第3話 ゴミ箱の底の生存者
生存者。
その文字を見た瞬間、眠気が吹き飛んだ。
俺以外に、まだ誰かが生きている。
この地下廃棄場で。
骸骨とスライムと動くガラクタしかいないと思っていた場所に、人間がいるかもしれない。
「……罠じゃないよな?」
まず最初に疑った。
当然だ。
ここは異世界の地下ゴミ箱で、さっきは防衛機構に殺されかけたばかりだ。
親切な救助イベントが都合よく発生するほど、俺の人生は甘くない。
腕輪の画面には、小さな白い光点が点滅している。
位置は、この拠点から少し離れた場所。
第七層、東側廃棄水路。
名前からして嫌な場所だった。
「水路か……」
水。
地下。
廃棄場。
絶対臭い。
俺はため息をつきながら、ゴミ箱ハウスの中を見回した。
まず武器。
小型杖は右手に持つ。
全属性アンブレラステッキ本体は、ズボンとパンツの間に差すのをやめた。
さっき尻に刺さって死にかけたからだ。
代わりに、壊れたベルトとスライム粘液で腰の横に固定する。
見た目は最悪だが、さっきよりだいぶマシだ。
次に防具。
廃棄守衛一号の残骸から拾った金属片を、粘液で胸と腕に貼り付ける。
動くたびにカチャカチャ鳴る。
かっこよさはない。
だが、防御力はたぶん上がった。
最後に食料。
スライムの魔石を三つ。
ドブ臭い焼きネズミ肉を一切れ。
食いたくはないが、死ぬよりはいい。
俺は光の球体を小型杖に接続し、マップを表示した。
白い光点は、まだ点滅している。
弱々しい。
今にも消えそうだった。
「行くか」
正直、怖い。
でも、助けられるかもしれない人を放って寝るほど、俺はまだ腐っていないらしい。
前世では何もできなかった。
猫一匹助けようとして死んだ。
今世でも役立たずとして捨てられた。
それでも。
今ここで動かなかったら、本当にただのゴミだ。
俺は土壁で塞いだ拠点の入口を開き、暗い廃棄場へ出た。
地下は相変わらず湿っていた。
遠くで水の流れる音がする。
ぽた、ぽた、と天井から落ちる水音。
ガラクタの隙間で何かが動く音。
光の球体が照らす範囲の外は、全部闇だ。
俺はゆっくり進んだ。
足元には折れた剣や割れた瓶が散らばっている。
踏めば音が鳴る。
できるだけ避けながら進むが、完全には無理だ。
カシャン。
小さな音が響いた。
すぐに立ち止まる。
闇の奥で、何かが反応した。
ぬちゃ。
ぬちゃ。
スライムだ。
二匹。
いや、三匹。
床を這うように近づいてくる。
「悪いな。今は急いでる」
小型杖を振る。
火球。
一匹目が蒸発。
二匹目には雷撃。
動きが止まったところを火で焼く。
三匹目は距離が近かった。
飛びかかってくる。
俺は左腕を前に出した。
金属片を貼った即席の腕防具に、スライムがべちゃりと張り付く。
「うわ、気持ち悪っ!」
スライムが腕を溶かそうとする。
じゅう、と嫌な音がした。
俺は慌てて腕から粘液を出す。
スライムの粘液と俺の粘液が混ざり、変な感じにぬるぬるする。
その瞬間、スライムの動きが鈍った。
「同族判定……?」
よくわからないが、今だ。
俺は火球を至近距離で撃ち込んだ。
スライムが消える。
床に魔石が三つ転がった。
拾って袋に入れる。
食料兼バッテリー。
この世界に来て、価値観がだいぶおかしくなってきた。
さらに進むと、空気が変わった。
腐敗臭が強くなる。
足元が水っぽい。
壁には黒い苔のようなものがびっしり生えている。
マップ表示には、東側廃棄水路と出た。
「うっわ……」
水路といっても、綺麗なものではない。
石造りの溝に、黒緑色の水がゆっくり流れている。
壊れた魔道具の破片、骨、布、得体の知れない肉片が混ざっていた。
絶対に落ちたくない。
白い光点は、この水路の奥にある。
俺は壁沿いの細い足場を進んだ。
ぬめっていて滑る。
だが、スライム体質になったせいか、逆に足裏の粘液で吸い付くように歩けた。
便利だ。
人として何かを失っている気もするが、便利だ。
少し進むと、声が聞こえた。
「……だれ、か……」
俺は息を止めた。
女の声。
通信で聞いた声とは違う。
もっと幼い。
「誰かいるのか!」
返事はすぐにはなかった。
代わりに、水路の奥から低い唸り声が響いた。
ぐるるるる。
光を向ける。
そこにいたのは、巨大なカエルのような魔物だった。
ただし、普通のカエルではない。
背中に錆びた金属片が突き刺さり、口の中には人の腕くらいある牙が並んでいる。
目は濁った黄色。
腹は異様に膨れていた。
画面が自動で表示を出す。
廃液ガエル。
危険度:中。
弱点:雷属性、乾燥。
注意:丸呑み。
「丸呑みって書くな!」
廃液ガエルの背後。
壊れた鉄格子の中に、人影があった。
小さな体。
白っぽい髪。
ぼろぼろのローブ。
少女が倒れている。
生きている。
でも、動けない。
廃液ガエルが俺を見た。
喉袋が膨らむ。
次の瞬間、舌が飛んできた。
「うわっ!」
俺は横へ飛ぶ。
舌が壁に張り付き、石を砕いた。
早い。
しかも長い。
距離を取っても安全じゃない。
「雷!」
小型杖を振る。
雷撃が廃液ガエルに直撃した。
ばちん、と音がして、魔物の体が跳ねる。
効いている。
だが倒れない。
廃液ガエルは怒ったように口を開いた。
黒緑色の液体を吐き出す。
俺は土壁を出した。
液体が土壁にかかる。
じゅううう、と煙が上がり、土壁が溶けた。
「酸かよ!」
まともに食らったら終わる。
俺は水路の足場を走った。
後ろから舌が飛んでくる。
避ける。
酸が飛ぶ。
土壁で防ぐ。
雷を撃つ。
また避ける。
魔力残量が減っていく。
このままだとジリ貧だ。
弱点は雷と乾燥。
乾燥。
俺は火の魔道具を選んだ。
ただ火球を撃つだけでは足りない。
水路の水気が多すぎる。
なら、周囲ごと乾かす。
「風、火、同時起動!」
画面上で、風魔法と火魔法を無理やり同じボックスに入れる。
警告が出た。
複合魔法は未登録です。
暴発の可能性があります。
「今さらだろ!」
俺は小型杖を振った。
熱風が吹いた。
ただの火球ではない。
乾いた熱風が、水路の湿気を一気に奪う。
黒い水面から湯気が上がる。
苔が干からびる。
廃液ガエルの皮膚が、びくびくと震えた。
「今だ!」
雷撃。
一発。
二発。
三発。
乾いた体に雷が走り、廃液ガエルが悲鳴を上げた。
最後に火球。
開いた口の中へ叩き込む。
ぼんっ。
廃液ガエルの腹が内側から膨らみ、破裂した。
黒い液体が飛び散る。
「うげっ!」
俺は土壁を出して防いだ。
危なかった。
壁の向こうで、魔物の体が崩れていく音がする。
少し待ってから土壁を消すと、巨大な魔石が床に残っていた。
黄色く濁った魔石。
食いたくはない。
絶対に食いたくはない。
でもたぶん、あとで食うことになる気がする。
俺は魔石を拾い、少女のいる鉄格子へ向かった。
「おい、大丈夫か?」
少女は薄く目を開けた。
銀色に近い白髪。
尖った耳。
エルフ、だろうか。
年齢は俺より少し下に見える。
頬はこけ、唇は乾いていた。
手首には黒い枷がついている。
「……人間?」
かすれた声だった。
「一応な。最近ちょっとぬめるけど」
「……ぬめる?」
少女は意味がわからないという顔をした。
俺も説明したくなかった。
鉄格子には魔法の鍵がかかっている。
普通なら開けられない。
だが、俺には画面が見えた。
拘束用魔導錠。
状態:劣化。
権限:第七層看守。
解錠には認証が必要です。
「認証ね」
俺は光魔法の認証を起動した。
白い光が鍵に触れる。
ピコン。
所有者情報を検出。
廃棄登録済み。
強制解除しますか?
YES / NO
「便利すぎるだろ、これ」
YESを押す。
鉄格子の鍵が、かちゃんと外れた。
俺は中に入り、少女の枷も同じように解除する。
枷が外れた瞬間、少女の体がぐらりと傾いた。
慌てて支える。
軽い。
軽すぎる。
「水、飲めるか?」
水の魔道具から少しだけ水を出し、壊れたカップに注ぐ。
少女は震える手で受け取り、少しずつ飲んだ。
「……ありがとう」
「礼はいい。立てるか?」
少女は首を横に振った。
まあ、そうだろう。
俺は少し迷ってから、スライム魔石を取り出した。
「これ食えるか?」
少女は魔石を見て、目を見開いた。
「魔石を……食べるの?」
「食えるぞ。味はないけど」
「普通は食べない」
「普通じゃない状況だからな」
少女はしばらく俺を見つめ、それから小さく笑った。
本当に少しだけ。
「あなた、変」
「知ってる」
俺は魔石を半分に割ろうとした。
割れなかった。
仕方なく自分で少しかじってから、残りを渡す。
少女はものすごく嫌そうな顔をしたが、空腹には勝てなかったらしい。
小さくかじった。
「……本当に味がない」
「だろ」
少しだけ、少女の顔色が戻った。
俺は彼女を背負うことにした。
軽いとはいえ、今の俺も万全ではない。
だが置いていく選択肢はない。
「名前は?」
少女は俺の背中で、弱々しく答えた。
「リュシア」
「俺は……」
一瞬迷った。
前世の名前。
今世で与えられた勇者名。
どちらも、今の俺にはしっくりこない。
だから、適当に言った。
「カイでいい」
「カイ……あなたは、どうしてここに?」
俺は歩きながら答えた。
「捨てられた」
「……私も」
短い言葉だった。
でも、それだけで十分だった。
俺たちは二人とも、ここに捨てられた側らしい。
ゴミ箱ハウスへ戻る途中、リュシアが俺の腰のアンブレラステッキを見た。
「それ……何?」
「全属性アンブレラステッキ」
「……ださい」
「助けた相手に最初に言うことか?」
「でも、ださい」
俺は何も言い返せなかった。
名前は変更しよう。
絶対に。
拠点に戻ると、入口の簡易トラップは無事だった。
中へリュシアを寝かせる。
光の球体を弱め、少しだけ暖かくする。
彼女はすぐに眠った。
よほど疲れていたのだろう。
俺は入口に座り、拾った廃液ガエルの魔石を見つめた。
黄色く濁った魔石。
食いたくない。
本当に食いたくない。
だが、さっきから腕輪が表示している。
新規素材を検出。
摂取により耐酸性を獲得する可能性があります。
「……可能性って言葉、ずるいよな」
俺は深くため息をついた。
そして、魔石をかじった。
最悪の食感だった。
シャクッではない。
ぐにゅっ、だった。
「まずっ……!」
今度は味があった。
酸っぱい。
苦い。
ドブ。
最悪。
だが、飲み込んだ瞬間、喉と胃が焼けるように熱くなった。
腕輪が光る。
耐酸性、微弱。
水中呼吸補助、微弱。
舌伸縮、微弱。
「最後のいらねえ!」
思わず叫んだ。
その声でリュシアが少し身じろぎした。
俺は慌てて口を押さえる。
静かになった拠点の中で、腕輪の画面だけが淡く光っていた。
新規同居者を確認。
拠点機能を拡張します。
ゴミ箱ハウス:レベル1 → レベル2
「同居者って……」
画面には、新しい項目が追加されていた。
寝床。
保管箱。
調理設備。
治療設備。
そして、最後にもう一つ。
住民管理。
俺はその文字を見て、しばらく固まった。
この廃棄場は、ただのゴミ捨て場じゃない。
防衛機構があり、管理者権限があり、拠点機能がある。
そして、住民管理まである。
つまりここは。
誰かが、何かを作るために用意した場所だ。
俺は眠るリュシアを見た。
彼女は何を知っているのか。
なぜ捨てられたのか。
そして、第八層には何があるのか。
わからないことばかりだ。
でも、一つだけ決まった。
もう一人ではない。
ゴミ箱の底で、俺は初めて仲間を拾った。




