第5話「未記録入口」
第三層外縁。
光の街は、昨日より静かだった。
音が少ないというより、
音が“遅れて届く”感じがする。
「……ねーちゃん、今日やばくない?」
そらが周囲を見回す。
建物の影が、ほんの少しだけ反転している。
「ログ赤い時は、こういう揺れ方するの」
ひなが短く答える。
空中に浮かぶパネルの数値が、微妙にずれていた。
「帰還ラインだけ先に引くね」
ひなの指が光をなぞる。
細いガイド線が伸びる。
でも――
途中で、途切れた。
「……え?」
ひなの声が小さくなる。
「またガイド切れた?」
「違う。消されたみたい」
「消されたって何」
その時。
遠くの建物の壁が、ゆっくりと“剥がれた”。
中身が空洞になっている。
色がない。
黒でも白でもない、何も表示されない領域。
「……未記録域」
ひなが呟く。
そらの背中が冷える。
「ログにない場所?」
「……うん」
普通の層なら、すべて座標が表示される。
でもそこだけ、何もない。
*
風が止まる。
警告音が鳴らない。
システムが認識していない場所。
「……ねーちゃん」
「近づかないで」
ひなの声が低い。
完全に“姉”の声だった。
そらは一歩止まる。
でも目が離せない。
空洞の奥に、何かが見えた気がした。
光の残骸。
まるで、誰かがガイドを途中で失った跡みたいな線。
「……父さんの……?」
ひなが小さく息を呑む。
その瞬間。
地面がズレた。
そらの足元が、透明になる。
「っ!」
「そら!!」
ひなが腕を掴む。
でもガイドが安定しない。
「座標が……固定できない!」
空間がノイズみたいに震える。
建物の輪郭が何度も描き直される。
耳鳴り。
遠くで、誰かの足音がした気がした。
――誰もいないはずなのに。
「……帰る」
そらが小さく呟く。
「……帰りたい」
胸の奥が熱くなる。
「リターン」
空気が巻き戻る。
崩れた街が一瞬で元に戻った。
空洞も、見えなくなる。
静寂。
「……今、見たよね」
そらが言う。
ひなは答えない。
ただ、小さく頷いた。
*
帰還。
リビング。
ゆいがすぐに振り返る。
「……そこ、行ったのね」
「入口だけ」
ひなが言う。
「未記録域。父さんの座標に近い」
ゆいの表情が変わる。
怒っているわけじゃない。
ただ、少しだけ疲れて見えた。
「……入口は、層じゃないの」
「え?」
「“落ちた場所”よ」
静かな声。
そらがソファに座り込む。
「落ちたって……」
「ガイドが届かなくて、ログにも残らない領域」
ゆいは小さく息を吐く。
「だから……近づかないで」
初めて、はっきり言った。
*
夜。
ひながベランダで空を見ている。
「……ねーちゃん」
「ん?」
「怖かった?」
「……ちょっと」
素直な声。
「でもさ」
そらが笑う。
「ねーちゃんが前にいると、帰れる気する」
ひなが小さく笑った。
「……それ、逆だから」
「え?」
「帰らせるの、あんたでしょ」
その言葉だけが、静かに残った。
空が一瞬、ノイズみたいに歪む。
誰も気づかない。




