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第13話:できないイメージ

何を考えているにせよ、最後まで見ることだ。殆どの場合、神は人間に幸福をちらりと見せた後、奈落に突き落とすものだ。


ヘロドトス

 奇跡はイメージすることで発生する。

 他の条件はないに等しい。

 もしも上手くイメージできれば、空を固体にすることも、海を割ることも、大地を蒸発させることもできるだろう。

 しかし、逆に言えば、イメージできない奇跡は起こせない。


 たとえば『無』だ。

 無とは、本当の意味でなにも無いことを意味する。

 少し前に原初宮の一部を無にしようと試みたが、まったく上手くいかなかった。

 イメージできなかったのだ。

 物質や空気を消しても光はあるし、光を消しても空間が残る。

 仮に空間を消せたとしても、その座標の時間や概念は残るだろう。

 したがって、無に関する奇跡は難しい。


 他にも『未知シリーズ』がある。

 未知の色、未知の物質、未知の感覚……

 そういった概念は、言葉にすると簡単だが、どうやら俺にはイメージできないようだ。

 イメージ以前に発想力を求められるものは、どうしても曖昧になる。

 元人間であり、発想や想像なんてものと無縁の公務員だった俺は、使える奇跡にも限界があった。


「しかし、どうしたものかな……」


 俺はいま抱えている悩みを口にした。

 どうしても、過去に戻る奇跡を起こせないのだ。

 セラフィムの前で時間を遅くしたときは、『過去や未来に移動することもきっと容易だ』と思ったものだが、時間の流れを遅くすることと時間の移動は、イメージの難度がまるで違った。


 たとえば、五分前の世界に戻ろうと思っても、五分前の世界というものがよくわからない。

 四分五十九秒でも、五分一秒でもない上、その時間の世界を完全に思い浮かべられないのだ。

 自分の周囲で目にしたことはだいたいわかるが、世界全体のイメージなんてまず無理だろう。

 しかも、考えているあいだに時間は過ぎていく。


 もしかすると、なにか良い方法があるのかもしれない。

 過去の世界をイメージすることとは別に、抜け道のような方法が存在するのかもしれない。

 しかし、いまのところそんな方法は見つかっていないし、存在するという確証もない。


「なにをしているんですか?」


 急に声をかけられ、俺は飛び上がりそうになった。

 断りもなく、エンジュが原初宮に入ってきたのだ。

 いつもの白いワンピースを着て、手には小さな弓を持っている。

 神界で武器を携帯する必要性は低いと思うが、聞けば「いつでも最終戦争アルマゲドンを起こせるように備えている」のだそうだ。

 物騒な話だが、それが異世界の天使というものなのだろう。


「あの……入ってくる分には良いのですが……」

「なにか問題がありましたか?」

「いえ、結構です。いまのは忘れてください」


 俺は最初、無断で原初宮に入室したエンジュの無作法を咎めようと思った。

 しかしすぐに、俺は自分がただの代行者であることを思い出した。

 一時的な仮住まいであり、神殿を使わせて貰っている身分の俺が、そもそもの住人であるエンジュの行為を注意できるだろうか?


「それよりも、エンジュさん。なにかご用ですか? 理由があってこちらへ来られたのでしょう?」

「用はありますが、その前に、先ほどの私の質問に答えてください」

「質問って、なんでしたっけ?」

「いま、なにをしているんですか?」

「ああ……奇跡ですよ。奇跡を起こそうとしています」


 俺が答えると、エンジュは真剣な表情になった。

 嘘は嫌いだが、正直に言うべきではなかったかもしれない。

 あまり良い兆候ではなさそうだ。

 

「どのような奇跡ですか?」

「内容を言わなければいけませんか?」

「もちろんです。ここは神界であり、いまのあなたはどんな奇跡でも起こすことができます。世界の安定と安全を確保する上でも、説明していただかなければ困ります」

「皆さんに迷惑はかけませんし、絶対に迷惑をかけないと神様にも誓います。それでも言わなければいけないのでしょうか?」

「説明してください。当然です。しかも私はセラフィムから、あなたを常時監視するように命じられています」

「監視……」


 なかなか強い言葉だった。

 天使たちに信頼されていないことは俺にだってわかっている。

 わかっているが、それでも直接言われると嫌なものだ。

 少なくとも俺は神様の代行者であり、名目上は天使たちを使役する立場なのに。


「少し、時間を戻そうと思います」


 それでも俺は正直に答えた。

 神様の代行者として、正直に答えるべきだと思ったからだ。

 時間の逆行は世界の流れを変える行為であり、言えば百パーセント阻止されるだろうが、やはり嘘はつけなかった。

 また別の方法を考えれば良い……そんな風に俺は諦めた。


 しかし、エンジュは「ああ、その程度ですか。では、お好きにどうぞ」とあっさり言い放った。


「え? 良いんですか?」

「構いませんよ。時間が戻っても、なにかを破壊されるわけではありません。ただ、あなたが別の選択肢を取るだけでしょう? 私個人としても、天使としても、特段の懸念はありませんよ」

「そういうもの……ですか」

「そういうものです」


 一つ間をあけると、エンジュはにっこりと笑った。


「なんなら前世まで戻っていただいても良いですよ。成功すればあなたは元の世界へ帰れますし、神も神殿に戻ってくるでしょう。全員が幸せになります」

「いや、それは……ちょっと違うかな……」


 エンジュの提案は、過去に俺も思いついた。

 神殿ツアーとして原初宮の前を通過したときだ。

 大事なことだと思い、しっかりとメモにも残した。

 しかし、冷静に考えてみると、前世まで時間を戻してもあまり良い結果にはならないと気づいたのだ。

 まず、俺が再召喚され、もう一度最初から始まる可能性が高い。

 仮に、俺以外の別人が神様の代行者に任命されたとしても、それは俺が手をつけた仕事を別の誰かに押し付けることを意味する。

 散らかしたままで、引き継ぎもせずに逃げ出すなんて、俺には到底できなかった。

 これは俺の誇りと美学の問題だ。


 いずれにせよ、エンジュや俺が思いついたアイデアは「全員が幸せになる」ようなものではなかった。


「そうですか? 残念です。ではいったいどこまで時間を戻すつもりですか?」

「私がこちらに来た当初です。魔族が本格的にオルディアを襲撃するよりも前」

「なんのために?」

「犠牲者を限りなく減らすためです」


 俺は自分の考えをエンジュに語った。

 神様から業務を引き継いだ時間や、エンジュから神殿の説明を受けた時間は短くない。

 そのあいだにもオルディアの人々は、数百数千という単位で殺されていたのだ。

 つまり、できるだけ早い段階で魔族の襲撃を止めていれば、人間の犠牲者はもっと少なくなる道理。

 加えて、俺がもっと上手い方法で魔族の襲撃計画を頓挫させていれば、魔族の犠牲者だって減らせた気がする。


「もっと上手い方法?」

「人間に見つからないタイミングを見計らって、魔族たちを統一魔領グラドに強制転移させようと思います」


 エンジュは「人間の前で奇跡を使えば、間接的ですが、ほとんど名乗りと同じ意味を持つ」と言った。

 エンジュは「人間にとって都合の良すぎる災害が起きれば、人間は必ず背後に神の恩寵を看取します」と言った。

 エンジュは「彼らは自力で泳ぐことをやめ、神の救命艇を待つようになる。ひいては信仰心の致命的な低下に繋がります」と言った。

 問題は、人間の前で奇跡を使うことにあった。

 人間にさえ見つからなければ、奇跡の自由度は高まるのだ。


 エンジュは黙り込み、俺の意図を検証するように何度も頷いた。

 こくりこくりと動く首は細く、いかにも華奢に見えた。

 筋肉質で力自慢のセラフィムとは大違いだった。


「やはりあなたの考え方は奇妙ですね。人間に続き、魔族の犠牲者も減らしたいだなんて」

「私は人間も魔族も天使も平等に考えたいと思っています。そして人間と魔族と天使が争わず、平和に暮らせる世界を目指すつもりです。それこそが神様のあるべき態度だと思いますが、違いますか? やはり奇妙に感じますか?」

「そこまで言われると、私にはわかりません。私は神どころか、神の代行者ですらないので」


 エンジュにしては珍しい軽口だった。

 俺はどう反応すべきか迷い、とりあえず笑って見せた。

 エンジュも俺に合わせ、可愛らしい笑みを見せた。

 しかし、あとに続く言葉は笑えなかった。


「ただ、オルディアの危機をなかったことにするという計画だけは、絶対に同意できません」

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