第20話:非の打ち所のない成果
公務員はたまに、法律の解釈や内部ルールを記した『通達』と呼ばれる文書を発行することがある。
たとえば風営法に関する通達が有名だ。
風営法の第二十三条第二項には「第二条第一項第四号のまあじやん屋又は同項第五号の営業を営む者は、その営業に関し、遊技の結果に応じて賞品を提供してはならない」と書かれている。
つまり、遊技場での賞品の提供を全面的に禁止している。
一方、二十世紀後半には『UFOキャッチャー』を中心としたクレーンゲームがブームとなり、賞品の是非が問題となった。
法律を杓子定規に適用し、「賞品は一切禁止」としてしまえば簡単だが、それでは一般大衆の健全な娯楽を奪うことになってしまう。
また、そもそも風営法が賞品の提供を禁じている目的は、「まぐれ当たりで儲けたい」という射幸心を防ぐためだった。
高額な時計や現金ならともかく、数百円のぬいぐるみで人生を狂わすほどのギャンブル依存症になるだろうか……と当時の人々は疑問視した。
そこで警察庁は二〇〇一年、関連各所に対して風営法に関する通達を発出した。
目的は風営法と世間の感覚の乖離を埋めることであり、文書の中には「クレーンゲームの賞品も低額であれば許容される」旨が書かれていた。
風営法の例を挙げるまでもなく、法律だけで世の中のあらゆるケースに対応することは不可能だ。
通達は、そういった例外ケースに向き合うためのツールと言える。
加えて通達は、法律の解釈や内部ルールを示すものだから、法律自身を変えるわけではない。
しかし、一部の人たちは裏の法律だと揶揄し、「実質的な立法行為をただの公務員が行なっている」と批判する。
今回の解毒のアイデアを閃いたとき、俺はまた、天使たちのことを考えていた。
前の世界の天使と違い、こちらの世界の天使たちは人間に対する慈愛が足りない。
冷たく、残酷で、人類の敵とすら言える。
その事実を認識するたび、俺は小さくないショックを受けるのだ。
いつでも「もっと優しくなれば良いのに」と思うし、いっそのこと「奇跡で天使の性質を変えてやろうか」と考えたこともある。
しかし、それは傲慢で暴力的だ。
なにより、奇跡で天使の性質を変更することは、禁忌事項『洗脳などによって、誰かの意思を奪ったり、無理やり崇拝させたりすること』に抵触する可能性が高い。
だから俺は諦めた。
天使が冷酷であることも、ネルバが毒草であることも、変更不可能と結論づけたのだ。
そう悟った瞬間、俺は通達というものを思い出した。
元々の法律を変えぬまま、行政機関があとから発出した文書により、運用を調整する方策があったことを。
すべてを話し終えると、エンジュは「ご説明ありがとうございました。ただ、残念ながら、私にはわからないことがたくさんあります」と感想を述べた。
「私の判断がわからないということですか? あるいは私の前世の言葉がわからないということですか?」
「もちろん後者です。そもそも公務員という職業から難解です」
「それは……」
「説明は結構です。ひとまず、あなたの意図や判断は理解しましたので」
プツリと言い切られたので、原初宮は途端に静かになった。
防音設備なんてないだろうが、扉を閉じると各パビリオンは完全な無音となる。
俺が姿勢を変えるときに発生する衣擦れの音すら、うるさく感じるほどだ。
「ところで今後、その『通達』というものを、私たち天使にも使うつもりですか?」
当然の質問であり、厳しい質問だ。
準備なく投げかけられていれば、きっと俺は困惑し、言葉に詰まっていただろう。
しかし、今回は想定問答として既に検討を終えている。
「予定はありません。少なくとも、いまは」
「つまり、必要があれば使うということですね?」
「はい。しかし、先ほども説明した通り、本質は変えませんし、変えたとしても僅かですよ? しかも、実行する場合も、本当に例外的な問題が発生したときだけに限るつもりです」
それが通達の原則だからだ。
法律を超えるパワーを持たせてはいけない。
法律を超えた通達は社会を歪ませてしまう。
俺の回答を聞いたエンジュは「わかりました。ただ、その奇跡を使う場合は、奇跡の内容と理由を事前に説明してください。そうでなければ、私たちも対応を考えなければいけません」と言った。
「それは脅しですか?」
「いいえ。セラフィムから受けた指示そのものです」
「対応とはなんですか?」
「具体的には、今後天使たちの中で議論することになります」
「なるほど」
俺は意識的に、原初宮の中を見渡した。
片付けをした上で、不要な物を消滅させたので、原初宮に残っている家具類は僅かだ。
デスクが一つと、椅子が一つと、ソファが二つあるのみ。
周囲になにもない空間が広がり、果てに白い壁がある。
そんなパビリオンの中で、俺とエンジュがソファに座っている。
扉は閉じられ、外から俺を観察する者はいない。
無防備だ、と俺は思った。
その気になれば、いま奇跡を発動させて天使たちの性質を間接的に変えることもできるのに、俺を止めるべき天使がいなかった。
仮にエンジュがセラフィム並みに速く、強かったとしても、一人で俺を止めることは不可能だろう。
俺はイメージするだけだ。
エンジュが不審に思う頃には、すべてが終わっている。
「次は質問ではなく、謝罪とお願いをさせてください。今後、あなたと適切な協力関係を築くために、話しておくべきことがあります」
そう切り出したエンジュは真顔だが、悲壮感や緊迫感は見られなかった。
まるで俺が『天使に対して奇跡を使わない』と悟っているかのように。
奇跡を使ったとしても、『許容できるレベル』だと信じているかのように。
「『謝罪とお願い』ですか? よくわかりませんが、構いませんよ。なんのお話でしょうか?」
「気づかれていると思いますが、私はあなたを無能な人間と考え、その判断力を低く見積もっていました。まずはその点を謝罪させていただきます。本当に失礼いたしました」
そう言うと、エンジュは勢いよく頭を下げ、その下げた頭のままで説明を続けた。
「あなたは今回『祈りによる解毒』という方法を誕生させました。これにより、ネルバを食べる人間は今後、食事の前に祈りを捧げることになります」
「そうですね」
「これは本当に素晴らしいアイデアです。いままで信仰心は、魔族に人間を襲わせることで高めてきましたが、祈りによるネルバの解毒はまったく新しい可能性を示唆しています。もしかすると、オルディアの人間の信仰心を恒久的に高めるかもしれません」
「ああ……」
たぶん俺はエンジュに認められたのだ。
害はないと。
謝罪するだけの価値があると。
本人から「監視対象」と言われ、まともな人間関係を築けないと思っていたから、エンジュの謝罪は良い意味で意外だった。
「なんと言うか……ひとまず喜んでいただいたようで良かったです」
「その上で、一つお願いがあります。続けてよろしいですか?」
「どうぞ。私にできることであれば、対応します」
「今後あなたを『代行』と呼んで良いでしょうか?」
絶句した。
もちろん、ショックだったわけではない。
俺はとても嬉しかった。
嬉しくて、安堵と達成感が込み上げてきて、その気持ちを表す言葉を見つけられなかったのだ。
エンジュの質問から十秒ほど経過しただろうか。
俺はどうにか、蚊の鳴くような小さな声で、「もちろんです」とエンジュに答えた。




