第17話:壁のない小屋
俺とエンジュはスラムから離れ、ファルムまでの移動中に見つけた石造りの小屋へ戻ってきた。
街道の脇に建てられていたが、中にはなにも残されていないので、用途はわからない。
ただ、六畳ほどの大きさから、元は物置か見張り小屋だったのではないかと思われる。
なんにせよ、いまは屋根がなく、壁の一面も壊されているので、廃墟と呼ぶに相応しい。
屋根の一部と思しき残骸の影に座りながら、俺はスラムで見た鍋と同じものを創造した。
内容物は同じだが、容器だけは土汚れのない物に変えている。
ついでに、鍋の中の土や砂や小さな虫などの生き物も奇跡を使って取り除いた。
神様の代行者である俺が、腹をくだすとも健康を害するとも思えないが、念の為だ。
俺の気分のためだ。
準備を終えた鍋は、青臭さと魚の腐臭が混じったような臭いを発生させた。
「この枝とか葉っぱはなんですか? そもそも食べられるのでしょうか?」
煮込まれた具材を箸で取り出し、俺はエンジュに訊いてみた。
エンジュは俺の隣で立ったまま、「枝も葉っぱもサージの木から採取したものですね。食べられなくはないですが、栄養価はほぼなく、人間の舌では苦味が強いでしょう」と言った。
まったく興味のなさそうな緑の瞳が、煮立っている鍋を見つめている。
「スラムの人たちは、食べられればなんでも良いってことですか?」
「そういうことだと思います」
「栄養価が少なくとも、大量に食べれば、生きていく上で充分ですよね?」
「理論上は仰る通りですが、人間の胃で、そんなに食べられるとは思えません」
つまり、サージはキュウリやモヤシくらい栄養価が低いのだろう……そんな風に思考を整理したあと、俺は再び箸先を確認した。
枝だ。
細く茶色い枝。
一口サイズに切っているし、煮込んでいることもあって少し柔らかそうに見えるが、どう考えても枝だった。
せめて根の部分だったらゴボウだと思い込めるのになぁ……などと思いながら、俺は小指の先くらいのそれを口の中に放り込んだ。
硬い。
ガチで硬い。
まったく噛み切れそうにない。
そりゃ枝だもんな。
一通り頑張ったあと、俺は自分の咬合力を二十倍に上昇させた。
奇跡のおかげで無事に噛み切れたが、枝は、過去に味わったことのない苦味と独特な刺激臭を俺の口内に展開させた。
凄かった。
大人の味……と誤魔化すこともできない。
スラムの人たちは、こんなものしか口にできないのか。
俺が身体を曲げ、吐かぬように耐えていると、エンジュは「一つ追加してよろしいでしょうか?」と俺に訊いた。
「構いませんよ。なんですか?」
「先ほどの件で申し忘れていたのですが、大量に食べられないという意味で、オルディアの人間には別の障害があります」
「別の障害?」
エンジュと話をするために、俺は胃の中の枝を消滅させた。
味も除去したはずだが、まだ口の中に気持ち悪い記憶が残っている。
俺は前の世界の飲食店に置いてあるような薄い紙を創造し、口を拭いて、エンジュを見上げた。
「オルディアにサージの木がほとんど生えていません」
「そういうことですか……」
俺は壁のあった場所から、オルディアの大地を見渡した。
砂漠のように乾燥が強く、針金のような草を除いて緑が見えない。
畑にしても、井戸や水路を整備しているから成立するのだ。
加工が容易な木材を建築物に使っていないことだって、この国で植物が育ちにくい点を示唆している。
「ところで、この針金のような草は食べられないのでしょうか?」
俺は近くにあった雑草を引っこ抜いた。
葉は硬く、細く、いかにも食材に向いていない。
ただ、地中には丸く大きい主根のような部分があった。
「ネルバですね」
「ネルバ?」
「その雑草の名前です。オルディアの人間はネルバと呼んでいます」
「わかりました。ではもう一度訊きましょう。ネルバを食べることはできませんか? 特に根の部分はカブのようにも見えますが」
「カブ……ですか?」
「あ、すみません。こっちの話です。こっちの世界の話」
俺はネルバを差し出したが、エンジュは直立したまま受け取らなかった。
俺が握るネルバを見つめ、俺を見つめ、「人間には毒となる草です。特に根の部分に問題があります」と言った。
「まあそうですよね。食べられるなら、とっくに食べているはずですから」
「なお、毒ではありますが、人間にとって栄養価は高く、味に癖もありません。もしも私が人間であれば、サージよりもネルバを食べますね」
「え? もしかして、ネルバの毒って軽いものなんですか?」
「いいえ。神経に影響する猛毒です。食べれば高い確率で死ぬでしょうね。そもそもネルバという名前も、死を意味するネルからきています」
エンジュはさらりと言ってのけた。
サージの不味さに耐えるくらいなら、いっそ死ぬほうがマシということだろう。
人間の命を軽視するエンジュらしい答えと言えた。
「ところでエンジュさんは、あの話をどう思いましたか?」
やや唐突だったが、俺は話題を変えた。
もう一つの疑問に対し、エンジュの意見を聞いていないことに気づいたからだ。
「なんの話ですか?」
「先ほどの行商人の話ですよ。オルディアから聖職者がいなくなったという謎です」
「謎……というか。それはたんに、聖職者と呼ばれる人間にとってオルディアにとどまる理由がなくなったのでしょう」
エンジュはさも当然のように言った。
「エンジュさんの言う『とどまる理由』とはなんですか?」
「安全と、裕福な生活です。以前も言いましたが、人間は不幸なときほど純粋に神に祈ります」
「そのお話は覚えています」
「逆に言えば、人々の祈りを集めて神の威光を利用し、安全で満たされた生活を送っている人間こそ、この世界で最も『信仰心の低い存在』だと考えます」
「なるほど。皆さんの中では、そういう整理がなされているんですね」
満たされているから、神様に祈る必要がない。
本心で神様に祈っていないから、異常事態に逃げ出してしまう。
気に入らないが、まあ理屈は通っている。
そういう人間は公務員の中にもいた。
安心と安全だけを求めてきた人たちだ。
彼等は、異常事態の対応こそ、公務員業務の本分であることに気づいていなかった。
「ええ。本物の恐怖と飢餓が訪れたとき、彼らにはすがるべき本物の信仰心がありませんからね。己の命と財産を守るため、真っ先に近隣の安全な国――ルシエラやメルカあたりへ逃げ出したのでしょう。自己保身としては、まったくもって人間らしい合理的な判断だと思います」
「仮に聖職者のいない理由が、エンジュさんの言う通りだったとして、違和感はないですか? 神に仕える身でありながら、信仰心を持たずに民衆を見捨てる人たちですよ」
「なぜですか? 人間とはそういう生き物です。聖職者と自称したところで、彼等に高潔さは求めていません。ゆえに違和感もありません」
俺は、エンジュの受け取らなかったネルバをもう一度眺めた。
乾燥に強く、栄養価も高く、食べやすそうな根を持つ。
しかし、その内部には猛毒を抱えている。
ある意味で、ネルバは天使たちに似ていた。
姿形は美しく、神に仕える聖なる名を持ちながら、人間に対してはどこまでも冷酷な存在。
共に優しさの欠片も見つからない。
きっと、人間が接触して良い対象ではないのだろう。
わかっている。
こちらの世界ではそういうものだとわかっている。
しかし、「もっとなんとかならないか」と諦めきれない自分がいた。
ネルバも天使たちも、もっと柔軟性があって良いはずだ。
なにかを一方的に排除するのではなく、共存できる形があるはずだ。
そう思った瞬間、俺の脳内に電流が走った。
完璧なアイデアだった。
オルディアの人たちを救い、禁忌に触れず、しかも神様に対する信仰心を高められる。
うまくいけば、オルディアの人たちの信仰心は、今後しばらく極めて高い状態を維持するかもしれない。
「エンジュさん!」
気づけば俺は大声を出していた。
「思いついたことがあります。いますぐスラムに戻りましょう!」




