第7話:神殿ツアー(嘆願の回廊)
一通り神殿を見学した俺は、また原初宮を目指した。
これまでに見たことや、メモした内容を精査するためだ。
エンジュが先導する形で展望床の間を出て、俺は渡り廊下に入った。
展望床の間と原初宮を結ぶ渡り廊下は、他の七本の渡り廊下と違い、柱も天井も存在しない。
代わりに、まるで伏見稲荷大社の千本鳥居のように、幾つものアーチが続いていた。
これは、頭がぼんやりするな……
俺は目を細め、心の中で愚痴を吐いた。
出来るだけアーチを見ないようにしたが、既に脳が麻痺しつつある。
いつからか、繰り返す光景が、俺の時間感覚を狂わせるようになった。
いまは歩くたびに距離が伸び、時間をループしているような錯覚を覚える。
子供の頃はそうでもなかった。
症状が出たのは大人になってからだ。
おそらく加齢が原因だと思う。
一方で、前職が影響していると思う俺もいる。
同じ内容のレクを求められ、色々な議員に繰り返す中で、俺の脳機能の一部が壊れてしまったのだ。
いずれにせよ、神様の代行者となったいまでもその症状が出るなんて……と俺は一人で苦笑する。
『たすけてください』
そんな状態だったから、俺は最初、幻聴だと思った。
うまく働かない頭に、声のようなものが響いていると。
しかし、二度、三度と繰り返し聞こえるうちに、本物の声だと理解した。
ただ、周囲には俺とエンジュしかおらず、エンジュの口は閉じられている。
そもそもここは神界で、助けを必要とする状況にはなり得ない。
『たすけてください、神様』
『もしも妻が無事であれば、もう一度会わせてください』
『どうか子供たちだけはお守りください。私の命はどうなっても構いません』
『死にたくない。死にたくないです』
『慈愛深き神よ。迷える子羊を導く星明かりよ。震える我が心にあなたの温もりを。這い寄る闇を退ける、希望の御手をここに差し伸べ給え』
『神様、あなたはどこにいるのですか。なぜ私たちを見捨てたのですか』
『私たちが何をしたというのでしょう。なぜこんな酷いことが起きるのを許しているのでしょう』
『日々の糧と、暖かき恵みを与える神よ。慎ましき我が祈りに応え、あなたの息吹のひとひらを、どうかこの場にお与えください』
『もしこれが運命ならば、せめて痛みのないように終わらせてください』
『明日は平和が来ますように』
注意して耳を傾けてみれば、ゾッとするほどの声の群れだった。
加えて、声は多種多様で、内容も様々だ。
ただ、すべてに共通する点が一つあった。
神様に対する祈りなのだ。
いまの俺には、人間の祈りの声が聞こえている。
「ここは嘆願の回廊です」
振り返るとエンジュはそう言った。
どうやら俺の疑問を察したらしい。
名前から推測するに、この渡り廊下には特別な機能がついているのだろう。
「神に対する祈りが集められ、即時にここで反映されます。つまり、ここでは展望床と別の意味で世界の状況を把握できます」
「これらはすべて本物……ということですか?」
「もちろん、本物の祈りです。なお、少し紛らわしいですが、同じ範疇の言葉なので、魔法の詠唱も聞こえてしまいます」
「なるほど」
俺は再び、耳に集中した。
祈りには小さいものと大きいものがあり、長いものと短いものがあった。
たぶん堅苦しい言葉遣いで、必要以上に長いものが詠唱だろう。
逆に拙く短い言葉こそ、祈りであり悲鳴なのだ。
前職でいう『公益通報』のようなものだろうか?
俺は自分の頭が覚醒し始めたことを理解する。
「世界は苦しみに満ちている……ということですか?」
「まさにそうです。人間は常に神を崇拝し、神に祈らなければいけません」
「それにしても、ちょっと命乞いが多くないでしょうか?」
「当然です。少し前に魔王軍の奇襲が始まりましたから」
「どういうことですか?」
俺が追及すると、エンジュは面倒臭そうに、「先ほども展望床の間でご覧になったでしょう?」と答えた。
「よくわかりません。詳しく教えてください」
「詳しくと言っても、『魔王軍の奇襲』以上の説明はできません」
「では、『展望床の間でご覧になった』とはどういう意味ですか?」
「わかりました。仕方ないですね」
エンジュはこちらに向かってきて、そのまま俺の横を通り過ぎた。
直後に、深い森を流れる清潔な小川の匂いがした。
「それでは展望床の間に戻りましょう。そこで現在の世界情勢について説明いたします」




