第22話:呪われた土地
豊かな水量を誇る灌漑水路が、区画整理された農地を走り抜ける。
飲料用かと思うほど水は美しく、太陽の光を浴びて鏡のように輝いた。
農地のあいだに赤レンガで造られた頑丈そうな小屋が点在し、小屋のいくつかは木造の水車を備えている。
滞りなく回転するその姿は、まるで「今日もすべて順調だ」と告げているかのようだ。
「やはり、農地以外に異常は見られないようです」
エンジュが手を伸ばし、東に五キロほど離れた位置を指差した。
森の木々は葉を茂らせ、青々とした生命力を誇示している。
その北側を走る街道に沿って広葉樹の並木が延々と続いた。
街道沿いに建つ農家の壁は蔦が覆い、庭先の野花は鮮やかな色を咲かせている。
農地という例外を除けば、アグリアは『世界の穀倉地帯』たる風景そのものだった。
「本当ですね。この異常を『呪い』と呼びたくなる気持ちもわかります」
誰が言い出したのかはわからない。
ただ、『呪い』という言葉は、ある程度の説得力を持って、社会に広がっているようだ。
嘆願の回廊でも何度か聞いた。
嘆く者はみなドルチェリアを栽培していた。
神様の恩寵により解毒が可能となったネルバ――そのネルバに挑戦したことが神様の怒りを買ったという理屈だ。
「私にはわかりません。人間にとって、今回の不作が大きな問題であることは理解しますが、神の呪いと呼ぶにはあまりに矮小ですし、なにより美しいでしょう」
「美しい?」
「完璧なコントラストです。緑豊かな大地の中で、農地だけが土色なのですから」
「適切な言葉遣いではありませんね。ここは現状、死の土地ですよ」
「お言葉を返すようですが、死は美しいものです」
初めてドルチェリアを食べた日からちょうど一年後、俺とエンジュはアグリアに転移していた。
世界規模に拡大しつつある食糧不足の原因を確かめるためだ。
ネルバの可食化に対抗し、ドルチェリアを流通させたまでは良かったが、アグリアはいま「不作」という問題に苦しめられている。
雨が降らないわけでも、疫病や虫害が発生しているわけでもない。
ただ農地だけが、除草剤でも撒いたかのように、一つとして植物を生やさなかった。
「では行きましょうか。ひとまずアグリアが、展望床で見た印象と同じだということはわかりました」
そう言いながら、俺は移動用の馬を二頭出現させた。
オルディアで創造した大型馬ではなく、アグリアでよく売られている細身の品種だ。
一頭はエンジュに提供し、もう一頭は俺が跨った。
しばらく練習をした結果、俺は一人で乗馬できるようになっていた。
「目的地はどこですか?」
「ここから一番近い町に行きたいと思います。どこか適当な場所はありませんか?」
「街道に沿って南に約四十キロ離れた場所に、ミルトという中規模の町があります。また、ここから真っ直ぐ西に十キロほど進めば、名もなき小さな集落に到着します」
「では両方に向かいましょう。まずはその『名もない集落』に案内してください」
「わかりました」
そう短く答えると、エンジュは馬を走らせた。
俺は二メートルほど離れてエンジュを追いかける。
他に選択肢はないし、草一つ生えていないけれど、それでも馬で畑を横断する行為はなんだか気まずかった。
気を紛らわせるために、俺は「質問した私が訊くのも変ですが、エンジュさんはどうして、ミルトや『名もなき集落』の場所がわかったのですか?」とエンジュに問うた。
エンジュは振り返り、「わかった……というか、わかっていました」と答えた。
「それは元々知っていたということですか?」
「そうです。二年ほど前に、展望床でチラリと見たことがあります」
「なるほど。チラリと見ただけの情報を覚えていたということですね」
「はい。仰る通りです」
気を紛らわせるつもりが、俺は別の意味で居心地が悪くなった。
エンジュが優秀であることは、充分過ぎるほどわかっていたが、今回の件は俺の想定を超えていた。
数年前に、しかも一度チラリと見ただけの土地を記憶できるものなのだろうか?
天使が特別なのかもしれないし、エンジュが特別なのかもしれない。
ただ、俺には絶対に真似できない――そう確信すると、自分がひどく無能な人間に思えてきた。
俺が落ち込んでいると、エンジュは柔らかな声色で「私からも一つ訊いて良いですか?」と言った。
「もちろんです。私に答えられることであれば、なんでもどうぞ」
「代行は、今回の不作問題の原因について、なにか思い当たることはありませんか?」
「ない……と言えば嘘になります。証拠はありませんが、私には一つ仮説があります」
「それは奇跡に関係することですか?」
「いいえ。奇跡は関係ありませんよ」
答えながら、俺はそっと身構えた。
脈絡もなく、エンジュが『奇跡』という単語を使ったからだ。
セラフィムに監視役を命じられたため、エンジュは俺の奇跡について注文をつけることがある。
今回も「なにか制限されるのか?」と思ったが、エンジュはただ「そうですか。では本当に、アグリアは偶然不作になったということですね」と言うだけだった。
まもなく『名もなき集落』が現れた。
名前がないことも当然で、集落は小屋を五つ抱えるだけだった。
ただ、規模の割には活気があり、活気の中心に馬車があった。
馬車は畑の隣に停められており、持ち主と思しき男には見覚えがあった。
「ミノールさんとエンジュさんじゃないですか!」
男も俺たちを認識したらしい。
アルフェルディナントは俺たちの名を呼ぶと、大きな手をブンブンと振った。




