第9話 蒼然たるステージ【卯月蒼】
夏と翼と別れて、いざオーディションの時が来た。
空と一緒に深呼吸をして。
「負けないわよ、蒼」
「卯月も負けないよ」
お互いにケジメを付けた後、歌う準備に入る。
先行は卯月、後攻は空が歌うことになっている。始めって緊張するな……あ、また深呼吸しなきゃ。
三ヶ月と少し。その期間で空は、大物のボカロPを唸らせる程に成長した。翼とはまた別種の才能、努力の才能と実現させる才能だ。もはや才能って言葉じゃ似合わない、大きな怪物だ。
それでも、卯月は勝つよ。誰よりも歌が嫌いで、誰よりも歌が好きな卯月が負けるなんて有り得ない。
名前を名乗り、お辞儀をする。レコーディングの準備が整い、いざ本番の時!
第一歩。
一度踏み出してしまえば、歌声は楽譜に乗り、込められた思いがメロディーとなって浮き上がる。4Dの映画を意識させるような、音楽による新体験。聴けば情景が視え、風を肌で感じる。
そんな卯月の歌声に、今まで眠たそうにしていた審査員が一斉に背筋を伸ばし、目を丸くしてこちらを見ている。ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』のように、音で、響きで、意識を一から向けさせる。
感情をそのままに、ビビットに撃ち込む。嫌い、好き、その山と谷の浮き沈みに対する恐怖に、悲哀感に、そして卯月自身が『楽しい』という思いを全力で歌う。
視える、視えるよ、憧れのステージが!
観客全員が感情を露にするその姿、景色……絵の具のパレットのような斬新さが、最高に気持ちがいい!
もっと歌え、ステージを踏み鳴らせ。
喜怒哀楽、ポジティブとネガティブを超えたその先に、卯月の求めているものがある───!
そうでしょ、皆っ!
……みんなは?
ステージのサイドで奏でるドラムの音は、一体誰が鳴らしている?
キーボードは?
ギターは?
横を振り返っても、後ろを向いても、誰も居ない。なんで卯月独り、ステージの上で立っているの───?
卯月がまだ音楽が嫌いだった、ううん、今でも嫌いだけど、歌が大好きなことを自覚していなかった中学生時代。
同じ学校での出会いは運命的な出会いと言うか微妙なところだけど、卯月にとってはもう来ないであろう、奇跡に近い運命を感じたんだ。それは今でも変わらない。
音楽の授業を抜けて、青空の下、屋上で独り歌っていたら見知らぬ少女にバレてしまった。クラスは違うけど、音楽の授業は二クラス合同だったから気になったのだろう。でも余計なお世話だよぉ。
と思いつつも、こちらもこちらで気になったしまった。話して悪い人じゃなかったし、また会おうなんて言っていたから、名前くらいは聞いておこうかなって。
「あのぉ……すみませんー……」
天真爛漫なお転婆少女がいるクラスは隣のクラス。お昼休みを狙って訪れたものの、ドア越しに問いかけて見るも誰も反応してくれない。
嗚呼無念!
少女の弱くか細い声は誰の耳にも届かないのだ!
あー、もう諦めようかな。見た感じクラスに居なさそうだし、お昼休憩は他のクラスで誰かと戯れてたりするのかな。うん、しそーだな。
それに卯月に会っても、向こうもこんなつまらない人間すぐ飽きてるだろうし。恥ずかしいからもう───
「あ!!? この前屋上で歌ってた人!!!」
「ひぎぃッ!?」
後ろからの爆裂魔法『耳元で突然の大声』で思わず尻もちを盛大にかましてしまった。声だけで腰抜かしちゃうとか、ビビり認定でいじめられちゃう!
「ごごごっごべんなざい!! 許じてぇ!!」
「何謝ってんのよ。ほら」
「……えぇ?」
手を差し伸べられるなんて、かつてそんな漫画のようなシチュエーションがあっただろうか。ドギマギするのもまた変なので、しっかり握り返す。
ヒリヒリと痛むお尻に手を添えるのも我慢し、恥ずかしくて堪らないこの場を颯爽と去ろうとするも、握られた手を中々解かしてくれない。
「私は睦月空って言うの。よろしく!」
なんの捻りも無いザ・シンプルな自己紹介。トントン拍子で事が進んで行くあまり、「よ、よろー」と陽キャと陰キャを反復横跳びしたかのような微妙な返事をしてしまう。
「よし、じゃこっち来て」
「ええ?」
流されるがままに手をグイグイと引っ張られ。
「ねぇねぇ、面白い人連れて来たよー」
「え、誰だし」
「面白い人?」
ああああ!
もうダメだ!!
この流れは100%いじめられちゃうやつだ!!!
卯月の中学校生活はここで幕を下ろすんだあぁ……
「屋上でね! 歌をね!!」
「ダメダメ! それは言っちゃダメ!」
空の友人らしき二人は、頭上に?を浮かべるような表情をして困惑気味だ。もう誰か助けて、この状況をどうにかして……!
口角をチェシャ猫のように上げてこれでもかとニマニマする空。そう、言わないでね、絶対ね。
突然姿を表した卯月に、見せびらかされた二人は。
「てか、次の授業、超ダルいし」
「まぁね、僕もあの授業に限っては少々退屈だ」
卯月を無視してトークしだしたんだけど!?
ま、そだよね、いきなり現れて話してくださいってのもね。じゃ卯月はここら辺で───
「音楽の授業の先生、マジ意味わからんし。ココ最近鑑賞ばっかだし」
「そうそう分かるぅ! 卯月もあの先生超嫌いだもん!」
「「「!?」」」
…………あ。
ああああああああぁぁぁ!?
やちゃたよ、やちゃちゃたよお!
初対面相手に嫌いだもん発言はただの変人だよ!
もう何もかもおしまいだ!!
顔が深海の如く真っ青なのか、はたまた茹でダコの如く真っ赤なのか、どちらにしても地球の奥深くに十年程冬眠していたくなる恥ずかしさで。でも。
「それ、超分かりみだし!」
「……ぇ?」
「いやぁ、よく言ったよ。正直僕も、いくつか気に触るところがあったんだ」
「ぁ、……そ、そうだよね。だって、作曲家を学ぶのにDVD映像の垂れ流しとかつまらないよね。先生の解説なんてひとつも無いし、挙げ句の果てにその作曲家で有名なクラシックを流さないなんてどうかしてるよね! 頭にお花が湧いてるよね! シューベルトでも怒鳴り散らすレベルだよね!!」
言い過ぎな台詞ではあったけど、言えずに溜めていたものを伝えられたことが嬉しくて……何より。
皆が笑ってくれたから。
空なんて、声を殺して笑っているものだから、こっちまで笑ってしまう。
何かを嫌だとか、批判的な言葉は基本使ってはいけないことは十分承知だけど、時には共感を生むこともある。
もっと、自分の考えに正直になっても良いんだな……。
「ふぅー、、随分と笑っちゃったわ。あ、そういえば二人のことは紹介して無かったわよね。このズボラなのは私の塾からの友達で、こっちのイケメンはイケメンよ」
「塾って、一、二ヶ月の期間じゃん。えと、あーしは如月夢。よろ」
「ははっ、一体どんな紹介なの。まあいいや、僕は皐月翼。翼でいいよ」
今思えば、空が台風のように巻き込んでくれたお陰でもあるんだよね、皆と出会えたのは。踏み出す一歩が大事って事を肌で体験した大切な切っ掛けだ。
「うん、夢、翼、よろしくね。卯月は卯月蒼って言うの。あ、あと空も居たね」
「居たねって何よ」
そうして、次第に四人で何処かに遊びに行くことも増えて、行った事の無かったゲームセンターなんかにも行ったりして、とても楽しい思い出になった。
楽しいと心に余裕が出来る。なんだか歌いたくなる気分になる。
とある日にルンルン気分で鼻歌混じりで教室に入ったら、ふと机に座っていた人と目が合った。すぐに目を逸らしてしまったその人は、休み時間に本ばかり読んでいた人だった。
余裕の無い、まだ空たちに出会っていない頃であれば気づいていなかった。いや、見ない振りをしていたのかもしれない。第一歩を踏み出す勇気、一度乗り越えれば、台風の目になれば、卯月のように話したいのに話せない人と楽しい時間を過ごせるかもしれない。
「ね、───その本、どんなところが面白いの?」
夏、夏はいつも頑張り屋さんで活発で、でも何処か生き急いでいるようで。だからね、たまには逃げても良いと思うんだ。人生少しサボったくらい、なんてことないよ。
歌い終わった卯月はお辞儀をした後、汗をタオルで拭いながらパイプ椅子に座る。
何故、過去の記憶が絶え間なく蘇って来たのか。どうしようもなく不安だからだろうか。
だって、大丈夫だよ。卯月たちはいつまでも友達だもん。
たとえ空がユニットに選ばれても全力で応援すれば良いことだし、空じゃなくても、翼だって同じ、夏だって、夢だって……あ……夢、は───?
「睦月空、よろしくお願いします」
審査員の前に立った空は、すぅと息を吸い、少しずつ息を一定に吐き出してから歌い出す。
それは努力の賜物、誰も踏み入れたことの無い秘境の歌声───
には遠くにも及ばず、聞かせる気があるのかを疑いたくなるようなものだった。
あまりにも想定違いな出来事に、思わず立ち上がっていた。
空は、いつも全力で、巻き込んで、強引に引っ張って行って、土足で何処でもズカズカ踏み入る度胸のある人だ。それなのに。
「空ッ、なんで手を抜くの!!? こんなの空の実力じゃない!!」
空の歌声に驚きと戸惑いを覚えて居た審査員の一人が、静かにしろというジェスチャーをしてくる。そんなの知ったことか。空のオーディションがこんな歌で終わるはずが無い。
「歌ってよ!! 卯月たちと部室で歌ったあの時みたいにッ!! これじゃ夢が作った曲の侮辱だよ!! 『五線譜』は、皆のッ……みんなの、歌なのに……っ」
そうだ、そうだった。
『五線譜』は皆の歌だ。
「そうよ! 私は歌えない、歌えなくなっちゃったのッ!! 喉の奥につっかえて、出てこないの……! 皆と隣で歌っている時は、あんなに世界が鮮やかだったのに、何も見えない! 聴こえない! 皆と一緒に歌いたいよ!!」
なのに、卯月は独りで歌おうとしていたんだ。自分色だけを振りまいて、自分の色だけをパレットに乗せて。それじゃただの一色の楽しくない、悲しい色しか残らない。
膝を着き、そして床に着いた手の先に、水色のネイルが悲しく輝いていた。
五色集まってひとつの色なのに、肝心なことを忘れていた。
皆と歌って居られたから楽しかったんだ。
皆が楽しくなければ、卯月は楽しくないし、卯月が楽しくなければ、皆が楽しくない。縛りを嫌い自由を求めていたはずが、自ら縛っていたんだ。そしてその縛りは、薔薇の蔓のように友達までも苦しめて。
「ごめん空、空は悪くないのに……っ」
「悪いとか悪くないとか、そういう基準で決められるものじゃないわ。だから、一度皆で集まろう。謝って、泣いて、空に叫ぶの」
今、卯月が、空が、もしかしたら夏も翼も酷く悲んでいる。でも確実に言えることは、夢が誰よりも悲しんでいることだ。
謝らないと。そして同時に、感謝をしないと。こんな卯月を、性格の悪いどうしようもない人間を、友達として公園で待っているのだから。




