第1章 世界樹の庭【4】
「これから、エウル神の時代が始まろうとしているのです」
お盆を片付けながら老人が言う。あの女神がウォーロックを転生させたのは、エウル神が自分の時代を始めるための取っ掛かりにしようとしていたということだ。
「ゴード神の時代は世界樹のマナを利用して世界を発展させる……。エウル神の時代では、マナを消費した世界樹の再生を目指す。そのために、エウル神は転生者の魂を利用させているのです」
世界樹が弱っていることはエウル神から聞いた。世界樹の再生のために転生者の魂を利用しようとしていることはゴードが話していた。二柱の存在を当然のものとして崇めるこの世界の人間が、その事実に気付くことはないのだろう。この老人はゴード神の加護を受けているため、この知識を持ち合わせているのだ。
「転生者はなんの疑問も持たず、エウル神の加護を受けてこの世界に来る……。普通、ゴード神がエウル神の領域に踏み込むことはありません」
「俺の前に二柱が同時に姿を現したのは、異例中の異例だったってことか」
「ええ。死神などと称されておりますが、ゴード神は情の深い神です。エウル神の行為を看過できなくなったのでしょう」
あの死神のことを思い浮かべる。エウル神と違って姿形はよくわからなかったが、死神と称されるに相応しい空気を纏わせていた。だが、こうしてゴード神の話を聞いたいま、死神に対する心証は大きく変わっていた。
「ですが、その仕組みによってこの世界が成り立ってきたのも確かです。ウォーロックがゴード神を支持されれば、この世界は滅びましょう。転生者の魂が有する魔力が世界樹に届かなければ、世界樹は枯れ果てますからな」
ウォーロックにとって、この世界にはなんの思い入れもない。たまたまエウル神が必要としているときに向こうの世界で死んだだけ。この世界を救う理由はない。だが、破壊する理由もない。こうしてゴード神の遣いの中にいるとゴード神を支持しようという気になるかもしれないが、いまはまだ、何を決めるにしても時期尚早なのだ。
「ゴード神はこれ以上、犠牲となる転生者を増やしたくないのでしょう」
「神が世界の破滅を望む……か」
「この世界は残酷です」スクワイアが言う。「転生者の犠牲のもとで成り立っているのです」
これまでどれくらいの転生者が犠牲になったのか。不可侵である女神の領域に死神が踏み入れたのは、エウル神が相当の犠牲を生んだということだろう。エウル神の時代とゴード神の時代が交互に流れるのなら、エウル神はゴード神が消費した世界樹の魔力を多くの転生者の魂で補っていたということ。そうやってこの世界は成り立って来たのだ。
「世界樹が再生しなければどうなる?」
「人々はじわじわと死を迎えることとなるでしょう」老人が低い声で言う。「まずは飢餓に襲われる……そして疫病が流行り、野盗と化す民が増えることでしょう。いずれ戦争が起きます。勝者のない戦争です。多くの国が滅ぶことになる……。そうやって、この世界の人間は滅亡を迎えることになるでしょう」
「俺もそれに巻き込まれるんだろ?」
「ええ。ですから、ゴード神は貴方様の意思を尊重なさるのですよ。それに、貴方様の魂がアストラ王に宿ったことに意味があるのです」
穏やかな表情になって言う老人に、ウォーロックは首を傾げた。
「アストラ王は世界王の加護を受け、不老長寿の肉体をお持ちです。我々人間より、はるかに長命なのですよ」
「世界王……初めて聞く」
「世界王は、世界樹を有する大地テラからこの世界のすべてを統べる王です。世界王はゴード神の遣いであらせられます。と言っても、エウル神と対立なさっているというわけでもないのですが」
大地テラ、とウォーロックは口の中で呟く。ゴード神は「大地テラで待つ」と言っていた。だが、エウル神は大地テラについて「人の目に触れることはない」と言っていた。その実、ウォーロックが大地テラに到達することはないのだろう。
「世界王は転生者の意思を尊重なさいます。再生でも、破滅でも」
「もし俺が破滅を選んだとき、世界王は世界の民を見捨てるのか?」
「そうなるでしょう。世界王は民に対する情をお持ちではありません。飢餓で餓死しようが、病気で苦しもうが、戦争で傷付こうが、世界王は手出しをなさいません。あくまで中立のお立場です」
確信を持って言う老人に、ウォーロックはまた首を傾げる。
「中立なら、なぜアストラ王は世界王の加護を受けているんだ?」
「オクターヴィル王国はこの世界の要です。この世界の最後の砦となるのがオクターヴィル王国です。ですから、エウル神は新しい転生者をアストラ王に宿したのでしょう。エウル神の新しい時代の柱となる王。再生のために世界王の加護が必要になるのです」
「なるほどな。すべてはエウル神の計算通り、ってわけか」
「貴方様の存在で、その計画もすべて水の泡となりましょう」
老人は愉快そうに笑う。ゴード神の遣いというだけあって、エウル神の計画が崩れたことを好ましく思っているようだ。ゴード神を支持している以上、エウル神のやり方にはもちろん賛同できなかっただろう。罪のない転生者が、世界の再生のための犠牲となる。ウォーロックが死神だとしたら、同じことをしたかもしれない。
「もし俺が破滅を選べば、世界王は俺の味方をするか?」
「きっとなさらないでしょう。世界王は怠け者ですから」
「怠け者の王か……」
ウォーロックの脳裏に、自分で何もしたくないからエウル神とゴード神に投げている、というイメージが湧く。パワハラ上司と似たようなものだろう。ただし、パワハラ上司と違う面がある。パワハラをしないことだ。
「しばらくはこの世界でただ旅することを楽しまれるとよろしいでしょう。この世界には、きっと貴方様の興味を惹くものが多くありますよ」
この世界はウォーロックが想像している通りのファンタジーな世界なのだろう。せっかく魔法を使えるようになったのだから、もとの世界の多くの人々が憧れるファンタジーの世界を堪能し尽くすのも悪くない。世界樹の再生を望むエウル神には悪いが、しばらくは自己満足の旅を続けることになりそうだ。




