正義の味方
「なっ……ななっ!?」
合田の言葉に、舞夏の顔から血の気が一気に引いていく。
考えるまでもないが、万が一の時とは、舞夏が死亡する場合を差している。
この時代に人を拉致して、更には売買までするような連中だ。一体どんな悪逆の限りを尽くされるのかと人知れず戦々恐々としていた舞夏だったが、まさか平気で殺しまで行うような連中とは思ってもみなかった。
このままおとなしくしていれば、五分もしないうちにあの注射の中身が体内に入り、滝川舞夏という人間が死んでしまう。
逃げ出そうにも両手両足は拘束され、後ろには気を失ったままの歩までいる。
「いや……嫌だよ……」
どんな絶望的な状況に立たされても、絶対にあいつらには屈しない。
「こんなところで死にたくないよ。誰か……助けて」
そう決意していたのに「死」というものが現実味を帯びてきた途端、そんな決意は一瞬にして吹き飛んでしまい、目から堰を切ったかのように涙が溢れ出した。
「舞夏ちゃん、今更泣いたって絶対に許さないよ!」
指が余程痛むのか、目を真っ赤に充血させ、顔を引き攣らせた合田が叫ぶ。
隣でサングラスの男がケースから小さな注射器とアンプルを取り出し、注射器の中をアンプルの液体で満たしたのを確認した合田は、奪うように注射器を取ると、それを手にゆっくりと歩き出す。
「君と、君の母親に関った所為で、僕の人生は無茶苦茶だよ。仕事を失い、住む家すら追い出された僕は、町を彷徨い、野良犬同然のように生きてきたんだ。そして、ようやく次の仕事にありつけたと思ったら、君に指まで食い千切られるなんてね……」
合田は左手を掲げると、途中から千切れ、今も血を噴出し続けている指を見せ付ける。
「大人しくいう事を聞いてくれるなら、一緒に暮らしていたよしみで壊すのだけは止めておこうと思ったけど……もう遅い。僕は君という人格を壊すよ」
「いや……いや……来ないで!」
「これも君が悪いんだ。君があの時逃げないでおとなしく僕のものになっていれば、そうすれば僕だって……」
「いや、助けて! こっちに来ないで!」
舞夏は合田に触れられまいと、必死になって暴れ出す。
「クッ、こいつ……」
両手両足を拘束されているので決して大きな動きは出来ないが、それでも怪我をし、更には手に注射器を持った合田の身を引かせるには充分だった。
だが、それは所詮、付け焼刃にしかならなかった。
「おい、お前等、こいつを取り押さえるんだ」
合田の言葉に、サングラスの男二人は無言で頷いて動き出す。
「このっ、来るな! 来るなあああああああああ!!」
舞夏は必死の抵抗を試みるが、屈強な男二人相手によってあっという間に組み伏せられてしまう。
両手両足を伸ばされた姿勢で地面に縫い付けられた舞夏を見て、合田は満足気に頷く。
「よしよし、そのまま押さえつけていろよ」
「いやっ、いやよ! 放して! 誰か助けて!」
「無駄だよ。いくら叫んだって誰も助けになって来ないさ」
合田に嘲笑されても、舞夏は泣き叫びながら助けを呼び続ける。
「やだやだ、死にたくない。お願い、助けて……助けて! 進!!」
舞夏が全力で進の名前を呼んだ途端、
「おわっ!」
「きゃっ!」
雷でも落ちたのではないかと思うくらいの轟音と共に、突然、建物が大きく揺れた。
「な、何だ。何が起こったんだ!?」
突然の事態に狼狽する一同。
誰もが正しい状況判断が出来ていない……そう思われたが、
「フフッ……フフフフ」
唯一人、何が起こったのかを理解した舞夏が突然笑い出した。
「……舞夏ちゃん、何がそんなに可笑しいんだい?」
「わからない? 今の振動は、あたしの仲間が助けに来てくれたのよ。こうなったら、あなた達は確実に終わりよ」
「…………なるほど……ね」
先程までの態度とは打って変わった舞夏を見て、合田は小さく嘆息する。
「どうやら、何物かが襲撃してきたようですね。お前たち……わかっているな?」
合田が二人の屈強な男たちに声をかけると、二人は無言で頷き、状況を確認する為に部屋から音も無く飛び出していった。
「教祖様、落ち着いてください。侵入者は彼等があっという間に駆逐してくれますよ」
「いやいや、その心配には及ばんよ」
教祖は合田から差し出された手を払いのけて立ち上がると、口の端を吊り上げて笑う。
「何者が来たのかは知らんが、ここをただの宗教団体だと思ったら大間違いだ。ここには私を守る為の私兵、軍隊経験者や、傭兵崩れの連中がいるのだ。何処の馬の骨とも知れん連中等に遅れはとらんよ」
「それは素晴らしい。やはり備えあれば憂いなし、ですね」
「全くだ」
合田と教祖は顔を見合わせると、声を上げて笑い合った。
「そうと決まれば、やることをやってしまいましょう」
「おお、そうだな。こういう緊迫した状況での調教というのも、また一興じゃな」
「はい、僭越ながら教祖様の勇姿を、この僕が記録させていただきます」
合田は流れてきた汗を拭うと、注射器を再び舞夏へと剥ける。
「残念だったね舞夏ちゃん。もしかして、お友達が助けに来たのかもしれないけど、こっちはこれでご飯を食べているプロだ。君のお友達が何人来たところで無駄だよ」
「それはどうかしら?」
「何?」
それでも余裕の笑みを絶やさない舞夏を見て、合田が訝しげな声を上げると同時に、
「どぅわあああああああああああああああああああああああっ!?」
変な叫び声を上げながら、何者かが天井近くの窓を突き破って侵入して来た。
「痛っつうううう……ったく、いくらなんでも無茶苦茶過ぎるだろ」
無様に床に叩きつけられた侵入者は、首を擦りながら立ち上がると、黒いツナギについた細かいガラス破片や、埃を払い落とす。
ガラスを突き破り、更には天井から落ちたというのに、男が怪我をしている様子はなかった。
それだけでこの男が只者ではない事が伺えた。
「だ、誰だお前は!?」
空から降ってくるという常軌を逸した侵入をした男に、教祖がヒステリックに叫ぶ。
「俺が誰だって?」
問われた男、進は暫く考える素振りを見せたが、やがて手を打つと、
「決まっているだろ。正義の味方だよ」
不適に笑って宣言した。




