第10話 後悔(魔法使い・タニア③)
「……タニアさん。ローウェルさんの右半身は、元には戻せませんでした」
金色の髪をしたリネットが、そう言った。あたしたちの仲間で、治癒魔法を使う聖女だ。いつも落ち着いている彼女も、今は顔が真っ青だった。
「……え?」
あたしは、しばらく意味がわからなかった。
「……リネット、今なんて?」
「手術は無事に終わりました。命に別状はありません。ですが……失われた右腕と右足は、再生できませんでした」
リネットの肩が震えた。
「……なんで?」
「傷口に特殊な呪いが残っています。それに、欠損してから長い時間がたっていて」
「それって」
涙がにじんだ。
「……ローウェルさんの体には、ひどい拷問の跡がありました。古い骨折が何十か所もあります。火傷も多く、治癒魔法で傷をふさいだ跡も、何度も重なっていました」
「……」
「おそらく、7年間にわたって、傷つけられては治されることを繰り返していたのだと思います」
あたしの頭に、暗い部屋が浮かんだ。鎖につながれたローウェル。兵士に殴られるローウェル。そして誰も助けに来ない。
気づいたときには、リネットの肩をつかんでいた。
「治してよ」
「……タニアさん」
「治してよぉ。リネット、聖女なんでしょ?」
涙が落ちた。
「ローウェルを助けてよ。お願いだから……」
リネットは逃げなかった。あたしに肩をつかまれたまま、泣いていた。
あの日。
あたしたちは帝国軍に囲まれていた。敵は前にも後ろにもいた。黒い鎧の兵士たち。その後ろには、魔法使いもいた。
あたしには2つの選択肢があった。
敵をまとめて倒す爆発魔法。
仲間を包んで守る防御魔法。
爆発魔法なら、敵を倒せたかもしれない。でも、味方を巻き込むのが怖かった。だから、防御魔法を選んだ。
『みんな、あたしの近くに来て。結界を張るから』
青い結界が広がった。みんなを包んだ。あたしは安心した。
『これで大丈夫。敵の攻撃は通らないよ』
ローウェルが笑った。
『さすがタニアだな』
嬉しかった。その言葉が、嬉しくて仕方なかった。
でも敵の魔法使いが前に出た。黒い杖を持った男だった。男は、あたしの結界を見て笑った。そして、赤い魔法を放った。
ぱきん。結界にひびが入った。
『……え?』
次の瞬間。結界が砕けた。
『……うそ』
結界を破壊する魔法。知っていた。そんな魔法があることは、知っていた。なのに、考えていなかった。あたしは自分の結界なら大丈夫だと思っていた。
『タニア、下がれ』
ローウェルが前に出た。
敵が押し寄せてきた。あたしは爆発魔法を使おうとした。でも、敵はもう近すぎた。今使えば、仲間まで吹き飛ばしてしまう。
『……どうしよう』
何を使えばいいのかわからなかった。頭が真っ白になった。
シモーヌが敵を斬った。
ロナンが斧を振った。
リネットが治癒魔法を使った。
ローウェルは、あたしたちの前で戦っていた。
あたしだけが、何もできなかった。一番大切なときに、使う魔法を間違えた。そのせいで、ローウェルを置いて逃げることになった。
ロナンに腕をつかまれた。
『……行くぞ』
『やだ。離してよ。ローウェルが……』
『……頼まれた』
『ローウェルぅ』
あたしは泣き叫んだ。
7年間。あたしは、あの日のことを忘れたことがなかった。
手術が終わったその日の夜、部屋にはあたしとローウェルしかいなかった。
「……ローウェル」
返事はなかった。静かな寝息が聞こえた。右腕がない。右足もない。
「……ほんとに、なくなっちゃったんだ……」
あたしは小さく言った。
「ローウェル、ごめんね……」
彼は眠っていた。穏やかな顔だった。
7年間も拷問された人とは思えないくらい、静かな顔だった。その顔を見ていると、どうしても考えてしまう。
7年間。
ローウェルは、どれくらい痛かったんだろう。どれくらい苦しかったんだろう。あたしは何も知らない。あたしが魔法を間違えたせいで捕まったのに。
何も知らない。
「……知っておかなきゃ」
あたしは杖を取り出した。
記憶を読み取る魔法。人の脳に残された記憶を、映像として見る魔法だった。本当は、本人の許可が必要な魔法だ。でも、ローウェルは眠っていた。
「……ごめんね」
あたしは、彼の額に杖を近づけた。
「……ちょっとだけ、見せてね……」
青い光が広がった。あたしは、ローウェルの7年間を見た。
暗い部屋だった。
石の壁。鉄の鎖。床には血が落ちていた。その真ん中に、ローウェルがいた。両手を鎖につながれていた。服は破れていた。体には、たくさんの傷があった。
黒い鎧を着た男が立っていた。帝国軍の将軍、ギデオン。男は、ローウェルを見下ろしていた。
『仲間たちは逃げたぞ』
ローウェルは顔を上げた。
『……そっか。よかった』
笑っていた。あたしは、口を押さえた。
ギデオンが剣を抜いた。ローウェルの体を斬った。
『ぐああああっ』
ローウェルが叫んだ。あたしの体が震えた。
『いい声だ。もっと聞かせろ』
また、剣が振り下ろされた。
『ああああああっ』
「やめて」
あたしは叫んだ。
「やめてよ」
ローウェルは何度も傷つけられた。そのたびに、苦しそうな声を上げた。
『ぐっ……ああっ……』
ギデオンは、傷を治癒魔法でふさいだ。そして、また剣を抜いた。
『さあ、もう一度だ』
『はは。すげえな……』
ローウェルは息を切らしながら笑った。
『こんなに痛いの、初めてだ……』
その笑顔が、あたしにはつらかった。
ローウェルの口から血が流れていた。彼は苦しそうに息をしていた。
『はっ……はっ……』
それから爪をはがされたり、指を切り落とされたり、そして腕を切り落とされる。治癒魔法で修復して、また傷つける。その繰り返し。
私はそれ以上記憶を覗くことができなかった。
『ああっ……、ぐっ……あああっ……』
ギデオンが笑っていた。
ローウェルは鎖につながれたまま、体を震わせていた。
あたしは床に座り込んでいた。
「あたしが、間違えたから……」
胃の奥が持ち上がった。
「うっ……おえっ……」
床に吐いた。何度も吐いた。
「げほっ……うえぇっ……」
涙が止まらなかった。
ローウェルは眠っていた。右腕も、右足もないまま。
「ごめんね、ローウェル……。あのとき、爆発魔法を使ってれば……敵を倒せてたかもしれないのに……」
あたしは、自分の頬を叩いた。痛かった。でも、ローウェルが受けた痛みに比べたら、何でもなかった。何度もたたく。
「あたしが捕まればよかったのに……」
また頬を叩こうとしたとき。大きな手が、あたしの腕をつかんだ。
「……やめろ」
低い声だった。振り返ると、ロナンが立っていた。赤茶色の髪をした、大柄な戦士。いつも無口で、仲間を守るために斧を振るう人。
「ロナン……?」
ロナンは、あたしの手を離さなかった。
「……離して」
「……駄目だ」
「あたしが悪いんだよ……」
「……」
「あたしが魔法を間違えたから、ローウェルはあんな目に遭ったんだよ……」
声が震えた。
「あたしが悪いんだよ。あたしがローウェルを7年間も苦しませたんだよぉ」
涙が止まらなかった。また吐き気がした。ロナンが、あたしの背中を支えた。
「……もういい」
「よくないよぉ」
あたしは叫んだ。
「何にもよくないよぉ」
「……」
「あたし、ローウェルに命を捧げるって決めたんだよ……」
「……」
「助けてもらったときに、決めたんだよ……。なのに、あたし……」
言葉が続かなかった。




