第20話「意識が大事」
九月の第一週、イベントの二週間前だった。
橘のスタジオに、また見慣れない男が来た。
三十代前半くらいだった。華奢で、どこか飄々とした雰囲気があった。でも立ち方に、だーよしさんと同じ種類の芯があった。体の中心に何かが通っている人間の立ち方だった。
橘が紹介した。
「soukiさんです」
「はじめまして」
soukiが手を差し出した。「坂本さん、聞いてますよ」と言った。
「どなたから」
「だーよしさんから」soukiは言った。「面白い人がいるって」
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soukiのことは、橘から少し聞いた。
ベルギー、ノルウェー、ヨーロッパ各地でソロ公演を続けているダンサーだと。海外のバトルでも優勝経験があると。
英二はその話を聞いて、また言葉を失った。
だーよしさんがマドンナのバックダンサー。soukiがヨーロッパで公演を続けるダンサー。橘が中目黒でスタジオを持つダンサー。KAITOとゴリさんが二十年のキャリアを持つダンサー。
気づけば英二がまたそういう人たちと接点を持ち始めていた。
半年前、病院のベッドで天井を見ていた男が。
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練習が終わって、soukiが英二に言った。
「九月のイベント、楽しみにしてます」
「えっ、見に来てくれるんですか」
「もちろん」
soukiは言った。
「ところで坂本さん、次の目標は何ですか」
英二は少し考えた。
「国内のバトルで結果を出すこと。いずれは自分のスタジオを持つこと」
soukiが頷いた。でも何か言いたそうな顔をしていた。
「何かありますか」
と英二は聞いた。
「国内のバトルもスタジオも、もちろんいい目標です」soukiは言った。「でも——せっかくだーよしさんとご縁ができたんだから、世界を意識してみてもいいんじゃないかと思って」
「世界、ですか」
「坂本さんのダンス、海外でも通じると思います」soukiは言った。あっさりと、でも確信を持って。「ヨーロッパのシーンは、技術だけじゃなくてその人の内面から出てくるストーリーを見る。四十五歳で証券会社やめてフロアに戻ってきた男のダンス——向こうの観客、絶対に刺さる」
英二はsoukiを見た。
「私が、海外で」
「変ですか」
「変というより——想像したことがなかった」
「目先のバトルで優勝して、スタジオ持って——それも素晴らしい夢です」soukiは言った。
「でも意識が変わると、練習の質が変わる。国内だけ見てるときと、世界を見てるときじゃ、同じ練習でも全然違うものになる」
英二は黙って聞いた。
「実力をどこまで上げるかって、練習時間より意識の問題だったりするんですよ」
soukiは言った。
「時間をかければうまくなるんじゃなくて、どこを目指してるかで上がり方が変わる」
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その帰り道、橘と二人で歩いた。
「soukiさん、すごい人ですね」と英二は言った。
「ヨーロッパで公演やってる人が、中目黒のうちのスタジオに来るんだから、不思議ですよね」橘は言った。「でもダンスのシーンって、意外と狭いんですよ。ヴィトンのモデルしてるsoraki くんなんて辻堂の市役所の鏡の前で踊ってたり。
ちゃんとやってる人間が普通の場所で生きてます」
「私みたいな人間がつながっていいのか、まだ実は別世界なんだってわきまえないといけないですけど」
「さっきsoukiさんが言ってたように意識を変えていきましょう。そのために第一線の人たちに声かけてるんです。もうつながってるじゃないですか」
橘は言った。
「KENJI さん、KAITO さん、ゴリさん、だーよしさん、soukiさん——みんな坂本さんのダンスを見て、自分から気持ちよく来てくれてる。」
英二は黙って歩いた。
「不思議ですね」と英二は言った。
「不思議じゃないですよ」橘は言った。「本気でやってる人間のエナジーや気には、本気の人間が引き寄せられる。それだけです」
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家に帰ると、麻衣子がリビングにいた。
英二が今日あったことを、珍しく少し話した。soukiさんという人が来たこと。ヨーロッパで公演をしているダンサーだということ。世界を意識してみては、と言われたこと。
麻衣子が聞きながら言った。
「なんか英二さんの周り、すごい人たちばかり集まってくるね。だーよしさんもそうだし」
英二は首を振った。
「俺じゃない。KENJIさんと橘がすごいんだよ。いい人たちと出会えた」
麻衣子がしばらく黙った。
「それを言える人が、いい人たちに出会えるんだと思うけど」
英二は答えなかった。でも、自分ひとりで会える人たちじゃない。橘と再会させてくれたのもKENJI。
KENJIには感謝しかない。
麻衣子がテレビをつけながら言った。
「世界かあ」
「想像できないけどね、まだ」
「私も想像できない」
麻衣子は言った。
「でも半年前、英二さんがヒップホップで生きていくって言ったとき、今みたいになるとも想像できなかった」
英二は麻衣子を見た。
「そうだね」
「だから」
麻衣子は言った。
「想像できないことが起きるのが、最近わかってきた」
麻衣子は少し笑った。
「お米の心配ばかりしてたのにね」
英二も笑った。
「まだお米の心配はしてください」
「してるよ、十分」
「麻衣子」
英二が言った。
「信じられないくらい充実して楽しい日々をありがとう。苦労させてる分、幸せにできるように頑張る」
「これからも二人三脚で頑張ろう!」
麻衣子が明るく言った。
麻衣子の明るさにほんとに助けられている。
この女性を伴侶にしてよかった、と心から思った。
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その夜、英二は一人でフロアに立った。
いつもと同じリビング、いつもと同じスウェット姿だった。
でも今夜は、少し違うイメージを持った。
国内のバトルじゃなくて——もっと遠い場所のフロアを。ヨーロッパのどこかの、自分が行ったことのない場所のフロアを。どんな観客がいるかも、どんな音楽かも、わからない。
でもそのフロアに向けて、波を通した。
軸を伸ばした。だーよしさんに教わった、日本人のアップダウンじゃなく伸縮の感覚で。
鉄を動かすように。ゴリさんに教わった重さのある圧で。
十七年間置いてきたものを乗せて。KAITOに言われた自分だけの秘伝のタレも見つけたい。
相手が来る前に空気を作る。KENJIに叩き込まれた最初の一動作で。
全部が、今夜の英二の体の中にあった。
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九月十四日。
イベントまで、あと一週間だった。




