第17話「ゴリさんの圧」
七月になった。
六月のバトルから三週間が経って、英二の練習は新しいフェーズに入っていた。KENJIの課題は「仕掛け」から「圧」に変わっていた。
「SHINに一対二だった理由がわかりますか」とKENJIは言った。
「技術の差です」
「それだけじゃない」KENJIは言った。「SHINはフロアに入った瞬間から、圧があった。坂本さんの圧は、動き始めてから来る。それが一テンポ遅い」
「圧というのは、技術で作るものですか」
「技術と、体の使い方と、気持ちの全部です」KENJIは言った。「ただ——体の使い方で変えられる部分がある。今月はそこをやります」
七月の第二週、橘のスタジオに見慣れない男が来た。
大きかった。身長は英二より高く、肩幅があった。歳は四十前後に見えた。でも動きは、その体格から想像できないほど繊細だった。
橘が紹介した。
「ゴリさんです。ポッパーです」
「ゴリさん」と英二は繰り返した。
「本名じゃないですよ」とゴリさんは言った。低い声だった。「見た目がゴリラみたいだからって、二十年前につけられた」
「ポッピングを二十年ですか」
「そのくらいになりますね」ゴリさんはフロアを見た。「KAITOから聞きました、坂本さんのこと。面白い人がいるって」
「KAITOさんから」
「あいつとは昔からの付き合いで」ゴリさんは英二を見た。「動いてみてください」
英二はフロアに出た。
ポッピングを中心にやった。波、ヒット、アイソレーション。KAITOに直してもらってから、波のつながりは格段によくなっていた。
止めた。
ゴリさんが腕を組んで言った。
「波、きれいですね」
「ありがとうございます」
「でも」ゴリさんはフロアに出てきた。「軽い」
「軽い、ですか」
「波を作るとき、何をイメージしてますか」
英二は少し考えた。「体の中を何かが通る、というイメージです」
「何が通ってますか」
「……水、みたいなものです」
ゴリさんが頷いた。
「水じゃなくて、鉄を通してみてください」
「鉄」
「重たいものを動かすようなイメージで波を作る」ゴリさんは言った。「やってみてください」
英二はやってみた。
最初はよくわからなかった。波を作る動きは同じはずなのに、鉄をイメージすると何かが変わった。体の中に抵抗が生まれた。その抵抗を押し動かすように波を通すと——
「止めてください」とゴリさんが言った。「今、何か変わりましたよね」
「変わりました」英二は言った。「重さが、出た気がします」
「出てました」ゴリさんは言った。「見てる側にも伝わる重さが」
橘が壁際から言った。「全然違う、今」
一時間、ゴリさんに教わった。
水を鉄に変えるだけで、動きの質が変わった。波に重みが乗った。ヒットの瞬間、止まり方が変わった。体が小さくまとまらなくなった。
練習が終わって、三人でストレッチをしながら英二はゴリさんに聞いた。
「それはいつ気づいたんですか、鉄のイメージ」
「十年前ですね」ゴリさんは言った。「それまでずっと波がきれいに出なくて、悩んでた。ある日、引っ越しの手伝いで重い冷蔵庫を動かしたとき、体の使い方が全然違うことに気づいて」
「引っ越しで」英二は少し笑った。
「ダンスのヒントって、意外なところにあるんですよ」ゴリさんは言った。「あとは」
「あとは?」
「圧をかけることです」ゴリさんは英二を見た。「重たいものを動かすとき、どうしますか」
「全体重をかけます」
「そう。波も同じで、体の重さを全部乗せて動かす。そうすると観ている人間に、圧として伝わる」
英二は黙って聞いた。
「坂本さんの波は今、きれいです。でもまだ自分の中で完結してる。それを外に向けて押し出すイメージで」ゴリさんは言った。「フロアの端の観客まで、波を届けるつもりで」
その夜遅く、英二はリビングで一人練習していた。
鉄を動かすイメージで、波を通した。
重かった。でもその重さが、体の外に出ていく感触があった。
麻衣子が水を飲みに来て、英二を見た。
「なんか今日、違うね」
「何が」
「なんか——重い」麻衣子は少し首を傾けた。「圧迫感がある、いい意味で」
英二は手を止めた。
「ゴリさんに教わったことです」
「ゴリさん」麻衣子は繰り返した。「いい名前だね」
「見た目がゴリラみたいだから、らしいです」
麻衣子が笑った。
「でも本当に変わった。さっきまでと全然違う」麻衣子は言った。「なんか、怖いくらい」
「怖い?」
「圧がある、って感じ」麻衣子はコップを持ったまま英二を見た。「バトルでそれが出たら、相手びびるんじゃない」
英二は少し笑った。
「それが目標です」
麻衣子が「じゃあおやすみ」と言って廊下に向かった。
戻り際に振り返って言った。
「ゴリさんに、ありがとうって言っといて」
「機会があれば」
「機会を作って」麻衣子は言った。「そういう人に、ちゃんと伝えないと」
翌週の木曜、初心者クラスで田村さんに会った。
ウォームアップをしながら田村さんが言った。
「坂本さん、なんか変わりました?」
「変わりましたか」
「なんか——立ってるだけで、前より存在感があるというか」田村さんは言いにくそうに続けた。「近づきにくい感じがして、最初びっくりしました」
英二は少し笑った。
「それは褒め言葉ですか」
「褒め言葉です、たぶん」田村さんも笑った。「ダンスって、立ち方まで変わるんですね」
「変わるみたいです」英二は言った。「私も知りませんでした、半年前まで」
七月の終わり、KENJIが次のイベントを告げた。
「九月に出てください」
「どんなイベントですか」
「招待制です」KENJIは言った。
英二は少し驚いた。「招待、ですか」
「主催者から声がかかりました。坂本さんに出てほしいと」
「私に?」
「六月のイベントで、坂本さんのことが話題になってたみたいです」KENJIは言った。「四十五歳で、あのレベルのバトルをやる人間がいると」
英二は黙った。
「SHINも出ます」KENJIは言った。「リベンジの機会です」
「リベンジというより」英二は言った。「六月より成長できてるかどうか、確かめる機会です」
KENJIが少し笑った。
「同じことです」
その夜、英二はスマートフォンを開いた。
結衣が六月に上げたインスタの投稿を見た。三回戦の動画だった。いいねが、じわじわと増えていた。コメントが何件かついていた。
この人何者?
45歳って本当に?
ポッピングのレベル高い
SHINと渡り合ってる
英二はコメントを読んで、スマートフォンを置いた。
九月まで、あと二ヶ月だった。
鉄を動かすように、波を通した。
重かった。
その重さが、今の英二には一番しっくりきた。




