第9話 研究所にて(魔法使い・タニア②)
「……タニア君。これは何だね?」
王都の魔法研究所。朝から大きなため息をついたのは、白髪の研究主任、メルツだった。その向かいには、長い紫色の髪をした若い魔法使いが座っている。
タニアだ。
彼女は机に身を乗り出し、目を輝かせていた。
「義足の改良計画書だよ。昨日の夜に考えたんだ。見て見て、ここの魔法陣、すごくない?」
「義足の改良というのはわかる。私が聞いているのは、この予算だ」
「ちょっと高いかな?」
「ちょっとではない。先週認めた予算の3倍だぞ」
「でも、これがあればローウェルがもっと安全に歩けるんだよ」
タニアは嬉しそうに設計図を広げた。机いっぱいに魔法陣が描かれている。
「まず、衝撃を吸収する魔法でしょ。それから関節を自動で動かす魔法。あと、転んだときに体を守る結界もつけたいんだ」
「それは前にも聞いた」
「今回はもっとすごいよ。結界が壊れたときのために、もう1つ結界を入れるの。それでも壊れたら、自動で敵を攻撃する魔法が動くんだ」
「……義足に攻撃魔法を?」
「うん。敵が近くにいたら危ないじゃん」
メルツは眉間を押さえた。
「タニア君。君は義足を作っているんだろう?」
「そうだよ?」
「兵器を作っているわけではないな?」
「ローウェルを守るための義足だよ」
タニアは不思議そうに首をかしげた。メルツは返す言葉を失った。以前のタニアなら、新しい攻撃魔法を思いつけば、真っ先に実験場へ走っていた。火の魔法と雷の魔法を組み合わせて、研究室の壁を吹き飛ばしたこともある。
あのときは、壁の穴を見ながら大喜びしていた。
『すごい。今の爆発、予想よりずっと大きかったよ。もう1回やってみよう』
そう言って、メルツに本気で怒られた。そんな彼女が、今は義足のことしか考えていない。
「それとね、これも見て」
タニアは別の設計図を広げた。
「ローウェルの体温と心臓の動きを調べる魔法。魔力の流れもわかるようにするんだ。体調が悪くなったら、あたしのところに知らせが来るの」
「……ふむ」
「あと、どこにいるかもわかるようにしたいな。義足を外したときも、すぐわかるようにして……」
「待ちなさい」
メルツが手を上げた。
「位置まで調べる必要があるのかね?」
「あるよ」
タニアは即答した。
「だって、どこにいるかわからなかったら、助けに行けないでしょ? 7年前みたいに、どこにいるかわからなくなったら困るもん」
メルツは何も言えなくなった。
昼前。研究室では、3人の研究員が義足の試作品を囲んでいた。
「じゃあ、動かすよ」
タニアが黒い杖を振る。机に置かれた銀色の義足が、ゆっくり曲がった。
「おお……」
若い研究員のエリオが声を上げた。
「すごいですね。本物の人間の足みたいです」
「でしょ。魔力を少し流すだけで動くんだ。ローウェルならすぐ使いこなせると思うよ」
タニアは嬉しそうに笑った。
「次は衝撃試験ね。エリオ、そこの鉄の重りを持ってきて」
「これですか?」
「うん。思いっきり落として」
「壊れませんか?」
「壊れたら直せばいいよ。さあ、やってみよう」
エリオは重りを持ち上げた。そして義足の上に落とした。大きな音が響く。義足を包んでいた青い結界が光った。
次の瞬間。ぱきん。結界が砕けた。
「あっ」
タニアの声が止まった。重りが義足に当たり、関節の部品が飛び散った。
「……すみません。壊してしまいました」
エリオが慌てて謝る。だが、タニアは答えなかった。砕けた結界を見つめていた。
「でも、防御魔法だけでも、かなりの衝撃を防げましたね」
エリオが試験結果を書き始める。
「この程度なら十分じゃないでしょうか」
「……十分?」
タニアがつぶやいた。
「はい。普段の生活なら、ここまで大きな衝撃を受けることは……」
「十分じゃないよ」
エリオの手が止まった。タニアは壊れた義足を見つめていた。
「……結界が壊れたら、そのあと誰がローウェルを守るの?」
いつもの早口ではなかった。
「タニアさん?」
「……ごめん。なんでもない」
タニアは顔を上げた。そして、無理に笑った。
「やっぱり予備の結界も必要だね。もう1個、魔法陣を入れよう」
彼女は壊れた部品を集め始めた。その指先が、少し震えていた。
昔。タニアは、魔法が嫌いだった。
小さなころ、彼女は敵国地下の研究所に閉じ込められていた。そこには窓がなかった。朝なのか、夜なのかもわからなかった。タニアは名前で呼ばれなかった。
13号。
それが呼び名だった。毎日、冷たい台の上に寝かされた。手足を縛られ、体に魔力を流された。痛くて泣くと、研究者は怒った。魔法を失敗すると、食事をもらえなかった。隣の部屋からは、いつも誰かの泣き声が聞こえていた。
ある朝、その声が聞こえなくなった。
昨日まで一緒に話していた子が、いなくなった。誰に聞いても、答えてくれなかった。タニアには、ミアという友達がいた。少し年上の女の子だった。
ミアは食事のパンを半分くれた。夜になると、タニアの手を握ってくれた。
『いつか一緒に外へ出ようね』
そう言ってくれた。でも、ミアも帰ってこなかった。実験室に連れていかれたまま、二度と戻らなかった。タニアは何日も泣いた。泣きすぎて、声が出なくなった。
それでも実験は続いた。
魔法を覚えなければ、次は自分がいなくなる。
だから、必死に覚えた。火を出す魔法。水を動かす魔法。雷を落とす魔法。どんなに怖くても、どんなに痛くても、覚え続けた。
それでも、ミアは帰ってこなかった。
そんなある日。
地下の廊下が騒がしくなった。大きな音がした。研究者たちの怒鳴り声が聞こえた。そして、鉄格子の向こうに、一人の少年が現れた。服は破れ、顔には傷があった。
少年はタニアを見つけると、笑った。
『よかった。まだ生きてた』
タニアは意味がわからなかった。知らない少年だった。なのに、少年は鉄格子を壊そうとした。何度も殴った。手から血が出た。
研究者がやってきて、少年を殴った。それでも、少年は逃げなかった。
『やめてよ……』
タニアは泣いた。
『もういいよ……逃げてよ……』
少年は笑った。
『もうちょっとだから、待ってろよ』
何度も失敗した。何度も傷ついた。それでも、少年は諦めなかった。やがて、鉄格子が壊れた。少年はタニアに手を伸ばした。
『ほら、帰ろうぜ』
『……あたし、帰るところなんてないよ』
『じゃあ、一緒に探そうぜ』
タニアは、その手を握った。
ローウェル。
それが、少年の名前だった。
初めて外に出た夜。タニアは空を見上げた。星がたくさんあった。あまりにもきれいで、声が出なかった。
ローウェルは隣で笑っていた。
『な。外っていいだろ』
タニアは泣きながら、何度もうなずいた。
午後。
タニアは新しい魔法陣を描いていた。
「よし。これで結界が壊れても、すぐ次の結界が動くはず」
エリオが横からのぞき込む。
「もう修正したんですか?」
「うん。あとで試してみよう。今度はもっと重いものを落としてもいいよ」
「……タニアさん、少し休んだほうがいいですよ」
「平気だよ。まだまだできるもん」
「昨日も夜遅くまで残っていましたよね」
「昨日は昨日。今日は今日だよ」
タニアは笑った。そして、新しい設計図を取り出した。
「それより、位置を調べる魔法なんだけどね。今のままだと、研究所から離れすぎたら反応が消えちゃうんだ」
「……まだ作っていたんですか」
「当たり前じゃん。ローウェルが遠くに行っても、ちゃんとわかるようにしないと」
「でも、本人が嫌がるかもしれませんよ」
タニアは目を丸くした。
「……嫌がる?」
「はい。いつでも居場所を知られるのは、落ち着かない人もいると思います」
「……そっか」
タニアは少し考えた。
「じゃあ、ローウェルには内緒にしとこ」
そう言って、また設計図を見つめる。
夕方。
研究所の休憩室。エリオは同僚の女性研究員、マルタと向かい合っていた。
「……タニアさん、最近ちょっと変ですよね」
「最近どころじゃないわよ。あの子、ローウェルが帰ってきてから、義足の研究しかしてないもの」
「前は探索魔法とか転移魔法の話ばかりしていたのに」
「そうね。研究所を爆発させたこともあったわ」
「ありましたね……」
2人は苦笑した。だが、すぐに笑顔が消えた。
「……あの義足、少し怖くありませんか」
エリオが声を落とす。
「体温も、心臓の動きも、居場所も、全部調べようとしてるんですよ」
「……そうね」
「ローウェルさんのことが大切なのはわかります。でも、あそこまで……」
「エリオ君」
後ろから声がした。メルツだった。白髪の研究主任は、湯気の立つカップを持っていた。
「君は、タニア君の昔の話を知っているかね?」
「昔の話、ですか?」
「彼女は幼いころ、違法な魔法研究所に閉じ込められていたんだ」
エリオは目を見開いた。
「……え?」
「そこで実験体にされていた。ひどい扱いを受けていたそうだ」
マルタも黙って聞いていた。
「そこから彼女を助け出したのが、ローウェル君だった」
「ローウェルさんが……?」
「まだ幼い少年だったそうだよ。傷だらけになりながら、彼女を外へ連れ出したらしい」
メルツはカップを置いた。
「そして7年前。今度はタニア君が、魔法の選択を間違えた」
エリオは顔を上げた。
「……選択?」
「帝国軍に襲われたとき、彼女は仲間を守るために防御魔法を使った。だが、敵には結界を破る術者がいたんだ」
「……」
「結界が壊れ、仲間たちは逃げ場を失った。そこでローウェル君が一人で敵を引き受けた」
メルツは静かに続けた。
「彼は捕まり、7年間も拷問された。そして、体の右半分を失って帰ってきた」
休憩室が静かになった。
「タニア君は、あの日からずっと自分を責めている」
「……そんなことが」
メルツは研究室のある方を見た。
「だから、あの子が必死になる気持ちはわかる。ただ、あの子自身のことも心配だ。誰かが休ませてやらないとな」
マルタが小さくうなずいた。
「……あとで、温かいものでも持っていきます」
「頼むよ」
夜。
研究所には、ほとんど人が残っていなかった。タニアは一人で義足を組み立てていた。小さな部品をはめ込み、魔法陣をつなぐ。
「……これで、もう1回」
杖を振った。
義足が動く。関節が曲がる。青い結界が広がる。
タニアは鉄の重りを持ち上げた。そして、落とした。大きな音が響いた。結界が光る。
次の瞬間。ぱきん。
また、結界が壊れた。
「……あ」
タニアは動けなくなった。
砕けた結界。7年前と同じだった。
「……また、間違えた」
声が震えた。
タニアは床に膝をついた。目の前には、壊れた義足があった。右足を失ったローウェルの姿が浮かんだ。7年ぶりに帰ってきた彼は、昔と同じように笑っていた。
それが、つらかった。
研究所から救われたばかりのころ、タニアは魔法を使うのが怖かった。失敗すると、また痛いことをされると思っていた。そんな彼女に、ローウェルは笑って言った。
『すげえな、タニア。もう1回見せてくれよ』
小さな火の玉を出しただけで、喜んでくれた。失敗しても、怒らなかった。魔法は怖いものではないと、教えてくれた。
タニアは、その少年を守りたかった。今度こそ、自分が助けたかった。
なのに。
「……あたしが、間違えたから……」
涙が止まらなかった。
防御魔法なんて使わなければ。
ちゃんと敵を倒してれば。
「ローウェルは……、捕まらなかったのに……」
声が大きくなった。
「7年間も……。7年間も、痛いことされて……。手も足もなくなっちゃって……。全部……、あたしが間違えたから……」
タニアは壊れた義足を抱きしめた。
「ごめんねぇ、ローウェル……。あたし、何にも返せてないよぉ……」
涙が銀色の部品に落ちた。
「いっぱい魔法を覚えたのに、一番大切なときに間違えて……」
タニアは声を上げて泣いた。誰もいない研究室に、泣き声が響いた。
しばらくしてタニアは、ゆっくり顔を上げた。涙を拭いた。そして、壊れた義足を机に戻した。
「……もう、間違えない」
新しい紙を広げる。
「結界が壊れても、次の結界が動くようにして……」
震える手で魔法陣を描く。
「それも壊れたら、敵を倒す魔法が動くようにして……」
さらに書き足す。
「体が痛くなったら、すぐわかるようにして……」
また、書き足す。
「どこにいるかも、わかるようにして……」
ペンを握る手に力が入った。
「……そうすれば、今度はすぐ助けに行ける」
タニアは涙の残った顔で笑った。
「今度こそ、あたしが守るんだ」
紙の一番下に、新しい魔法陣を描く。装着者の位置と生命反応を、いつでも調べられる魔法だった。大切な人を、もう二度と失わないために。




