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第21話:売り出されたドルチェリア

神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけです。


マザー・テレサ

 エンジュは素早く琥珀色をした果皮を剥いて見せた。

 中から淡いパステルピンクの果肉が姿を現し、現れたところから果汁が滴る。

 手を汚すことなど気にならないのか、エンジュはドルチェリアを左手に固定したまま皮をぜんぶ剥いてしまった。

 天使の手を伝う果汁は、果肉と同様に薄い桃色で、陽光を浴びてキラキラと輝いた。


 次にエンジュは剥いたドルチェリアを金属製の鍋に移し、ナイフを二度突き入れた。

 小舟状に切り分けたそれを差し出しながら、エンジュは「火を入れる前のドルチェリアも食べてみてください」と言った。

 スプーンに乗せられた果肉を俺は口に放り込む。

 前世でタイに出張し、初日の夜のカクテルパーティで食べたマンゴーのような味だった。


「かなり美味しいですね」

「驚くのはまだ早いです」


 俺が奇跡で創り出した竈の上に、エンジュは金属製の鍋をおいた。

 ドルチェリアの真の姿は熱したときに現れるのだそうだ。

 鍋の中で焼かれるドルチェリアは、自らの果汁をさらに溢れ出させ、ほとんどシチューのような状態になった。

 ゴポゴポと沸騰する果汁に果肉が沈んだところで、エンジュは「次はこちらをどうぞ」と言った。


 先ほどのスプーンで、俺は溶け崩れた果肉を掬う。

 冷ましながら、俺はもう一度観察してみた。

 マゼンタ……とでも言うのだろうか。

 熱したドルチェリアは粘度を増し、赤紫に近い色となった。

 食べてみれば味も濃く、練乳とはちみつを混ぜたような感じで、しかし下品ではない甘さがあった。


「なるほど。これはすごい。人々が熱狂する理由もわかります」

「人間の割には良い発明だと、私も思います」

「しかし、どうして『いま』なんでしょうね? オルディアがネルバの甘さを売りに、輸出を計画したこのタイミングで……」

「もちろん。『いま』だからでしょう」


 エンジュもスプーンを取り出し、果肉を食べた。

 身体が熱に強いのか、熱さを恐れぬ所作だった。

 ただ、口に入れた直後は、微かに嬉しそうな表情を見せた。

 甘いものには弱いのかもしれない。


「アグリアは農業国です。肥沃な土地で生産した農産物を輸出し、その利益で国を運営しています。そんなアグリアにとって、ネルバの出現は脅威だったことでしょう。乾燥地帯でも生育し、栄養価が高く、嗜好品のように甘い……代行が創り変えたネルバは、これまでの農産物の常識を覆します」


 エンジュは自然な様子で『代行』と言った。

 あれからエンジュは、俺を代行と呼ぶようになったが、俺はまだ慣れていない。

 正確には、エンジュが俺を認めてくれた事実に慣れていないのだ。

 呼ばれるたび、俺は嬉しさを隠すことに集中しなければならない。


「実際にいくつかの国では、アグリアからの輸入を控え、オルディアのネルバの購入を検討する動きがあります。また、乾燥の強い国では自国の農場でネルバを生産し始めています。そこでアグリアは、反撃の一手として、王族や貴族向けに研究していた果物『ドルチェリア』を市場に解放しました」

「ネルバよりも商品価値が高いドルチェリアを売りに出したということですね」

「仰る通りです。しかも、ドルチェリアには依存性に近い甘さがあるので、ネルバが取引されるようになった後も、アグリアの利益は下がっていません。むしろ高くなるだろうという話もあります」

「前からずっと思っていたのですが、エンジュさんはどうやって、そんな情報を手に入れているのですか?」

「どうと言われましても……日々展望床を観察し、回廊で嘆願を聞いていれば、だいたいのことはわかりますよ」


 俺を代行と呼ぶことを除けば、エンジュはいままで通りだ。

 優秀だし、冷静だし、気のせいかもしれないが、俺を少し馬鹿にするような言い方をする。

 ただ、馬鹿にされたとしても、筋が通っているので言い返せない。

 高学歴の人たちが集まる前職でも、俺は特に無能だったわけではないが、エンジュの前ではどうにも霞んでしまう。


「話はわかりました。しかしなぜ、エンジュさんは今回のドルチェリアの件を私に教えてくれたのですか?」

「代行の役に立つかもしれないと思いました。代行であれば、前職の経験と記憶を活用し、アグリアの行動を信仰心に変えることができるのではないですか?」

「どうでしょうか? そんなに都合の良い方法があるとも思えませんが……」


 エンジュの目的を聞いて、俺はがっかりした。

 以前よりもお互いを理解できた気がしたが、結局天使は、信仰心のことしか考えていないらしい。

 良い商品を作ろうと競争することは、方法として健全だし、社会を発展させるためにも必要不可欠だ。

 そんなことを説明しても、エンジュは理解できないだろう。

 基礎となる価値観が異なるからだ。

 人間社会の発展なんてものに意義を見出せないからだ。

 ちょうど俺が、人間の信仰心を高めることに意義を見出せないように。


「ひとまず、この件は保留とします」


 ただ、俺はこのとき、まだ甘く考えていた。

 ドルチェリアの売り出しが、一年後のアグリアに大きな傷を負わせ、ひいては世界的な問題になるなんて予想すらしていなかったのだ。

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