第8話 夏の蝶は羽ばたきを知らず【弥生夏】
「あーしは向こうの公園で待ってるから。がんばれー」
と言ってウチらが向かう指定場所とは逆の方向へ進んで行ったゆめっち。
そう、今日は有名ボカロPとのユニットを決めるオーディションの日。時間帯はウチらが申し込んだ夕方にしてもらっている。日頃の部活の時間と同じってことね。
ゆめっちに手を振って別れた後、駅からそう何分もせずに目的地に着いた。
建物は七階建てのビルディング。
一面ガラス張りのスッキリとした外装、内装は白と木目を基調としたもの。社内レストランやスポーツジム、そしてウチらが訪れるスタジオオフィスが一階に設けられている。
「なんだか緊張してきたわね」
肘でつんつんと突いて来るそらっち。
「ま、これくらい余裕っしょ」
「あ~そう言って誤魔化しちゃって。夏はもう少し正直になったらどうなの? 緊張している時は素直になった方がほぐれるものなの、はい、緊張してますって言いなさい!」
「えぇ、えと、緊張してます……?」
「もっと声を張って」
「緊張してますっ」
「そうそう。これでもう大丈夫、あとは深呼吸なりしていれば万事OKよ。じゃ、お互い頑張りましょ」
「夏、翼、バイバーイ」
そうして、そらっちとあおっちは別のオフィスに向かって行く。
ここの建物はひとつの大きなオフィスを、スライド式の壁を隔てることで二つに分割している。その特性を活かし、それぞれの部屋で二人ずつ歌うことになっている。貸出時間の短縮のためだろうな、一時間の貸出だけでも大分お金かかってそうだったし。
「僕も念の為おまじないを言っておこうかな、『緊張してます』……どうかな、あまり実感湧かないけど」
「つばっちは普段と変わらないスタンスで行けば大丈夫だって」
グループはそらっちとあおっち、そしてウチとつばっちに別れてオーディションが行われる。
ペアのつばっちの前で歌うのは緊張するな、めちゃ歌上手いし。あ、上手いのはそらっちもあおっちも変わらないか。ウチの取り柄というか、見せ場はラップくらいだし……不安だなあ。
───あ~そう言って誤魔化しちゃって。夏はもう少し正直になったらどうなの?
ウチは、気づいていたのかもしれない。心の何処かで引っかかっていた過ちを。
人前で歌うこと、いや、人前で何か発表をすることが苦手だった。何処か押し付けがましいようで、己を認めて欲しいという自己満のようで、でも、自分の意思を閉ざして封印している方がよっぽど不安にさせてしまう要因だった。
ウチに気づかせてくれてありがとう、あおっち。そして皆。
ウチの内側を、閉ざした扉を全開にして、全力で歌うよ!
開始されたレコーディング。流れるゆめっち作曲の曲。評価をする数人の大人たち。
ウチはドラム担当だけど、このオーディションはギターやピアノを含めた楽器を使用しない、完全な歌の勝負。それでも負けてられない。
大丈夫、歌い出しも好調。ラップまでの流れも綺麗だ。
Bメロがウチの最大の見せ場……ここを疎かにしてはサビ、そして全体の印象とモチベーションに響く!
全てをさらけ出せ。
芯を持ったつばっちのように。
真っ直ぐなあおっちのように。
熱意を滾らせるそらっちのように。
そして、ゆめっち……ゆめっち───?
公園に向かう去り際の表情。ゆめっちのその表情は、ウチが良く知っていた表情で、だからこそ誤魔化してしまっていた。
皆を大事にして、優先して、己を犠牲にしてまで選択を惜しまない献身的な心。思いと願いを封印し閉ざしてしまう行動。それでも、ウチがしてきた身勝手な逃避とは真逆の、己の為では無く皆の為の逃避───あの時のゆめっちの表情は、とても悲しげな、まるでクラスに取り残されたかつてのウチのようで。
あぁ、ウチはいつまでも逃げてばかりで、また人を傷つけしまったんだ。
「───夏、夏? 大丈夫? どうしたの夏……?」
いつからだったかは分からなかった。
ただただ、後悔と懺悔の思いが募って、思いを歌に乗せる度に、皆の思いを乗せたゆめっちの曲には酷くミスマッチで。歌い終えた後も自然と、しかし必然とも取れるものが重なるばかり。
「ウチは最低な人間だっ……!」
膝から崩れ落ちて大粒の涙を流すウチを、つばっちがそっと肩を貸してくれた。「少し時間をください」とつばっちが告げた後、オフィスの外、お互いに通路に設けられた椅子に座る。
「どうしたの夏、いきなり歌いながら涙を流すものだから……僕じゃ言えないことだったり?」
「違う、、違うの」
涙を拭いながら横に首を振る。
「ゆめっちが作った曲は……『五線譜』は、ウチがオリジナル曲を歌いたいって言葉を聞いて生まれた曲なの。皆で楽しく歌えるようなって。ただサラッと言った、願望なだけの言葉だったのに、ゆめっちは一生懸命に作ってて、ウチにこっそり相談に来てくれて、『明日、初めて皆に公開するから、楽しみにしててね』って……でも、ウチはッ……!」
本当に最低だ。
友人を裏切ってしまったんだ。
SNSで裏口を書き込みしていたかつての友人、その人はウチを友として見ていなかった。しかしウチは、大切な友人を傷つけてしまった。そんなの、この上なく酷い行いじゃない。
猶予もあったのに、オーディション前日、いや、オーディションを受けると決めたあの日に、ゆめっちとしっかり話して置くべきだったのに。『また置いていかれる』『背中を追わなくては』と、自分しか見ていなかった。皆と反対方向に走っていた。
たった一言でもかけていれば、そう、独りのウチにあおっちが話しかけてくれたように。気づけるタイミングは幾らでもあったのだ。
手を繋いで引っ張って行く?
足を掴んで引きずり下ろす愚か者じゃないか。
「……夏、君は『ウチは最低な人間だ』、なんて言っていたけれど」
視界が潤んで仕方ないウチに、そっと頬に触れた心地の良い布の肌触り。
ハンカチで涙を拭き取ってくれたつばっちは、普段と変わらない、しかし今にも壊れてしまうような危うい表情をして、一筋の涙を流していた。
「僕も同じだ。最低でどうしようもない人間だ。僕は、何も視えていなかったんだから」
溢れる雫をハンカチで拭き取ったつばっちは、自身につたうものには気にもとめずに走って行った。
遠くなる背中に取り残されたウチは、ひらりと落ちたハンカチが膝元に落ちるまで、理解が追いつかなかった。
つばっちが外に出て……走って、え? 走ってる? 白杖も持たずに!?
「待って、待ってよつばっち!!」
白杖は目の不自由な人にとっては第三の目のようなものだ。
杖を地面に打ち付けながら歩くことで、安全確認はもちろん、反響音により物の有無が分かるし、周囲に目が不自由な事を知らせるシンボル的な役割もある。
折り畳み式の白杖はつばっちのバックの中にしまってあるはず。それなのにバックも持たずに走り出してしまった。目的地は、間違いなくゆめっちのいる公園だ。
中学生の頃は運動部だったウチでも、基本何でもこなせてしまうつばっちには走りですら追いつくことが出来ない。
必死に叫んでも、リンリンと激しく音を鳴らす叶鈴守が、ウチの声をかき消しながら遠のくだけ。
公園に行くには横断歩道を渡る必要があるのに、ただ一心不乱に走っている。
どことなく強がりなつばっちは、常に冷静沈着な状態の反動故なのか、時に頭より先に身体が動いてしまう不器用なところがある。秀才な少女の数少ない弱点だ。
つばっちの頭はきっと真っ白なんだ。鈴を付けているとはいえ、今止めないと、また事故にあってしまう!
「つばっちってば!!!」
その時、腰で揺れに揺れていた叶鈴守が、音を立てながら地面に落ちた。繋がれていた紐がちぎれたんだ。
反響音頼りの視覚を失ったつばっちは、足元を転がる鈴を拾い当てるか、そのまま走り抜けてしまうかで迷い、こちらを振り返って足を止る。
絶望としか言いようがない瞳と視線が合った時には、ウチはつばっちに覆い被さるように飛び込んでいた。
「嫌! 嫌だッ!! 離してよ夏ッ!!」
「落ち着いて! お願いだから、落ち着いて……っ」
手元に転がり落ちていた叶鈴守を、つばっちの手に握らせる。ウチから逃れようと足掻いていたつばっちは、荒げていた息使いを徐々に平常に戻してゆく。
手にした鈴を強く握りしめ、肩を震わせながら静かに泣いている。そんなつばっちに、一体なんて声をかけたらいいか。それでも、ウチまでここで泣いている訳にはいかない。
「行こう、ゆめっちのところに」
「うん……うん……っ」
ウチの腕にしがみつくつばっちはとても新鮮だった。あまり弱みを見せない人だから……もう少し皆に甘えていいのに。
公園に差し掛かった道。もうすぐ会えるというところで、見覚えのある人を目撃した。ガードレールに沿ってとぼとぼと歩道を放浪する少女。
その虚ろな瞳、こちらに気づいたゆめっちと目が合った。




