第10話 翼を授けて授かって【皐月翼】
僕が視力を失ったのは、陽炎の揺れる夏の日だった。
小学五年生にもなると、割と長く厳しい道のりな登下校に慣れてくるもの。教師に内緒で教科書やら何やらを机の中にに八割がた置いて、背丈に合わなくなってきた赤いランドセルを軽くして帰る。いわゆる置き勉をしないと小学生などやって行けないのだ。
複数グループで寄り道という小さな冒険に、道草を食いながらわちゃわちゃと下校するなんら変わりないとある日───不幸は前触れも無く訪れた。
他校の小学生の少女が、横断歩道を渡り切る前に道路に水筒を転がしてしまったのだ。
僕らの目の前で起こった出来事も、歩行者信号機の点滅が赤色に変わったばかりなので、『拾っても直ぐ去るだろう』と誰もが思っていたことだ。しかし水筒を拾い上げた少女に不幸が重なる。解けかけた靴紐を片足で踏み込んでしまい、前のめりになる形で転んでしまった。
不幸はいつも、このタイミングに限ってというところで起こるもの。唯一の幸運は、僕が近くに居たことだった。
一番早く行動に移した者が僕であったから、無意識に動いていたから、車に轢かれそうになった少女を助けることが出来た。
ホッとする間も無く、鈍い音と共に視界が横転。身を呈した者は身代わりとなった。
───丈夫、これでもう大丈夫だから───
安否の確認、止血の処置、電話での適切な状況説明、そして、負傷者に掛ける優しくも強い言葉。今振り返れば小学生とは思えない手付きに喝采を送りたいところではあったものの、意識を朦朧として、息の虫だった僕は情報を情報として受け取るのみ。
はっきりと映ったその人の、強がるも滲み出る悲しげな表情が、次第に視野が狭まり霧のように消えて……脳裏に残る最後の景色になった。でも、それはもう昔のことで───
目覚めた時は、どうも目覚めた感触が無かったのを覚えている。
『明るい』その情報しか視覚に入って来ない状況に軽いパニックになったものだ。しかし、ベットに横たわっていた僕の手を、強く握りしめていた者が居たお陰で落ち着きが保たれる。
「……っ! やっと、やっと起きた……!」
そう、この声をを聞くまでは誰が握っていたか分からなかった。看護師かなと思っていたその手は、僕が助けた少女、そして僕を助けてくれた少女でもある人だった。小学生と言えど、五年生にもなると大人びてくるものらしい。
少女に言葉をかける前に、向こうから言葉を投げかけられる。
「何で、あたしを助けたの?」
その問いに僕は正直に、『衝動的に動いてしまった』と言うか、『助けることは人として当然』とヒーローぶるか少しの間悩む。でも、回答する必要は無かったんだ。
「なんで、なんでッ、あたしを助けたの!? 助けられた所為で、もう何処にも居る場所が無い……! クラスの皆はあたしのことを毎日毎日毎日毎日責めて咎めて虐めて来てッ……二ヶ月以上ずっと、ずっとだよ!! だから、あなたが助けなければ、あたしは……ッ!!」
善意が返って不幸を招くことがあることを、知っていたつもりだった。いざ自分の立場になるとこうも心を抉るものなのか。でも僕は、少女からの憤怒も、怯え震えながらも、僕の手を決して握り離さない信念を同時に受けて、ほっとけない気持ちになった。これは善意でも悪意でも無い、僕がしたいだけの行為だ。
握られていない右手を少女に向けると途端にビクつき、とうとうその手を離して「うっ……」と身構えてしまった。僕が手をあげるとでも思ったのだろう。
向けたその手で少女をこちらに引き寄せる。突然の抱擁に彼女は戸惑い硬直してしまう。僕はそんなに怖く見えるのかな?
「大丈夫、僕は君を責めたりはしないよ」
二ヶ月の間、僕は悪夢に近い夢を見ていた僕は、誰かが語りかけて来るその時だけ安らぎを得ていた。
その声はいつも楽しげで、まるで夢想の友と会話をしているようで───しかし夢の中の安らぎは嘘じゃなかった。握られている手の感触も、声色も、確かに覚えている。その子が今、助けを求めている。
「やめてよっ……」
「僕はね、寧ろ君にお礼が言いたいんだ。毎日僕の手を握ってくれて、話しかけてくれて、嬉しかったし、支えになったから」
「な……なんで知ってるの……」
「あ、やっぱり夢の中の君は現実だったんだね」
「……っ」
抵抗力が無くなった少女の頭を、ふわりと優しく撫でる。
「ありがとう。そして、ごめんね。怖かったよね。僕がもっと早く動いていれば、もっと早く目覚めていれば……もう無理することは無い。怒っても、泣いても、大丈夫だから」
「うぅっ、謝らないでよ……あたしが、全てあたしが悪いのにっ───!」
逃げて、逃げて、それでも逃げれず溜め込んだ結果は、周りから見れば『怠惰』とでしか残らない。しかし誰でも、やり方は違えど『努力』はしているもの。そこに意味を見出すのが自分以外の誰かであれば、心の拠り所になり、立ち上がれる力が湧いてくる。
せめて、今この時だけでも憩いの場所に……
僕の胸の中で、今まで溜め込んで来たであろう涙を出し切った少女は、落ち着きを取り戻し始める。「大丈夫そ?」と聞くと、「うん」と少し照れの混じった言葉で返って来た。もう、僕の今の状態をカミングアウトしても大丈夫そうだね。
背中をよしよしとしながら、僕は言いとどまっていた事を口にする。
「隠さずに言うとね、どうやら僕は目が見えなくなったみたいなんだ」
何となく、勘って言うのかな。
常日頃、勘に頼って生きてきたものだから分かってしまう。思考を膨らましてもどうしても真実に辿り着く。
「…………え、嘘っ……目が見えないって」
「実は今、窓から入る日光を感じとれるくらいしか見えてなくて。ははっ、君の泣き顔を拝めないのが残念だな」
頭部に巻かれた包帯の感触、目の損傷は無さそうで、事後の直前ならまだしも、事後から二ヶ月経ってこの有様では脳の損傷と言ったところか。運とリハビリによっては回復の見込みは有るが、限度はあるだろうし、難しいかもしれないな。ま、手足は動かせるし、こうして話が出来たのが幸いだ。
「ごめんっ、ごめんなさい……っ」
「これは僕が勝手に始めたことだ。後先お構いなく行動した副産物に過ぎないし、名誉の負傷って誇りに感じるし。だから謝らなくても大丈夫だって」
「でも、でもッ……あたしの目も、お金も、何もかも全てあげるから……!」
「………………」
僕の周りには沢山の人がいた。
小学校では足の早い人がモテると聞くが、確かに大体は合っていた。でも、技量があってこその関係でしか無いとも感じ取れてしまって、いざ僕が何も出来ない人間になれば、今まで一緒にいた人間が離れて行くのではと考えた事がある。
いつちぎれてもおかしくない糸。とても脆くか弱く、こちらが引っ張ってみれば、プツンと経たれてしまうような関係に恐れを抱いていた。
そうか、僕が今平然として居られるのは……
「全てなんていらない。僕は、君の笑顔が欲しい」
「……え、がお?」
「今はまだ、この状態に慣れていないというのもあるし、リハビリとか、僕と同じ年の人が居ると気が楽というのもあるけど───」
僕はただ、繋がりを求めていただけなんだ。
「僕の傍で、笑って居てくれるだけで良いんだ。それで僕は満足だから、一緒に居て欲しい」
「そ、それだけで良いの……? 笑顔って、傍に居るなんて、これまでのお見舞いと変わらないし」
「でも、お見舞いに来てくれていた時は不安な気持ちだったでしょ? きっと全力では笑えて居なかったはずだ、ね、全然違う」
「違うけど……」
「あ~、もしかして今も不安そうな顔をしてるね。困るな~、僕はとても悲しくなってしまうよ」
「わ、笑ってる、笑ってるから! ほらっ!」
僕はズルい。これは紛いもなく意識ある悪意だ。
見返りなんて求めてはいけないのに、一緒に居て欲しいだなんて縛りを掛けて。そして、無理に作って貰った笑顔が見えないのが申し訳無くて、残念で。
しかし何故だろう、見えていなくても、君がとびっきりの笑顔をしている確信があるんだ。満面の笑みで、それでいて我慢しきれない涙をボロボロに流して……自分の為じゃなくて、誰かの為に見栄を張るその行動がとても暖かい。
善意が不幸を招いたように、悪意が幸福を招くことを願った日───如月夢との出会いはここから始まったんだ。
◇◇◇
「ゆ、ゆめっち!? あ、待って!!」
「夏? 夢が居たの!?」
「ゆめっちが走って行っちゃった。追いかけないと」
公園を目前にした僕たちの前に、道路越しではあるが、どうやら夢を見つけたようだ。流石の僕でも、鈴があったとて十メートル以上も先の反響音は聞き取れない。ここはどうしても夏便りになってしまう。
「夏、視力の無い今の僕じゃ、まともに走れない。だから先に」
「何言ってるの! つばっちも一緒に行かないと……手、離さないでね」
僕の手を握り引く夏は、走る間隔を合わせながら前へ前へと進んで行く。
先の見えない道のりが、夏の背中に委ねられる。そんな背中がなんだか眩しくて、頼もしくて───
「捕まえたっ!」
早っ!?
しかし本当だ、夏に掴まれた腕を解こうとする夢の気配が、すぐ傍にある。
夏の運動神経の良さもあるけれど、夢も少しはライブに向けて体力作りをした方がいいかもしれない。いや、そんな事よりも。
「夢っ、どうか逃げないでくれ……僕たちは───」
掴んだ夢の腕はかつてあの日の少女と同じ、誰にも言えず独り抱え込んだ、怯え震えるか弱い腕だった。
「終わるの予定より超早いじゃんッ! 来ないで! あーしは、もう、皆とは会いたくないの!!」
───あっ……
決して離さず握ってくれた弱くも暖かい手。なのに僕は、手を離してしまった。
駆けてゆく足音。
崩れるようにして地面に倒れた僕の手には虚空が残るばかりで、もう先は何もかも見えない。
無い視界が歪み、微かな光も感じ取れない。僕のことを笑うかのように盲目が包み込む。
「待って……」
僕と共にする度に、君は素の自分を徐々に出すようになった。面倒事はすぐ断念するし、同じ中学に通うようになってからは授業中いつも寝てばかりで。
でも、目の見えない僕の為に、耳で楽しめるようにとギターを習い出すお人好しな面もあったりして。
「待ってよ……」
夢は、自分に対しては消極的なのに、人の為なら怠惰の逆をゆく。
なのに僕はどうだ?
夢に一緒に居て欲しいだとか、笑顔が欲しいとか綺麗な言葉を並べて置いて、自ら約束を破り捨てた。笑顔な夢を、僕の行いで泣かせてしまったんだ。人をただ利用する、身勝手で最低なクズじゃないか。
「……いたい」
それでも、やっぱり僕は自分勝手だ。弱くも人の為に強く有り続ける人じゃない、ただ弱いだけの見栄っ張りな人間だ。
だからせめて、本音を、恥も自尊心も全て捨てた最大限の弱みを叫べ。
「会いたいよ!!! 夢!!!」
「───そんな叫ばなくても、別に来るし」
「……ゆ、夢……? あ、あっ、夢が、夢が居るっ!!」
本当に、夢はどこまで行っても優しい。こんな僕にも手を差し伸べてくれるんだから。
「夏が、どうしても言いたいことがあるって言うから、仕方なくだし」
「うんっ、そうだよっ! 僕は夢を傷つけて、それなのに全てを見ていた気分になってて……こんな人でなしと会いたくないのは当然だよね。ごめんねっ、ごめんねっ……!」
「え、ちょっ、会いたくないってのは」
「つばっちだけじゃないよ。ウチだって、自分しか見てなったのに、それなのにゆめっちは、誰よりも皆を思ってて。ウチはバカだ。情けなくて、本当に情けなくてっ」
「そ、そんなこと無いし、翼も夏もあーしは色々助けて貰ったし……ってか、オーディションどしたの?」
戸惑いながらも、僕と夏を受け止めてくれる夢。その後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「オーディションはドタキャンして来たわ」
「もうー夏たちが出てっちゃったって聞いたから、必死に探してたんだよ?」
「空、蒼まで……! ドタキャンって、何で」
「そんなの、夢と、皆と一緒に歌いたいからに決まってるじゃない!」
「ぅ、ごめんねぇぇっ! 卯月、夢に嫌な思いさせちゃったよぉ!」
夜空の下、五つの線が集まった。
そうか、僕だけじゃなかったんだ。
皆が皆のことを大切に思っていても、お互い同じ場所を目指そうとすれば、些細な度数のズレですれ違い、縺れ、食い違う。でもいずれは、その過程が活きて、強固な線となって戻って来る。何回方向が変わっても、何度でも修復出来るから。
「皆……あーしはね、皆の夢が叶って欲しかった。なのに、公園で独りになったあーしは、『誰も受からなければ良いのに』って思ったんだ。大切な、大切な友達の夢ひとつも願えないあーしに、友達で居られる資格なんか無い。だから会わないようにしようって公園から離れて、でも、もうこれっきり会えなくなったらと思うと途端に怖くなっちゃって───」
それからは、皆でひたすら泣いていた。叫びに近い、嗚咽しながらの声なものだから、喉を枯らすのではと心配するくらいにね。
泣きやんだ頃には、なんだかスッキリした気分になった。
夜がさらに深くなった頃、オーディションを受けたビルに再度謝罪に行く為に道を行く僕たち。後ろめたいはずなのに、どこか皆晴れやかで、何より笑顔が眩しく視える。
あぁ、君たちの楽しげな表情が、本来の意味で見れないのが残念だ。これまでも、これからも、多くの笑顔を補完でしか感じることが出来ないなんて。
……全く、こうして仲直りとなっても、また僕は何かを欲してしまう。なんて欲張りな人間なのだろうか。
「ね、翼」
「ん?」
僕の腕を掴んで夜道をエスコートする夢が、何となくと言ったふうに語りかけて来た。
「良く考えて見れば、オーディションで受かるのが皆の夢だって決めつけていたのは、初めからおかしかったんだ。あまりにも大きな案件過ぎて、目が眩んじゃったみたいでさ」
「あぁ、確かに……僕もそうだったのかな?」
「ただ皆が、幸せな道を歩んで欲しくて、ステージに立てる特別な切符な気がして……でも、五人全員でステージに立つのが皆の夢だったなんて思いもしなかったから、嬉しい」
「うん、僕も嬉しい」
暖かい風が歩く度にフゥと吹き、夢の艶のある髪が画になるように靡いた。
「……昔の話だけどさ、翼は、あーしに笑顔が欲しいって言ってたっしょ?」
「恥ずかしい台詞だから、あまり掘り返さないで」
「へ、へへっ……笑顔が欲しいのは、翼だけじゃないから」
「え?」
夢は僕の手をグイッと引き寄せ、前を歩いていた皆のところに突進するようにして、五人皆で集まった。
その瞬間、僕の手に握られた叶鈴守がリンと高い音を鳴らす───
「ちょ、どうしたのよ! さては二人して、またじゃれ合いたいだなんて言うんじゃないでしょうね!?」
「いきなりぶつかって来るとか、テンション上げ過ぎでしょ~」
「卯月は皆となら、夏でもおしくらまんじゅうは余裕だよっ」
皆の笑顔が、夜空に彩られた星々よりも眩しく輝いていた。
嘘みたいだ。
ピントが合う、それも鮮明に、高画質に。
見える、見えるよ!
皆の笑顔がはっきり見える!
「あーしは、翼の時より見せる笑顔が、結構好きだったりするんだよね。うん、やっぱり、好き」
四人の笑顔は最高に美しくて綺麗で、ひとスクリーンに一変に映すには勿体ないくらい。僕は、今この時の為に生きて来たんだ。そしてこれからも、この思いを何度も積み重ねて行くんだ。
僕の脳裏に残った最後の景色は、今のところこれ以上更新することは無かった。奇跡がそう簡単に起こるものではないから当然だ。それでも、僕は今も尚視える景色は色褪せることは無い。
いつの日か、また皆の笑顔を見れるその日を楽しみに待ち侘びて、今日も明日も、僕は歌い続ける。そして皆も、満開の笑顔で───




