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お父さんヒップホップで生きていくことにしたんだ  作者: はまゆう


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12/21

第13話「百二十八人の春」

 四月の第二土曜日、会場は代々木のイベントホールだった。

 エントリー百二十八人。英二がこれまで出たイベントの、倍の規模だった。受付を済ませて中に入ると、熱気が違った。音楽の密度が違った。人間の密度が違った。

 英二はウォームアップエリアに移動した。

 見渡すと、わかった。レベルが違う。二月のイベントとは、また一段階上だった。体の使い方、音楽との対話、フロアの支配の仕方——それぞれが、それぞれの積み上げを纏っていた。

 英二は周りを見すぎないようにした。KENJIに言われていた。「会場の空気に飲まれるな。自分の音楽を持って入れ」

 橘が来た。

「坂本さん、ドロー見ましたか」

「まだです」

「俺、ブロックC」橘はトーナメント表を見せた。「坂本さんは?」

 英二は自分の名前を探した。

「ブロックA」

「当たるとしたら決勝だけですね」橘は言った。さらっと言った。

「決勝まで行く前提ですか」

「行くつもりで来てるんで」橘は笑った。「坂本さんも行くつもりで来てるでしょ」

 英二は答えなかった。

 でも否定しなかった。


 一回戦の相手は、二十一歳だった。

 名前はSHO。小柄で、動きが鋭かった。ウォームアップを見ると、スピードに自信があるタイプだった。

 英二は二月と同じ判断をした。速さで勝負しない。重さで対抗する。

 一回戦が始まった。

 SHOが先攻だった。速かった。音楽への反応が鋭くて、観客が沸いた。

 英二の番が来た。

 フロアに入った。

 待った。

 一月に練習した「待つ」が、体に入っていた。最初の八カウント、ビートを聴いた。重い場所を探した。

 来た。

 動いた。

 出だしの重さが、SHOの速さと対照になった。審判の一人が、わずかに頷くのが見えた。

 三十秒が終わった。

 審判三人、二人が英二の側だった。


 二回戦の相手は、二十九歳だった。

 名前はDAI。細身で、目が静かだった。一回戦を余裕のある内容で勝ち上がってきていた。

 DAIの動きを少し見た。

 技術が高かった。スピードも重さも持っていた。音楽の解釈が細かかった。二月に英二が負けた相手と、同じ種類のダンサーだった。

 でも英二は、二月とは違う体を持っていた。

 二回戦が始まった。

 DAIが先攻だった。

 静かな立ち上がりだった。英二と同じように、最初の数カウントを待った。そして動き出した瞬間、空気が変わった。音楽と体が一体になる瞬間が、見ていてわかった。観客がざわめいた。

 英二の番が来た。

 フロアに入りながら、英二は一つだけ決めた。

 DAIの動きに反応する。相手を無視して自分だけやるんじゃなく、対話する。バトルの本質はそこだと、KENJIが言っていた。

 DAIが重く動いたところに、英二は軽さで返した。DAIが止まったところに、英二は動きで返した。音楽を通じて、二人が会話していた。

 三十秒が終わった。

 審判が手を上げた。

 三人のうち、二人が英二の側だった。

 DAIがフロアを出るとき、英二と目が合った。DAIが小さく頷いた。英二も頷いた。

 それだけだった。でもその頷きが、英二には勲章みたいに感じた。


 三回戦で、英二は止まった。

 相手は三十二歳、名前はRYUTA。このシーンで五年以上バトルを続けているらしかった。体格がよくて、フロアの使い方が大胆だった。

 英二は全部出した。

 待って、重さで入って、対話して——すべてをやった。三十秒ずつ、三セット。終わったとき、体の底から何かが空になった感じがした。

 審判が手を上げた。

 二人がRYUTAの側、一人が英二の側だった。

 ベスト16。百二十八人中の。

 英二はフロアを出て、壁際に移動した。息を整えながら、天井を見た。

 悔しかった。

 十二月は「負けて当然」だった。二月は「負けてもしょうがない」だった。でも今日は——もう少し、行けた気がした。その「もう少し」が、今までと違う重さで来た。

 これが悔しさか、と英二は思った。

 悪くない感情だった。


 KENJIが来た。

「三回戦、見てました」

「負けました」

「RYUTAは強い」KENJIは言った。「でも三セット目、対等だった」

「対等では勝てないですね」

「そうです」KENJIは言った。「次の課題が見えましたか」

 英二は少し考えた。

「対話はできた。でも仕掛けが足りなかった。受けてばかりで、主導権を取りに行く場面が少なかった」

 KENJIが頷いた。

「それです。次はそこをやります」

「次のイベントはいつですか」

「六月」KENJIは言った。「それまでに、仕掛けを作る」


 橘は準決勝まで進んで、惜しくも負けた。

 ベスト4。英二がフロアの端から見ていた準決勝は、橘がこれまで見た中で一番いい踊りだった。それでも負けた。相手が、一段階上にいた。

 試合後、二人で並んでフロアを見た。

「悔しいですか」と英二は聞いた。

「めちゃくちゃ悔しいです」橘は言った。「でも——」

「でも?」

「坂本さんがベスト16まで来た。それも悔しい」橘は苦笑した。「追いつかれてきてる気がして」

「まだ追いついてないですよ」

「わかってます」橘は言った。「でも四月にそう感じたってことは、六月は本当にわからない」

 英二は答えなかった。

 でも胸の中で、何かが静かに燃えた。


 家族が来たのは、英二の三回戦が終わった後だった。

 麻衣子と蓮と結衣、それに——見知らぬ顔が一人いた。

 結衣の隣に、同い年くらいの女の子がいた。

「美咲」と結衣が紹介した。「見たいって言うから連れてきた」

 美咲が「はじめまして」と頭を下げた。目が輝いていた。

「ベスト16、見ました」美咲は言った。「三回戦、すごかったです」

「負けましたけど」

「でも」美咲はまっすぐ英二を見た。「会場の空気、変わってましたよ。結衣のお父さんがフロアに入ったとき」

 英二は少し驚いた。

 ダンスを見慣れていない目が、そう見えた。それが英二には、審判の評価より少し刺さった。

 蓮が走ってきて「お父さんかっこよかった!」と言った。毎回同じことを言った。でも毎回、違う重さで来た。

 麻衣子がスポーツドリンクを渡した。毎回同じだった。でも今回は、渡しながら小声で言った。

「悔しそうな顔してる」

「してます」

「それでいいんじゃない」麻衣子は言った。「悔しくない顔してたら、心配するから」

 英二は缶を開けた。

 一口飲んだ。

 フロアでは決勝が始まっていた。百二十八人が残した最後の二人が、向かい合っていた。

 英二は家族と美咲の隣に立って、その二人を見た。

 六月まで、あと二ヶ月だった。


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