第13話「百二十八人の春」
四月の第二土曜日、会場は代々木のイベントホールだった。
エントリー百二十八人。英二がこれまで出たイベントの、倍の規模だった。受付を済ませて中に入ると、熱気が違った。音楽の密度が違った。人間の密度が違った。
英二はウォームアップエリアに移動した。
見渡すと、わかった。レベルが違う。二月のイベントとは、また一段階上だった。体の使い方、音楽との対話、フロアの支配の仕方——それぞれが、それぞれの積み上げを纏っていた。
英二は周りを見すぎないようにした。KENJIに言われていた。「会場の空気に飲まれるな。自分の音楽を持って入れ」
橘が来た。
「坂本さん、ドロー見ましたか」
「まだです」
「俺、ブロックC」橘はトーナメント表を見せた。「坂本さんは?」
英二は自分の名前を探した。
「ブロックA」
「当たるとしたら決勝だけですね」橘は言った。さらっと言った。
「決勝まで行く前提ですか」
「行くつもりで来てるんで」橘は笑った。「坂本さんも行くつもりで来てるでしょ」
英二は答えなかった。
でも否定しなかった。
一回戦の相手は、二十一歳だった。
名前はSHO。小柄で、動きが鋭かった。ウォームアップを見ると、スピードに自信があるタイプだった。
英二は二月と同じ判断をした。速さで勝負しない。重さで対抗する。
一回戦が始まった。
SHOが先攻だった。速かった。音楽への反応が鋭くて、観客が沸いた。
英二の番が来た。
フロアに入った。
待った。
一月に練習した「待つ」が、体に入っていた。最初の八カウント、ビートを聴いた。重い場所を探した。
来た。
動いた。
出だしの重さが、SHOの速さと対照になった。審判の一人が、わずかに頷くのが見えた。
三十秒が終わった。
審判三人、二人が英二の側だった。
二回戦の相手は、二十九歳だった。
名前はDAI。細身で、目が静かだった。一回戦を余裕のある内容で勝ち上がってきていた。
DAIの動きを少し見た。
技術が高かった。スピードも重さも持っていた。音楽の解釈が細かかった。二月に英二が負けた相手と、同じ種類のダンサーだった。
でも英二は、二月とは違う体を持っていた。
二回戦が始まった。
DAIが先攻だった。
静かな立ち上がりだった。英二と同じように、最初の数カウントを待った。そして動き出した瞬間、空気が変わった。音楽と体が一体になる瞬間が、見ていてわかった。観客がざわめいた。
英二の番が来た。
フロアに入りながら、英二は一つだけ決めた。
DAIの動きに反応する。相手を無視して自分だけやるんじゃなく、対話する。バトルの本質はそこだと、KENJIが言っていた。
DAIが重く動いたところに、英二は軽さで返した。DAIが止まったところに、英二は動きで返した。音楽を通じて、二人が会話していた。
三十秒が終わった。
審判が手を上げた。
三人のうち、二人が英二の側だった。
DAIがフロアを出るとき、英二と目が合った。DAIが小さく頷いた。英二も頷いた。
それだけだった。でもその頷きが、英二には勲章みたいに感じた。
三回戦で、英二は止まった。
相手は三十二歳、名前はRYUTA。このシーンで五年以上バトルを続けているらしかった。体格がよくて、フロアの使い方が大胆だった。
英二は全部出した。
待って、重さで入って、対話して——すべてをやった。三十秒ずつ、三セット。終わったとき、体の底から何かが空になった感じがした。
審判が手を上げた。
二人がRYUTAの側、一人が英二の側だった。
ベスト16。百二十八人中の。
英二はフロアを出て、壁際に移動した。息を整えながら、天井を見た。
悔しかった。
十二月は「負けて当然」だった。二月は「負けてもしょうがない」だった。でも今日は——もう少し、行けた気がした。その「もう少し」が、今までと違う重さで来た。
これが悔しさか、と英二は思った。
悪くない感情だった。
KENJIが来た。
「三回戦、見てました」
「負けました」
「RYUTAは強い」KENJIは言った。「でも三セット目、対等だった」
「対等では勝てないですね」
「そうです」KENJIは言った。「次の課題が見えましたか」
英二は少し考えた。
「対話はできた。でも仕掛けが足りなかった。受けてばかりで、主導権を取りに行く場面が少なかった」
KENJIが頷いた。
「それです。次はそこをやります」
「次のイベントはいつですか」
「六月」KENJIは言った。「それまでに、仕掛けを作る」
橘は準決勝まで進んで、惜しくも負けた。
ベスト4。英二がフロアの端から見ていた準決勝は、橘がこれまで見た中で一番いい踊りだった。それでも負けた。相手が、一段階上にいた。
試合後、二人で並んでフロアを見た。
「悔しいですか」と英二は聞いた。
「めちゃくちゃ悔しいです」橘は言った。「でも——」
「でも?」
「坂本さんがベスト16まで来た。それも悔しい」橘は苦笑した。「追いつかれてきてる気がして」
「まだ追いついてないですよ」
「わかってます」橘は言った。「でも四月にそう感じたってことは、六月は本当にわからない」
英二は答えなかった。
でも胸の中で、何かが静かに燃えた。
家族が来たのは、英二の三回戦が終わった後だった。
麻衣子と蓮と結衣、それに——見知らぬ顔が一人いた。
結衣の隣に、同い年くらいの女の子がいた。
「美咲」と結衣が紹介した。「見たいって言うから連れてきた」
美咲が「はじめまして」と頭を下げた。目が輝いていた。
「ベスト16、見ました」美咲は言った。「三回戦、すごかったです」
「負けましたけど」
「でも」美咲はまっすぐ英二を見た。「会場の空気、変わってましたよ。結衣のお父さんがフロアに入ったとき」
英二は少し驚いた。
ダンスを見慣れていない目が、そう見えた。それが英二には、審判の評価より少し刺さった。
蓮が走ってきて「お父さんかっこよかった!」と言った。毎回同じことを言った。でも毎回、違う重さで来た。
麻衣子がスポーツドリンクを渡した。毎回同じだった。でも今回は、渡しながら小声で言った。
「悔しそうな顔してる」
「してます」
「それでいいんじゃない」麻衣子は言った。「悔しくない顔してたら、心配するから」
英二は缶を開けた。
一口飲んだ。
フロアでは決勝が始まっていた。百二十八人が残した最後の二人が、向かい合っていた。
英二は家族と美咲の隣に立って、その二人を見た。
六月まで、あと二ヶ月だった。




