クリュスタロス
これから検問署に戻るというウパルに礼を言い、部屋を出た。
アラと2人、誰も自分を知ることのないケリュケイオンを歩く。
誰もアイトスのために道を開けず、誰も挨拶に来ない。ヒソヒソと耳障りなあの声も聞こえない。
聞こえるのは、騒がしくも心地いい生活の音。
雑石の自分を、地下とは違う無関心で、気にかける者は誰もいない。
流刑人の居住区から、自室のある建物へ時間をかけて戻る。次の予定はない。
(随分暗いな)
中庭に面した回廊は、大きな尖塔アーチの窓が連続しているが建物内は薄暗い。
窓ガラス越しに天を伺う。
濃い灰色の雲が、建物のすぐそこにあるように低く垂れ込めている。
「この後は本降りになるでしょう。灯りをお持ちしましょうか?」
振り返るとそこには世話人が立っている。
「あぁ、ちょうどよかった。あなたと話したいと思っていたのだ」
「承っております。場所をご用意しましょうか」
「いや、私の部屋に来てくれないか」
「承知しました。よろしければ、近道をご案内しても?」
深い皺に埋もれた、いたずらっぽい薄い瞳の色が覗く。
「ぜひ」
夜にはまだ早いが、老いた世話人は洒落たランタンを灯した。それは検問署のモノとは比べ物にならぬほど明るかった。
(クリスタル由来か)
「管理者用の昇降機で申し訳ありませんが、これが1番早いので」
地下から15階までを示すボタンが並ぶ。エウクが10階のボタンに触れるや否やグゥーンと力強い音がして、瞬く間に到着を知らせるポーンという音が鳴る。
「この昇降機の動力はクリスタルか」
「左様です」
「これからは私もこれがいいな」
滞在者用の昇降機は遅すぎる。急ぐ用事はないのだけれど。
「先にお茶をご用意しても?」
「あぁ頼む」
アイトスが滞在する部屋は高貴な人間が使用するとのことであったが、部屋の一角には、調理台と流しを備えた小さな炊事設備がある。
上部の棚から白磁のティーセットを選び出し、小さなケトルで湯を沸かす。手際よく紅茶を入れる無駄のない所作から、彼が世話人として積み上げた時間の長さを感じる。
「まずは、名乗らせて頂いても?」
「あぁ頼む」
「改めまして。エウクレイオス・クリュスタロスです。滞在中のお世話をさせて頂きます。こちらではエウクと皆に呼ばれております」
「私もエウクと呼んでも?」
「もちろんです。ガイ殿もぜひ」
「承知した」
アラはエウクと握手を交わす。
「家系名はないのか」
「はい。ただのクリュスタロスです。私どもの祖先は地下には下りませんでしたので家系名はございません」
「地上に残ったクリュスタロスがいたのだな。何も知らず申し訳ない」
「いえ。地下の方でご存じの方がいるかどうか」
血管の浮いた骨ばった手は、働き者の手だった。
「地上ではクリスタルが起動しないと私たちは聞いていたんだ。いつから起動するようになったのだろうか?近年か?」
「灰の季節の始まりである1万年前、地上ここがまだエルピスであった頃、クリスタルが起動しなくなったとは、昔話で聞いたことがございます」
「昔話...宇宙からの凄まじい電磁波と放射線がこの地に降り注いだと」
「はい。昔話ですね」
会話の合間に、ソーサーを持ち上げ紅茶を口に運ぶ優雅な姿を見た者は、エウクこそ王族と思っただろう。
「ここへ来て、私は毎日混乱しているのだが、今も灰の季節なんだろう?」
「そうです」
「そもそも私は、この地は大蜘蛛の森同様に放射線や電磁波の影響下だと聞いていたんだ」
うんうんとアラも頷く。
「放射線は、概ね改善されていますね。電磁波も今では極微量です」
「!」
「城壁外には微量に残存し、地下から来られた方には身体に影響が出るやもしれませんね」
「検問官もゴーグルに完全防備だったんだ」
「それはあれが正装ですから。雨でしたし」
「ちょ、ちょっと待ってほしい」
思わず顔を手で覆った。
(いや、私だけが知らなかったのか?あまりにも無知に生き過ぎた)
検問署で歓声を上げ、喜んでいた流刑人たちの様子が頭に流れ込んでくる。
(あの者らは知っていたのか?)
手を外しアラの顔を見る。顎が外れたのか、だらしなく口を開け放している。
「城壁外の環境については、ウパルが把握してるでしょう」
「ウパル?気安いのだな」
「ええ。あはは。私の古い友人が育てたようなものですから」
「ウパルは、アダマスを兄と呼んでたが」
アイトスはそう聞いた自分に驚いた。
(しまった)
「総監の妹で、前族長の妹でもあるネフリテ様の孫娘がウパルなのです。地上を守り続けたスコペオン一族の娘ですから、団長殿とも大変お釣り合いになるかと」
はっはっはっと快活に笑う。
「して、ウパルがお気にめしましたか」
グッと前に身体を乗り出す。
「そうではない!」
思わず語気が強くなる。
はて?とエウクが困っている。
「すまない。彼女はカイノスの案内人を引き受けてくれただけだ」
「そうですか」
老人の笑顔に今度はアイトスが困惑する。
「いつから起動するようになったのかは、水の者にでもお聞きになるのが良いかもしれませんね。神殿に行かれては?」
「また、色々教えてくれ」
「ええ。もちろんです」
胸に手をあて、丁寧に頭を下げた。
「よろしければ、これをお使い下さい。クリスタルの通信機です」
クリスタルがついた切れた輪のような金属を2つ、応接テーブルに並べた。
「耳に装着できます」
エウクは自身の左耳につけたそれが見えるよう、右を向く。
「おおお。これは助かるな。地上では皆これを使っているのか」
「いいえぇ!クリスタル由来のものは地上では嫌われてますから。あっはっは」
「では、検問署にいるウパルにはどのように連絡を取りましょうか」
アラが困ったと頭をかく。
「私に申し付けいただくか、ガイ殿が鷲と契約頂くのも良いでしょう」
ダンッ!勢い込んでアラがテーブルを叩く。
「します!契約」
「それでは、扱いのある者をご紹介しましょう。よろしければ、地下では見ることない動物がここにはたくさんおりますから、ご覧になっては?」
アラを喜ばせるような提案をするエウクが孫の機嫌をとる好々爺に見える。
「あはは。神殿は後にして、鷲を明日見に行こう」
アイトスも、天高く舞い上がる鷲の姿が見たくなった。




