子はスーパーの精肉コーナーで鶏むね肉を二枚カゴに入れた。少し考えて、もう一枚追加した。


 同じ月曜日、蓮は学校から帰ってきてランドセルを投げて、リビングに転がった。

 父がいなかった。

 最近、父はいつもいない。でも帰ってくると汗くさい。前は帰ってくるとスーツくさかった。どっちがいいかと聞かれたら、蓮は汗くさいほうが好きだった。スーツの父は「宿題やったか」しか言わなかったが、最近の父は「今日何があった」と聞いてくる。

 蓮はテレビをつけて、お菓子を食べた。

 ふと思い出して、スマートフォンを取り出した。結衣のスマートフォンじゃなくて、自分の古いiPadだ。

 YouTubeで「坂本英二 ダンス」と検索した。

 出てきた。

 再生した。

 最初の五秒で、蓮は体を起こした。

 画面の中の父が、知らない人みたいだった。体が柔らかくて、音楽と一緒に動いていて、周りの人たちが歓声を上げていた。

 蓮は二分四十秒、一度も画面から目を離さなかった。

 動画が終わった。

 蓮はもう一回、再生した。

 今度は途中で止めて、父がやっていた動きを真似してみた。腕を弾く動き。うまくできなかった。もう一回見て、もう一回やった。やっぱりできなかった。

 三回目に少しだけできた気がした。

 蓮は誰もいないリビングで、一人でにやっとした。


 夜、英二が帰ってきた。

 玄関を開けると、蓮が仁王立ちで待っていた。

「お父さん」

「なんだ」

「これ」

 蓮が腕を弾いた。ポッピングの真似だった。形はぐちゃぐちゃだったが、やろうとしていることはわかった。

 英二は一瞬、固まった。

「……誰に習った」

「YouTube。お父さんの動画」

 英二がゆっくりしゃがんで、蓮の目線に合わせた。

「もう一回やってみろ」

 蓮がもう一回やった。

 英二が蓮の腕を軽く持って、肘の角度を直した。

「ここ、もう少し」

「こう?」

「そう。で、弾くときに止める。ここで」

 蓮がやった。

 今度は、少し形になった。

「できた!」

「できたな」

 蓮が「もっと教えて」と言った。英二は「飯食ってからな」と言って立ち上がった。

 リビングから麻衣子が顔を出した。鶏むね肉を三枚焼いた匂いがした。

「何してんの二人して」

「ダンス!」と蓮が言った。「お父さんに教えてもらった」

 麻衣子が英二を見た。英二が麻衣子を見た。

 麻衣子は何も言わずに、キッチンに戻った。

 でも、戻り際に少しだけ笑った。

 英二だけが、それを見ていた。


 その夜遅く、英二はリビングで一人、鏡の代わりにテレビの黒い画面に向かって動いていた。

 音は出さなかった。家族が寝ているから。

 ポッピングで右腕を弾く。止める。左。止める。ウェーブを作る。鎖骨の引っかかりが、先週より少しだけ減った気がした。

 気がした、だけかもしれない。

 でも英二は続けた。

 テレビの黒い画面に、四十五歳の自分が映っていた。スウェット姿で、汗をかいて、音のない音楽に合わせて動いている男。

 悪くない、と英二は思った。

 根拠のない話だったが、確かにそう思った。


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