狂気
「進!」
待ち人の登場に、舞夏は堪らず大声で叫んだ。
その言葉に、進はゆっくりと頷く。
「待ってて。今、助ける」
「うん、うん……」
何度も頷きながら喜びで涙を流し続ける舞夏を見ながら、進は冷静に状況を分析する。
舞夏は顔には殴られたような痕があるものの、どうにか無事のようだった。
歩は意識を失っているのか、ここまで大騒ぎしてもピクリとも動かない。
目の前に立っている死んだ魚のように濁った目でこちらを睨んでいる男。おそらくこいつが舞夏と過去に同居していたという合田だろう。
そして、もう一人、
「ヒ、ヒイイィィィ。誰か……誰か儂を助けろ! 侵入者だ!」
全身に脂肪を纏っていると言っても過言ではない豚のような男が、進の顔を見るなり喚きながら走り出した。
「っ、逃がすか!?」
それを見た進は、咄嗟にズボンの尻の部分にねじ込んでおいたテーザー銃を引き抜くと、躊躇うことなく男に向けて引き金を引いた。
銃の先端から発射された二本の針は、進の狙い通りの軌跡を描き、今にも部屋から飛び出そうとした男のわき腹に刺さる。
「あがががががががががががががががががっ……」
針から十万ボルトを越える電圧が男の体に流れ、男がショックで痙攣を起こす。
進はそのまま男が動かなくなるまで引き金を引き続けた。
「ふう……」
男が完全に動かなくなったのを確認した進は、引き金から手を離す。
危なかった。もし、あのまま外へ救援を呼ばれたらと思うとゾッとしない。
進は安堵の溜め息をつくと、使えなくなったテーザー銃を捨てる。
援軍を呼ばれるという事態を回避出来た進だったが、それにばかり気にかけていた所為で、合田の存在をすっかり忘れていた。
「クソッ、いきなり現れた何処の馬の骨とも知れぬクソガキが何してくれてんだ! 僕の計画が何もかも台無しじゃないか!」
突然の合田の怒声に、我に返った進がそちらを見やる。
「なっ!?」
次の瞬間、思わず驚きで目を見開いた。
「これだけの事をしてくれたんだ。無事に帰れると思うなよ」
そこには先程まで持っていた注射器を捨て、舞夏の首筋に拳銃を当てた姿勢で狂気に満ちた顔で笑う合田がいた。
極限状態なのか、合田の体は小刻みに震え、口角からは泡が吹き出している。舞夏を抱えている右手の指が一つ無くなっていて、そこから血が止め処なく流れ、舞夏の服に赤いシミを作っていた。
合田の尋常ではない様子に、両手両足を拘束されている舞夏は何も出来ず、怯えた様子で縮こまっていた。
「手持ちの武器を全部捨てて、両手を上げるんだ。早くしろ!」
下手に刺激をすれば直ぐにでも引き金を引いてしまいそうな雰囲気に、進は大人しく手を上げる。
「……武器はこれ以上ない」
「丸腰の相手に問答無用でテーザー銃を撃つような男を信じろというのか?」
「ほ、本当だ。本当にこれ以上は何も持っていないんだ」
進はかぶりを振り、必死の形相で合田に訴えかける。
「…………」
その様子を、合田は無言で眺めていたが、
「まあ、いいや」
光彩のない目で小さく呟くと、容赦なく拳銃の引き金を引いた。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
パン、という乾いた音が室内に響き、舞夏の絹を裂いたような声が部屋中に響き渡る。
「ぐぅ……ああ……ううっ……」
次の瞬間、進は顔をしかめて膝をついた。
膝をついた進の右太ももには、拳銃で撃たれた痕があり、そこから血が湧き水のように溢れ出てくる。顔からはみるみる血の気が失せ、脂汗が浮かんでいた。
痛さに悶え苦しむ進を見て、合田は狂ったように笑う。
「ひゃははははは、武器を隠していても、こうしちまえば関係ないよな」
「ひ、酷いわ。無抵抗の進を撃つなんて信じられないぐっ……!?」
「煩い、黙れ!」
抗議の声を上げる舞夏に、合田は銃口を舞夏の口の中へ突っ込んで黙らせる。
「次、僕に口答えしたら、いくら舞夏ちゃんでも殺しちゃうよ?」
何処までも沈んでいきそうな汚泥のような目で射竦められ、舞夏は体を硬直させる。
「死にたくないならおとなしくしているんだ。いいね?」
合田は舞夏に問い掛けながら拳銃の引き金に力を籠める。
それを察した舞夏は、涙目でカクカクと壊れた人形のように頷いた。
「フフ、いい顔だ。舞夏ちゃんはそういう顔が似合うよ」
合田は舌なめずりをすると、舞夏の頬を流れる涙を舌で拭う。
余りの気持ち悪さに、舞夏は顔を背けようとするが、合田は舞夏の顔を掴んでそれを許さない。
銃をちらつかせ、反抗すれば殺すと目で脅し、舞夏の顔を舌で汚していく。
舞夏は唇を噛み、ただひたすら羞恥に耐え続けていた。




