第2話 講師 榊原一生
学生たちが立ち上がり、ざわめきを残しながら前後の扉から退出していった。
退出の波から外れた一人の学生が、資料を片づける講師に話しかける。
「先ほどの講義大変興味深かったです」
資料をまとめていた講師が顔を上げる。
そこには、一人の女子学生が立っていた。
「ありがとうございます」
「先生は、地球惑星科学がご専門ですよね?」
「ええ」
「なのに、どうして古代神話を?」
講師は手にしていた資料を机の上に置いた。
「いい質問ですね」
そう言って、少しだけ笑う。
「地球惑星科学という学問は、地球だけを見ていればいいわけではありません。地球がどのように生まれ、なぜ現在の環境になったのかを知るには、月や火星、他の惑星と比較する必要がある」
「比較惑星学、ということですか?」
「その通りです」
学生は、先ほどの問いを形を変えて、再び講師へ投げかけた。
「でも……神話もその研究対象なんですか?」
「直接的には違います」
講師はそう答えた。
「ただ、科学的な記録が存在しなかった時代の人間が、世界をどう認識していたのか。それを知る手掛かりとして、神話や伝承には価値があります」
「なるほど……」
学生は少し考え、意を決したように本来伝えたかったことを講師にぶつける。
「4年前の先生の論文を読ませていただきました」
講師の手が止まった。
「あれを? あれは、公表範囲が学内のみでした。どこで見たのですか?」
「父が持っていました」
「お父さんが。お父さんは、この大学の関係者ですか?」
「いえ、違います。私の知る限り接点はありません」
「失礼ですが……」
「申し遅れました。私は白田と言います。白田 優香です。父の名は白田 隆盛」
「確かに、お父さんの名前に聞き覚えはありません。お父さんはどこで論文を手に入れたと仰っていました?」
「分かりません。実は父から直接見せてもらったわけでは無く、いなくなってから父の部屋から見つけたのです」
「いなくなった?」
「父は昨年失踪しました」
深刻な表情のショートヘアの白田優香の姿に、講師は数秒の沈黙の後、小さく呟いた。
「ここで話す内容では無いかもしれません。よろしければ、私の研究室に来てください」
安堵した表情の優香は頭を下げる。
「はい。お願いします」
講師は研究室へ向かうため、教室の照明を落とした。
最後にスクリーンへ視線を向ける。
そこには、先ほどまで映し出されていた地球の画像が残っていた。
青い惑星。
講師は数秒間それを見つめた後、スクリーンを消した。
講義室からほど近い場所にある研究室に優香を案内した。
優香は、恐る恐る室内へ足を踏み入れた。
壁際には書籍が並び、机の上には論文や観測データらしき資料が積み重なっている。
しかし、彼女の目を引いたのは、それらではなかった。
部屋の奥。
一台の大型モニターに表示された、一枚の画像。
赤茶けた大地。
薄い大気。
その向こうに、小さな太陽が浮かんでいる。
「……火星?」
「よく分かりましたね」
講師は、頷きながら机の引き出しから小さな紙切れを取り出し、優香に丁寧に差し出す。
「改めまして、こちらで講師をしている榊原です」
優香は受け取った名刺に目を落とす。
”神戸国際大学 理学部 地球惑星科学・比較惑星学講師
榊原 一生”
鞄から紙ファイルを取り出し、その表題と名刺を見比べる。
「それがお父さんの部屋から見つけた?」
「ええ」
榊原からの問いかけに答えながら紙ファイルを渡した。
受け取ったファイルに目を通す。頁を繰った手が止まったのは、半分ほど目を通した時であった。
「書き込みがある。これはお父さんが?」
書き込みのある頁を優香に見せながら、榊原を問うた。
「はい。父の字です。何を意味するのかは分かりませんが」
そこには、走り書きで”八騎士”と書き込まれていた。




