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第16話:足りない食糧

 波打つ丘は一部が切り立ち、壁のようになっている。

 壁は地層の断面であり、鮮やかな黄色や灰白色の層を露出させた。

 地質学的な意味でオルディアの長い歴史を示すのだろうが、そうでなくとも美しく、俺には美術品のように思えた。


 ただ、針金ような雑草は、そんな断面にも根を張った。

 まるで「この土地の歴史なんて、どうでも良い」と言わんがばかりに。

 エンジュも同じだった。

 地層に対してなんの興味も見せず、ただ丘の上を疾走した。


 丘陵地帯を越えてまもなく、小さな村落が現れた。

 念の為に少し離れた位置で馬を消し、残りは徒歩で移動した。

 村を覆うように壊れた柵があり、柵の中に畑があった。

 円形に広がった畑の中心に、元は家屋らしきものの残骸がいくつもあった。


 畑は踏み荒らされた上、いくつかは穴が掘られ、別のいくつかは大きな岩が乗せられていた。

 家屋らしきものの残骸は、巨大な力で薙ぎ倒されたか、あるいは燃やされていた。

 人の姿はゼロに近く、一人の男を除いて気配はない。

 その男も放心したような目で、畑を耕していた。


「こんにちは」


 俺が声をかけても、男は反応しなかった。

 獅子脅しみたいな単調なリズムで、鍬を土に打ち込んでいる。

 日に焼けた肌は赤く、顔の皺から五十代くらいに見えた。

 後ろで纏めただけの長髪は乱れ、全身が土に塗れていた。


「こんにちは」


 もう一度声をかけてみたが、やはり反応はなかった。

 腐った臭いがしたので、臭いの出所を探ると、男の向こう側に何人もの死体が横たえられていた。

 大人が十人ほどと、子供が五人ほど。

 半分は腕や脚や首がなかったが、残り半分は傷のない死体だった。

 エンジュは「墓でも掘っているのでしょうか?」と興味なさそうに言った。


「そうみたいですね」

「では、別の場所に行きますか?」

「はい。ただ、その前に……」


 俺は奇跡を使い、網のカゴとバゲット二本を創造した。

 二本のバゲットをカゴの中に入れ、俺はそれを近くの岩の上においた。


「人間に対して、安易に奇跡を使ってはいけません」

「このくらいは良いでしょう? ささやかなものです」

「あの人間の信仰心が低くなったらどうするつもりですか?」

「以前も似たようなことを言いましたが、餓死してしまえば、この人の信仰心はゼロとなります。ゼロよりは少しでも残るほうが良いでしょう? これは特例の支援物資です」


 村を出る前に、俺はもう一度男を確認した。

 男はなにかを呟いている様子だったが、言葉までは判別できなかった。


 次に俺たちはオルディアの王都ファルムにやってきた。

 展望床でも見ていたが。元々は美しく穏やかな街だったのだろう。

 道には規格を揃えた石が敷かれ、店や家屋といった建物もそれぞれ形状を統一していた。

 壁は例外なく漆喰で、日中は真っ白な壁を輝かせているはずだ。

 しかし、いまは夕陽を反射して燃えるように紅い。

 街の中心は傾斜の緩い丘で、丘の上にはオルディア王家の城があった。

 城の周りは黒い巨石が並べられ、丁寧に重ねることで城壁を造った。

 巨石は表面が滑らかなのだろう。

 夕陽をキラリと反射して、黒く輝く宝石のようだ。


「どのあたりを確認されますか?」

「とりあえず、人の多い場所に行こうと思います」


 俺は喧騒の大きい場所を目指して進んだ。

 王都を覆い尽くすほどの人の群れが、街の外の一画に集められている。

 食べ物を求めてファルムにやってきた人々だろう。

 人々は布や棒のようなもので簡易的な家屋を作り、もう一つの町――スラムを形成していた。

 いまはファルムとスラムのあいだにオルディア王国の兵士が整列し、魔族から王都を守ったときのように、壁となった。


「これ以上、近づいてはならん!」


 先頭に立つ兵士が緊張した声で叫んだ。

 全身を鎧で覆い、手には長い槍を持っている。

 命じた相手はスラムを背に立つ男たちだ。

 男たちはみな痩せており、疲れている様子だったが、兵士たちを見る目は殺気に満ちていた。


「俺たちは食い物が欲しいだけなんだ! 食い物をわけてくれよ!」

「いまはダメだ! 王都にも余裕がない! まもなくこちらに届くという話だから、しばし待て!」

「昨日も同じことを言ってただろ! そもそもその、まもなくっていつだ!」

「まもなくはまもなくだ! 食糧はまもなく届く!」

「信じられるか!」


 俺は諍いを無視して、スラムの中に侵入した。

 テントの影に座り込む老婆がいて、地面の蟻を摘み上げる少年がいた。

 十代くらいの少女は死んだように横たわり、赤子を抱く女は乳が出ないと泣いていた。


 ふと青臭さと魚の腐臭が混じったような臭いがした。

 異臭のほうへ足を向けると、大きな鍋があった。

 鍋は枝や葉っぱのようなものを煮詰めていて、その周囲には大勢の人間が器を持って並んでいた。

 まったく食欲はそそられないが、このスラムの中では立派な食べ物になるようだ。


「どちらの方ですか?」


 声をかけられたので振り返ると、口髭を長く伸ばした男が立っていた。

 ところどころ破れたドレープを着ていたし、手足も汚れていたが、スラムの人間とはなにかが違った。

 俺が戸惑いながら「どちら……とは?」と聞き返すと、男は「その美しい身なりを見れば、スラムの方でないことくらい、すぐにわかります」と笑った。

 さすがに神界から来たとは言えず、俺は事前に決めていた通り「私の名前はミノールです。こちらはエンジュ。共に聖職者をしています。いまは修行の身であり、各国を旅して見聞を広げています」と答えた。


「聖職者の方でしたか!」


 男は安心したように俺の手を握った。

 思いのほか握力が強く、その勢いに俺は少し驚いてしまった。

 同時に俺は理解した。

 この男はスラムにおいて、圧倒的に姿勢が良いのだ。

 

「私はアルフェルディナント。行商人をしています。いや……していたと言うべきでしょうか。先日の魔族の襲撃で、すべて失ってしまいましたから」


 アルフェルディナンドはまたハハハと笑った。

 よく笑う男だ。


「それにしても、こんなところで聖職者の方に会えるなんて、まったく思いませんでしたよ」

「それは心外です。人々が困っている場所にこそ、我々は訪れますし、訪れるべきだと思います」

「いやいや、本当に仰るとおり。それがあるべき姿だと思いますよ。しかしね。残念ながら、多くの聖職者はそんな風に思っていないようです」

「どうしてですか? どうしてそう言い切れるのですか?」

「だって、ほら。この辺りにはあなたたち以外に聖職者なんていない」


 アルフェルディナンドは大袈裟に両腕を広げ、スラム全体を示した。


「教会の建物も残っていますし、魔族の襲撃以前はオルディアにも多くの聖職者がいたはずなんですよね。なのに、誰一人として姿を見せない。これはいったい、どういうわけでしょうか?」

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