第2話 ベッドの上での生活(騎士・シモーヌ①)
ベッドの上での生活は、思っていた以上に退屈だった。
食事は運んできてもらえるし、着替えだって手伝ってもらえる。歩こうとすれば誰かが飛んできて支えてくれるし、少し体を起こしただけでも大丈夫かと尋ねられる。みんな親切なのは分かっているが、ここまで何もさせてもらえないと、さすがに暇を持て余してしまう。
もっとも、今の俺の体では仕方がないのかもしれない。
7年間、まともに食事を与えられなかったせいで、体はすっかり痩せ細っていた。腕も脚も細く、骨ばった体つきになっている。拳闘士といえば、鍛え上げた筋肉で相手を圧倒する職業だ。それなのに、今の俺は拳闘士どころか、少し強く押されただけで折れてしまいそうな体格をしている。
最強の拳闘士になるはずなんだけどなあ。
俺には、被虐成長という特殊な能力がある。ダメージを受けるたびに成長するというもので、傷つけば傷つくほど強くなれる。7年間も拷問を受け続けた俺が、以前より強くなっているのは必然。実際、強くなっている感覚はあるのだ。
問題は、強くなったところで、この体では満足に動けないことだった。
右腕は肩から失われ、右脚も太ももから先がない。右目と右耳の機能も失った。俺に残っているのは、ほぼ左半身のみだ。以前と同じ戦い方ができるようになるには、相当な工夫が必要だろう。それでも、動けるようになれば何とかなる。俺はそう考えていた。
そういえば、脱獄したときのことも気になっている。
あの牢獄から逃げ出す際、俺を見逃してくれた奴がいた。敵の兵士だったのか、それとも別の立場の人間だったのか。はっきりとは覚えていないが、今になって思えば、あいつは原作の主人公だったのかもしれない。
俺は前世で遊んでいたゲームの世界にいる。
といっても、ゲームの筋書きを全部覚えているわけではない。主人公の名前すら思い出せないくらいだ。ただ、主人公は敵であっても事情があれば助けるやつだった。目の前で苦しんでいる人間を放っておけない、そんなお人好しだったはずだ。
もし本当にあいつだったなら、いつの日かお礼を言いたい。
7年間も捕まっていた俺が外に出られたのは、あいつが見逃してくれたおかげかもしれないのだから。
「……名前、何だったかな」
思い出そうとしても、肝心なところが抜け落ちている。まあ、いつか再会できたら、そのときに聞けばいいか。
俺たちのパーティー『五つ星の旅団』は、以前はBランクだった。俺たち五人で依頼をこなし、少しずつ実績を積み重ねてきたパーティーだ。けれど、俺がいなくなってからは活動が減り、今ではCランクに落ちてしまったという。
それを聞いたときは申し訳なく思ったが、仲間たちは誰も俺を責めなかった。むしろ猛烈に謝られてまた泣かれてしまったくらいだ。
だからこそ、早く元気になりたい。
「……よし」
俺は掛け布団をどけ、ベッドから降りた。片足で立つのはまだ不安定だが、壁に手をつけば何とかなる。
まずは、腕立て伏せをしてみよう。
もちろん、昔のように両手両足を使うことはできない。左手と左脚だけで体を支え、少しずつ体を上下させる。
「おお……。左半分で腕立てって、むずいぞ」
以前なら準備運動にもならなかったはずなのに、今では1回でも息が上がる。それでも、できないことが分かったなら、できるようになるまで鍛えればいい。焦る必要はない。7年も待ったのだから、今さら数日や数週間を惜しむつもりはなかった。
「くっそぉぉおおっ」
なかなかうまくいかない。
「ローウェルッ!」
突然、大きな声がした。
「いでっ!」
振り返ると、黒髪を後ろで束ね、銀色の鎧を着たシモーヌが立っていた。俺たち『五つ星の旅団』で前衛をしていた女騎士だ。いつもは堂々としていて、ちょっとやそっとのことでは動じない。そんなシモーヌが、今はひどく慌てた顔をしていた。
「ローウェル! 何をしているんだ!」
シモーヌは俺のそばに駆け寄ると、床に膝をついた。俺の左腕を見て、それから顔を見て、また左腕を見る。
「痛くないか? 苦しくないか?」
「大丈夫、大丈夫。腕立てしてただけだよ。でも、1回しかできなかったわ。前は1日1万回できたんだけどな。ハハハハハッ」
「……すまない」
「なんでお前が謝るんだ?」
「だって……。私は……、お前を心配することしかできない。謝ったところで、お前の体は……」
シモーヌは何かを言いかけて、口を閉じた。何だろう。まあいいか。
「前みたいにまたみんなと一緒に冒険したいからさ! 早く鍛えて7年を取り戻さないとな!」
俺はそう言って左手を握った。
シモーヌの顔が曇った。
「……お前は、また私たちと冒険するために、頑張ろうとしているのか?」
「もちろん! 今はこんなだけど、頑張れば少しずつ強くなれるだろ?」
シモーヌはうつむいた。
「すまない、ローウェル……」
「だから、なんで謝るんだって」
「お前は帰ってきたばかりなのに、もう私たちのことを考えてくれている。それなのに私は、お前に何もしてやれない」
「いや、心配してくれるのは嬉しいぞ?」
「……っ」
シモーヌの肩がぴくりと動いた。
「嬉しい……?」
「うん。仲間が心配してくれるんだから、そりゃ嬉しいだろ!」
「どうして……」
「ん? 何か問題あるか?」
「あるだろう……!」
シモーヌの声が震えた。
「私は騎士なんだぞ。仲間を守るために剣を握っているんだ。それなのに、お前が苦しんでいる7年間、私は何もできなかった。助けに行くこともできず、帰ってきたお前にしてやれることといえば、無理をするなと注意することだけだ……。こんなの、許されない……!」
「え? でも、シモーヌは悪くないだろ?」
俺がそう言うと、シモーヌは目を見開いた。
「……悪く、ない?」
「ああ。俺が勝手に捕まったんだし、みんなが助かったなら、それでいいって思ってるし」
「勝手に……?」
「ほら、俺が捕まったおかげで、みんなは逃げられただろ? だったらよかったじゃん!」
俺は何もおかしなことを言っていないと思った。
みんなが助かって、俺も帰ってこられた。ちょっと体が不便になったけど、これから鍛えればいい。だから、そんなに心配しなくてもいいのに。
けれど、シモーヌは顔を両手で覆った。
「……違う」
「ん?」
「違うんだ、ローウェル……。お前は、私たちを守るために捕まったんだ。私たちが逃げられるように、自分から残った。それなのに私は……、戦地から抜けると、体の震えが止まったんだ。私は卑怯者なんだよ……」
「ん~、そっか。でも、みんなが助かったんだから――」
「よくない!」
シモーヌが叫んだ。
俺はびっくりして黙った。
シモーヌはすぐに口を押さえたが、もう涙がこぼれていた。
「……すまない。怒鳴るつもりじゃなかったんだ……」
「う、うん。別にいいけど」
シモーヌは俺の左手を握った。
「……ごめん。ごめんな、ローウェル……」
「だから、謝らなくていいって」
「謝ったところで何も変わらないのは分かっている。それでも謝らせてくれ……」
彼女は俺の手を両手で握りしめた。
「シモーヌだって、俺を何度も助けてくれただろ?」
俺は思い出しながら答えた。
「前に魔物に囲まれたときも、大剣で助けてくれたじゃん。あれ、すごくかっこよかったぞ!」
「やめてくれ……」
「え?」
「そんなことを言わないでくれ……。私は、そんなふうに褒めてもらえる人間じゃないんだ……!」
シモーヌの声が、どんどん小さくなっていった。
「昔、お前を助けたことがあったとしても……。あのときお前を守れなかった。それがすべてなんだ。私は、肝心なときにお前を守れなかったんだよ……! だからお前は、こんな体に……」
シモーヌは唇をかみしめた。
俺は自分の右肩を見た。
うーん。確かに、右腕があったら便利だっただろうな。右足もあったほうが歩きやすい。でも、それをシモーヌのせいにするのは違うと思う。
「俺は生きてるぞ?」
シモーヌが顔を上げた。
「七年間も拷問されたけど、生きて帰ってこられた。すごいだろ? 俺、けっこう頑張ったと思うんだよな!」
「ローウェル……」
「だから、そんなに気にするなって。俺は大丈夫だし、また強くなるからさ!」
その瞬間、シモーヌの顔がぐしゃりと歪んだ。
「……っ、う……うぅ……っ」
「え?」
「ひっ……ぐすっ……うぅ、うああああん……! ごめん……ごめんな、ローウェル……っ! 私が……私が、ちゃんと……っ、うっ、うぅ……! うぇ……っ、うぇええええん……!」
とうとう我慢できなくなったらしい。シモーヌは顔をくしゃくしゃにして泣き出した。最初は声を押し殺そうとしていたのに、途中からしゃくり上げる音が止まらなくなり、息を吸うたびに喉がひゅっと鳴った。
「えっ、ちょ、シモーヌ!? なんでそんなに泣くんだよ!?」
俺が慌てて声をかけると、シモーヌは首を横に振った。けれど、泣きすぎて息がうまく吸えないのか、返事をしようとしても「ひっ、ひっ……」としゃくり上げるばかりだった。
「ひぐっ……うぅっ……! ごめん……ごめんなさい……っ!」
言葉が続かない。何か言おうと口を開いても、嗚咽がこみ上げて、まともに声が出ない。シモーヌは何度も鼻をすすり、手の甲で乱暴に涙をぬぐった。それでも涙は次々にあふれて、頬を伝い、顎からぽたぽたと落ちていく。
「ほ、ほら! 俺はもう大丈夫だから! なっ? ちゃんと動けるし!」
「うあああっ……! ごめん……っ、ごめん、ローウェル……! 私……お前を、守れなかった……っ! うぅっ、ひっく……!」
「いや、だから、謝らなくていいって!」
「だってぇ……っ! うっ、うぅ……っ! 私、騎士なのに……っ、仲間なのにぃ……! お前が、あんな目に遭ってたのに……っ! うああああん……!」
シモーヌは俺の手をぎゅっと握りしめたまま、何度も首を振った。普段はあんなに強くて、頼りになるシモーヌが、今は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
……どうしよう。
俺、何か泣かせるようなこと言ったか?




