ケリュケイオン
「客人とは知らず。先ほどは失礼しました。ウパル・ミグマです。収監署までご案内いたします」
調査団に向き合い、右拳を胸に当て、検問官の礼を示した。線の細い体つきは、少年を思わせた。
「我々は王家直属の調査団だ。よろしく頼む。ところで、邪魔とは?」
アラは、ゴーグルの雨粒を忙しなく手で拭い、気安い様子でウパルに話しかける。
「あぁ。お目にかけましょうか」
カチカチと何かを打ちつける小さな音。
ガサガサガサ。不快な音と共に暗闇の中から巨大な蜘蛛が姿を現した。
アラの親指が鍔を押し上げる。
「デカ過ぎんだろうよ」
足だけで2mは超えている。
ウパルは馬に乗るように巨大蜘蛛の背にいとも簡単に飛び乗る。
「契約者か?」
アラは警戒を緩めぬまま尋ねる。
「この子と私に契約はありません。ただの友人です」
「まさか、我々も蜘蛛それに乗るのか?」
「いえ、お付きの方は馬で、奥の方には馬車の用意があります」
納得がいかないとアラはまだぶつぶつ言っているし、ヴェルデは終始ぶつぶつ言っては操作盤を操っている。
地下では馬車に乗る者などいない。用意された馬車は長身のアイトスには狭く、座面は硬かった。
ぬかるむ舗装されていない道はガタガタと容赦なく揺れ、姿勢を保つのに体に力が入る。こんなに辛い移動は初めてだった。
大蜘蛛が住むという森を抜け、その後は草原をしばらく走った。
アイトスたち5人が王城を後にしたのは夕刻だった。ただ辿り着くことだけを願いながら過ごす。
(果たして、私に目的地などあったか)
気づけば、雨音は止んでいた。
アラが馬車の戸を叩く。
「夜明け前には着くそうです」
(洞窟を出た頃と変わらないこの暗闇が、本当に明けるのだろうか)
アイトスは母が繰り返し読んでくれた童話の一節を思い出す。
「地上には果てのない天が続き、燃える太陽が輝く。その光は万物をあまねく照らす。天の下では皆、等しい存在なのだから」
(等しい存在)
「殿下、まだそれ覚えてるんですね」
「殿下じゃない。団長だ」
従者のカイル・クリュスタロス・アルカディアが、すかさず指摘する。
「アルカディア殿、口きけたんですね」
アラは罰が悪そうにカイルに反抗する。
「お二方、周囲に人がいるのをお忘れ無く」
同じく従者で神官のエリオ・フォンティナがやんわり諌める。
地平線を横切る明滅する無数の光が眼前に広がる。城壁が見えるに連れ、最悪だった馬車の居心地が格段に改善されていく。
(さぁ捨てられた土地を拝見しようか)
太古に栄華を極めた地上の遺構。1万年前、他の種族が地上を見捨て、地下へ逃げ込んだ後も、鉱物族は地上で生き続けた。
夜明け前の薄闇の中、城壁がぼんやりと浮かび上がっている。石壁に聳える煌めく扉を前に一行が止まった。
仄暗い鉱光を受けた扉は、結晶の奥で淡く明滅している。
「ダイヤモンドで造るもんじゃねぇだろ」
アラが呆れたように息を漏らす。
「盗賊でも呼び込むつもりか?」
「灰の季節から一万年、この門を目指す者は流刑人だけです」
大蜘蛛を見送って、ウパルが答えた。
「あぁ…」
「盗みのために地上へ来る者はいません。来る者は皆、地下から捨てられた者たちです」
その言葉には怒りも諦めもなかった。
(来る者は皆、地下から捨てられた者たち)
アイトスは繰り返した。
「これから入るリトス市内では、頭部の保護は解除できます。楽になさってください」
「おぉそれでは、ようやくミグマ殿のお顔を拝見できるな」
顔が見えない者を相手にするのは楽ではなかったようだ。アラがほっとしている。
「私のこれは正装ですので」
防護を解く気はない様子で応える。
「あぁ…」
乳母が見せてくれた地上の記録は、白亜の大理石の王城を中央に、水路が張り巡らされ、木々溢れる美しい場所であった。
素肌で、地上の空気に触れる。
(少し、暑いか)
城壁の内側は、十分な街灯が設置されて明るいが、どうも都市全体が暗い。
(いや、黒いのか)
「流刑地カイノスブラック」
幾度となく耳にした、自分の髪色を侮蔑する言葉。アイトスはその意味を理解した。
「ここは太古、王城でございました」ケリュケイオンの署長だという男が話す。
(王城を流刑人の収監先にするとは、なんとも皮肉が効いている)
白亜だった王城は見事に真っ黒に染め上げられていた。
「驚かれましたか?ここリトスは街全体が真菌や苔に覆われているのですよ。カイノスブラック、彼らこそ、この地の支配者です」
署長はアイトスに向かって恭しく頭を下げた。
疲れ切った様子の流刑人たちと共にケリュケイオンに入るが、車椅子に括り付けられたモノの姿が見えない。
「ミグマ殿、車椅子に乗っていた者は収監先が違うのか」
気づいたアラが尋ねる。
「ああ、あの者は森にいます」
「森に?」
「地上は食料が貴重ですからね」
「森に捨て置いたのか」
「養うにも限りがあります」
事もなげに言ってのけた。
流刑人たちとは別れ、アイトスらは上階の部屋に案内された。
「こちらの部屋は、クリスタルと契約し、お使いください」
操作盤に嵌め込んだロッククリスタルを手渡される。
「地上でクリスタルが起動するのか?」
「左様で。アンティークですが、ちゃんと動きますよ」
滞在中、身の回りの世話をしてくれるという白髪の老人が嬉しそうに話す。
自身のことは1人でこなすアイトスは早々に従者らも下げさせ、湯を使い、長い手足をベッドに投げ出した。
(王家はとうとう私を追い出したのだな)
さっさと流刑地に追いやってくれればいいものを、成人を過ぎても地下に留め置かれ、25にもなってようやくその時が訪れた。
疲れているはずが、眠れる気がしない。諦めて、テラスに出る。
湿った生暖かい風が、階下から噴き上がる。風は一定ではなく、緩んだり、強く吹きつけたりした。
城壁の奥の暗闇が、わずかに白んで見えた。




