第4話「表の顔と裏の顔」
ドサッ!
石造りの床が微かに震えるほどの重い音を立てて、血の匂いが染み付いた巨大な麻袋がギルドのカウンターに置かれた。
「よ、シンシア。勘定頼む」
「あ! ソウスケさん! おかえりなさい! ……って、何ですかこの大量の……」
驚いて目を丸くしたのは、淡い亜麻色の髪をポニーテールに結んだ、目鼻立ちのハッキリとした美人――シンシア・トライウッド(21歳)。ここ、ファブール王国の王都ファフニールにある冒険者ギルド支部の看板とも言える受付嬢である。
彼女は恐る恐る、血の滲んだ麻袋の口を覗き込んだ。
「ひっ……! オーグルとオークの牙と耳ですか!?」
「あぁ」
「……これ、何体分あるんです?」
「ハッキリとは分からん。数えてねぇが、五、六十ってとこか?」
「ご、ろくじゅう……ちょっと待ってくださいね」
シンシアは慌ててカウンターの奥へ小走りで向かい、大きな木製の引き出しから一枚の書類ファイルを引っ張り出してきた。そして、信じられないものを見るような目で依頼書とソウスケを交互に見比べる。
「依頼内容って……『山道に出没するオーク十数匹の討伐』……ってなってるんですけど」
「ギルドの事前見積もりが違ったって事だな。良くある」
「……いやいや、五十も六十も違うなんて『良くある』で済まされませんよ! オーグルまで混ざってるじゃないですか! これじゃあ大討伐規模ですよ!?」
頭を抱えるシンシアをよそに、ソウスケは「面倒くせぇ」とばかりに欠伸を噛み殺した。
五十匹のオークとオーグル。常識的に考えれば、中堅のパーティが複数集まってようやく対処できる規模の群れだ。だが、ソウスケにとっては手榴弾とボウガン、そして数本の罠でまとめて吹き飛ばせる単なる「作業」に過ぎなかった。
「ま、追加報酬の手続きは任せるわ。後、これ」
ソウスケは肩下げの袋から、小さな木箱を取り出してカウンターにコトリと置いた。
「行った山の中に良い薬草があったから、煎じて塗り薬にしておいた」
「……え?」
「お袋さん、腰痛が酷いっていってたろ? 寝る前に患部に塗ってやれ。楽になる」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、ソウスケは踵を返し、カウンターから離れていく。
シンシアは驚いたように木箱を手に取り、ソウスケの背中を見つめた。普段は無愛想でデリカシーの欠片もない男だが、ふとした瞬間に見せるこういう不器用な優しさに、彼女はいつも調子を狂わされてしまう。
少し頬を赤らめたシンシアは、慌てて声を張り上げた。
「あ、有りがとうございます! ソウスケさん!」
ソウスケは振り返ることなく、右手だけをヒラリと上げて振りながら、喧騒に包まれたギルドの扉の向こうへと消えていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『エスト』の教会で、金髪の女騎士率いる騎士団と遭遇した一件から、一年半。
ソウスケは現在、東の大国・ファブール王国の王都ファフニールに拠点を移し、冒険者ギルドで依頼を受ける毎日を送っていた。
理由は至極単純。「金が無い」からだ。
他大陸からローデイリア大陸へ渡るため、ソウスケは溜め込んでいた三千万ギニーという莫大な大金を支払った。港町トリスタでは見栄を張って遊んだりもしたが、持ち金の大半はすでに底を突いていた。
この謎の多いファブール王国での調査にも、日々の生活にも、武器や弾薬の作成にも金が掛かる。そのためには、手っ取り早く実力で稼げる冒険者として働くしかなかったのだ。
現在、ソウスケの冒険者ランクは『B』である。
冒険者ギルドのランク制度は、以下のように明確に区分されている。
【F・E】見習いと新人。主に街中の雑用や薬草採集。
【D】一般的な冒険者。ここから魔物の討伐任務が解禁される。
【C】ある程度腕が立ち、パーティを組めば商隊の護衛なども務める主力層。
【B】都市からの警備依頼や、要人護衛もこなす『腕利き』の証明。
【A】国家規模の要請(大討伐や難易度の高い迷宮探索など)が来る凄腕。
【S以上】王族や上位貴族相手でも、対等に交渉が出来るほどの生ける伝説。
一年半で単独のBランク到達は異常なスピードだが、ソウスケの本来の実力からすれば当然『B』に収まる器ではない。ファフニール支部ギルドマスターやシンシアたち職員の間でも、彼の実力は最低でも『A』、あるいはそれ以上であると考えていた。
しかし、ギルド側が何度昇格試験を勧めても、ソウスケは「面倒だ」の一言で全て突っぱねている。
彼が受ける案件は、常に『素材の採取』もしくは『魔物の討伐』のみ。
Bランクであれば、貴族の護衛など実入りの良い依頼を優先的に受ける権利がある。だが、そういった権力者や面倒な連中との関わりを徹底して嫌うソウスケは、どれだけ割が悪く泥臭い仕事であろうと、人に干渉されない討伐や採取しか受けなかった。
ただ、この偏った仕事選びは、ギルド側としては非常に助かっていた。
王都の冒険者となると、上昇志向や功名心が異様に高い。
誰もが貴族や大商人との繋がりを持てる確率の高い「護衛任務」や「目立つ依頼」ばかりを奪い合う。
結果として、地味で危険な割に報酬が少ない採取や、山奥の魔物討伐といった依頼は常におざなりとなり、滞留してしまうのだ。
そんな誰もやりたがらない依頼を、ソウスケは根こそぎ引き受け、常識外れのスピードと凄まじい成果で片付けていく。ギルドの運営にとって、これほどありがたい存在はいなかった。
だが、この実態はギルド内部の限られた人間しか知らない。
事情を知らない周囲の若手冒険者たちからは、こう見られていた。
「おい見ろよ、あの『万年Bランク』。いい年こいて、またチマチマしたゴブリンやオークの討伐しか受けてねぇぞ」
「護衛任務のプレッシャーから逃げてる腰抜けなんだろ。あれじゃいつまで経っても上にゃ上がれねぇよな」
酒場の隅で安酒を飲むソウスケに、あからさまな嘲笑を向けてくる。
だが、ソウスケは彼らの陰口など歯牙にもかけないし、一切気にもしなかった。
そもそも、彼らとは『目的』が違うのだ。
名声も、富も、この世界での地位も、ソウスケにはどうでもいい事だった。
彼の目指すものはただ一つ――『元の世界へ帰る』こと。
異世界へ転移させられてから、すでに五十数年という途方もない歳月が流れてしまった。
それでも、彼の中でその執念の炎だけは、決して消えてはいなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その日の夜。
ソウスケは王都ファフニールの喧騒から離れた、裏路地のさらに奥深くにある娼館を訪れていた。
薄暗い入り口の扉を押し開けると、むせ返るような甘い香水と煙草の匂いが鼻を突く。
「あらぁ……ソウスケ。いらっしゃい。」
入り口で客を待っていたのは、濃い緑色の長い髪を持つ妙齢の美女、キャスティン(年齢不詳)だった。
彼女は豊かな胸の谷間をこれでもかと強調した、際どいカッティングのドレスを纏い、ソウスケの腕に柔らかく豊満な身体を擦り付けて甘ったるい吐息を吹きかけた。
「今日は、遊びじゃねぇんだわ」
ソウスケは自身の腕に押し付けられたキャスティンの胸元をガッツリと鑑賞しながらも、声のトーンだけはクールに返した。
「あら、残念。……欲しくなったら、いつでも言ってね? ドロドロに溶かしてあげるから」
キャスティンは妖艶にニヤリと笑い、唇を舐めた。
「奥の、いつもの部屋よ」
ピンッ!
ソウスケは親指で一万ギニーの金貨を弾き飛ばし、キャスティンへと投げ渡す。
「んっ……まいど!」
見事な手つきで金貨を受け取ったキャスティンが、色気たっぷりの投げキッスで返答する。ソウスケはそれに応えるように短く右手を上げ、娼館の奥へと続く薄暗い廊下を進んでいった。
一番奥にある重厚な扉を開ける。
部屋の中は淫靡な薄紅色の明かりに照らされ、媚薬成分が微かに混じった甘い香の匂いが立ち込めていた。
「……相変わらず仕事が早くて、痺れちゃうわねぇ……ソウスケ」
踏み込んだソウスケを迎えたのは、ベルベットのソファーに気怠げに横たわる女だった。
身体のラインと白い肌が透けて見えるほど露出度の高い、紫色の薄絹のドレス。男であれば誰もが目を見張るような官能的な肢体。腰まで伸びた深紅の美しい髪が、彼女の右目を隠すように流れている。その隙間から覗くエメラルドグリーンの左目が、舐め回すようにソウスケを見つめていた。
「そっちもな。カーシャ」
ソウスケは表情一つ変えず、カーシャが横たわるソファーの前のテーブル対面の椅子に腰を下ろした。
「……これ程あっさりと、あの男を殺るなんて……本当に、たいしたものだわ。」
「魔術に頼りすぎなんだよ、あいつらは」
鼻を鳴らして小馬鹿にする様に言いながら、ソウスケは肩下げの袋に手を突っ込む。
袋がビクリと動く。
そしてズルリと血の滲んだ麻袋と、一枚の分厚い木板を取り出した。
テーブルの上に木板を敷き、その上に麻袋を乗せる。
ドチャ……。
鈍く、そして生々しい水音が部屋に響いた。
「マルメッティ男爵だ」
「ふふっ……あんなにふんぞり返っていた醜悪な豚が、ずいぶんと小さく、可愛らしくなっちゃったわねぇ」
カーシャはくすくすと妖しく笑い、麻袋から染み出す血だまりを細めた目で眺めた。
マルメッティ男爵。王都周辺の警備隊を指揮していた警備隊長の一人である。
しかし彼は、その権限を悪用し、王都や周辺の村に住む亜人族の女や子供を不当な理由で攫い、裏で奴隷商と繋がって人身売買の商売を行っていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
現在、このローデイリア大陸には四つの巨大な国家が存在する。
北方の『ハイドライド』。
東の『ファブール』。
西の『トルメニア』。
そして南の『イヴァルオ』である。
十七年前、北の強国ハイドライドで第十五代国王フリーゲルが崩御し、第十六代国王アルバンディスが即位した。それまでは表立った不可侵の盟約などは結ばれていなかったものの、水面下での貴族たちの調整もあり、大陸では百年以上大きな争いが発生していなかった。
しかし、十六代アルバンディスは即位するや否や、強硬な軍事拡大を敢行。軍事力を膨張させるハイドライドを共通の脅威と見たファブール、トルメニア、イヴァルオの三国は、改めて明確な軍事同盟を結ぶに至った。
そして七年前、ついにハイドライドと三国連合軍は激突した。
約二年に及ぶ大戦は一進一退の攻防を繰り広げたが、やがて泥沼の様相を呈する。そこに、この大陸最古の宗教国家であり完全中立国である『クエスミヒナス法国』の法王が仲裁に入ったことにより休戦の運びとなり、現在は嵐の前の小康状態を保っている。
問題は、南の国『イヴァルオ』の成り立ちである。
イヴァルオは、亜人族のみで構成された国家だ。
元々、このローデイリア大陸は亜人族のみが住まう大陸だったが、約千年前に人族が渡来した。人族はその圧倒的な繁殖力により爆発的に人口を増やし、ついには亜人族を圧倒して迫害を開始した。
一時は亜人族の全てが「奴隷」としてのみ存在するまでに堕ちた。だが、約五百年前から人族同士の覇権を巡る激しい戦争が各地で勃発。その戦いは二百年続き、大陸内に二十数カ国の国家が乱立する群雄割拠の時代を経て、現在の三国(北・東・西)へと淘汰されていく。
その人族同士の争いの隙を突き、約二百年前に獣人族の英雄『バハラス』が蜂起した。
彼らは瞬く間に大陸南部を支配下に納め、亜人国家イヴァルオが誕生したのである。
そして、共通の敵の出現により、かつては迫害していた・されていた歴史を持つファブールとイヴァルオも、現在は三国同盟の強固な一角を担っている。
そのデリケートな同盟下において、ファブールの貴族階級の者が、同盟国である亜人族を裏で奴隷商売にかけていたとなれば、国家間の大問題に発展しかねない。
そこで、そういった表沙汰にできないドロドロとした問題を『内々に処理する』団体が存在する。
それが、娼館の元締めでもあり暗殺や情報収集を請け負う『闇ギルド』だ。国はその存在を公的には一切認めていないが、必要悪として利用していた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「で、俺からの依頼は?」
ソウスケが本題を切り出すと、カーシャはソファーから滑るように身を起こし、自身の深い谷間から数枚の折り畳まれた紙を取り出した。
「はい、どうぞ……。私が色んなところを突っついて、熱く喘がせながら集めた情報よ。じっくり見てちょうだい」
カーシャの指先から紙を受け取り、ソウスケはそれに目を落とした。
数分間、無言のまま内容を読み込む。
「……このファブール国以外にも、例の『白亜の教会』が現れてるってことか?」
「ええ、みたいねぇ。でも、何処の国でも急に現れた教会の詳細や、あの硬すぎる素材の秘密は分かってないらしいわ」
「……そして同様に、その周辺で『人が消えてる』って訳か」
「……そう。ただ、消えているのは辺境の小さな町や村、限界集落だけだから、国の上層部は殆ど気にも留めていないわ。野盗に襲われて村が一晩で皆殺しなんて、そんなに珍しくもないし」
ソウスケはカーシャの顔を見返し、ふぅと小さく息を吐いて立ち上がった。
そして、部屋の奥で甘い匂いを立てて燃えている香炉の火の中へ、持っていた紙を躊躇いなく投げ入れた。
チリチリと燃え上がっていく紙をじっと見つめるソウスケの背中に、カーシャが妖しい声色で問いかけた。
「ねぇ……。貴方、そんなに帰りたいものなの? ……『元の世界』とやらに」
「……まぁな」
ソウスケは、自分が異世界から転移してきた人間であることを別に隠してはいない。ただ、普段はわざわざ自分から言うような場面に出くわさないだけだ。
だが、闇ギルドの一端を束ねるカーシャには、情報収集を依頼する理由づけとして、その目的をハッキリと告げていた。
「で? 仕事の話は終わったけれど……。今日は、どうするの……?」
カーシャがソファーの上で身をよじり、長い脚を組み替えながら、とろけるような艶めかしい声でソウスケを誘う。はだけた絹のドレスから、白い太ももがあらわになった。
ソウスケは振り返り、その肢体を一度だけ品定めするように眺めると、ニヤリと笑った。
「……お前に相手をしてもらったら、今日の稼ぎが全部吹き飛ぶからな。遠慮しとく」
そう言い残し、ソウスケは出口の扉へと歩き出す。
「また何か情報が有ったら、連絡くれ」
パタン、と。
ソウスケが部屋を後にし、扉が閉まる。
淫靡な赤い明かりの中に取り残されたカーシャは、クスクスと喉の奥で笑いながら、自身のふくよかな唇を小指の腹でなぞった。
「……ふふっ、本当に面白い男」
誰もいなくなった部屋で、カーシャはソウスケが出ていった扉を、熱を帯びた瞳でいつまでも見つめていた。




