第4話 蒼天はもう過ぎて【卯月蒼】
「やっぱりここに居たのね」
卯月がまだ皆と出会っていなかったあの頃。それは雲ひとつ無い青空の下、中学校の屋上から物語が動き出した。
一面の空を独り占めするように、横になって空を眺めていた卯月は、頭上から聞こえた声に少し驚きつつ。
「授業サボって良いの?」
「それはあんたも同じでしょ、私は興味本位で来てみたの。……にしても、と~ってもいい景色! 確かにここで大の字になって寝たくなるのも頷けるわ!」
まだ会話という会話をしたことが無い相手にも、気にすること無くプライベートに土足で踏み込んで来る奇抜な人。でも、その声が耳を撫でても、耳障りなはずが風のように涼しげに流れてゆく。
「まあ、分からなくも無いわ。サボりたいなって思うのは、私もいつもそうだったから」
隣に同じように大の字になったその人は、空を青い壁に見立てて壁打ちするように、台詞を投げる。
「あーッ! なんだか思い出しただけでイライラして来たわ!」
「……ふふっ」
「別に笑うところじゃないでしょ」
そして何となく、しかし必然か、気づけばこちらから話を進めていた。
「……歌いたくないんだ。音楽の授業、サボってる理由なんて、ただそれだけ」
「え? 屋上で独り空に向かって歌ってたのに?」
「───!! 歌い終わってから知らん顔して来たの!? 酷い! ひとでなし!」
己でも分かる程に赤面し、蒸気を上らせてしまう。つい素の自分が出てしまったのも完全に相手のペースだ。
「超~綺麗な声だったよ。それに楽しそうだったし。また聴かせてよ」
「嫌だ」
「……そっか」
てっきり、もっと詰め寄って来たり、『勿体ない』とか言うと思っていたけど、意外にも素っ気ない返しだ。
「したくない事はしない。良いじゃない、その分自由になれるし。まあ、『したいのにしない』であれば別だけど」
そう言いつつも「よいしょ」と立ち上がって、背を向けてドアの前まで歩いて行ってしまう。もう帰るんだ、と感じてしまう自分が恥ずかしい。
ドアを開けて姿をくらます前に。
「ねぇ! サボる時言ってよね! また仮病使って来るから!」
そう捨て台詞を残して、バタンと閉めた。
◇◇◇
「ほ、本当にするの……?」
「うん。だから、じっとしててね」
高校デビューと同時に一人暮らしデビューを果たした卯月は、この狭い一室に翼と二人っきり。閉めたカーテンから漏れる光が、少女達を優しく照らしていた。
ベットに横たわる卯月の顔に、翼の顔が近づいてゆく。
あ、あわわっ、流石に恥ずかし過ぎるよ翼っ……!
思わず目を瞑る卯月に、ゆっくりと重なり───
「……38.7°C」
「え!? 端数まで分かるの!?」
「勘だけどね。まあ、39°Cに少し届かない程度には熱がありそうだ」
おでこをピッタリと着けていた翼は、ショートな前髪を掻き分けながら続ける。
「全く、雨に濡れまま歌い続けてただなんて、風邪をひくのも仕方ないよ」
「へへっ……ごめんね、わざわざ家に呼んじゃって」
「一人暮らしだし、誰かの助けを借りるのは普通のことだよ。謝ることじゃない」
三日前、夏と夢と一緒に路上ライブをした。雨の中歌うという無茶ぶりで風邪をひいちゃったけど、夏と夢は元気そうで良かった。二人を巻き込んでおいて、卯月だけ元気だったらみっともないからね。
「あ……そう言えば、SNSで蒼たちのライブ動画がバズってたね。路上ライブ、とても良かったよ」
「き、聴いてくれたんだ」
「もちろん。蒼の歌声、上手いし綺麗だし、何より楽しそうな声色で、僕も一緒に歌いたいなって思っちゃった。ただ、見知らぬ人が無許可で蒼たちのライブ動画をネットにアップするのは許せないけど」
「ま、まあまあ、卯月たちの歌が皆に聴いて貰えたってことだし。光が刺して卯月たちだけ照らされるって奇跡、撮りたくなる気持ちも分かるし」
「しかし……」
それでも納得のいかない翼は、怒るように腰に付けた鈴をリンリンと鳴らしながら、ご飯の支度を始めた。
鈴。翼が日光東照宮にて購入した叶鈴守というお守りだ。
赤、青、白の三色ある内の赤色を翼は付けていて、移動する際に良く響くようにしているみたい。
鈴を身に付けている理由は、鈴による反響音を聴いて、周囲の障害物を把握することにある。まるで、視覚に頼らずとも距離を把握出来る、蝙蝠やイルカのように。そう、翼は。
「ところで蒼、額を付けて熱を測った時、恥ずかしがってたよね。目の見えない僕にでも、その情景が手に取るように分かる」
視覚障がい者にあたる人間だ。
中学で出会った頃には既に、翼は視覚を失っていた。話によると交通事故による怪我が原因らしい。
ちなみに翼は『弱視』という、完全に見えない訳では無いが、極度に視力の低い状態にある。
熱を測るにも、体温計の数字表示が見れない。だから翼は、おでことおでこをくっつけるという少女漫画でしかお目にかかれないアナログイベントを選んだ。いや、それでも「やっぱり熱い……」くらいが普通なのに、何で正確な数値が分かるの??
「は、恥ずかしいに決まってるじゃん。それがどうしたって言うの」
「いやあ、可愛いなって」
「なっ……可愛いとかムカつく」
「ははっ、やってみて正解だったなぁ」
「もー……」
笑いながらも、手の止める事の無い翼はやがて、小さな鍋を両手にして運んで来た。
「お粥、作ったよ。残りご飯で作ったから十分も掛からずに出来た」
「あ、ありがと翼……」
蓋を開けた翼は、真っ白なお粥に上出来と言わんばかりにニッコリとする。
木のスプーンでお粥をすくうと、「自分でフーフーする?」と中々受けることの無い質問をしてきたので、「あ、いや、どうぞ」とドキマギしてしまった。
お粥を作って、フーフーして、あーんまでして貰うなんて。このお見舞い欲張りセット、翼ファンクラブの人達が目にしたら、卯月殺されちゃうかも……
「とても上機嫌だけど、そんなに美味しかった?」
「いや、お粥はお粥って味だけど、優越感に浸ってて……」
「優越感て」
ふふっと笑ってる翼の手元、お粥を持った指先がほんのり薄く輝いて見えた。右手の親指だけだったから尚更気づけてなかったけど、これは……
「ネイル?」
「あ、これね。丁度昨日、夏に施して貰ったんだ。四月頃に触れたネイルの感触を忘れられなくてね」
「おぉ~、とうとう翼もオシャレに目覚めましたか。ネイルってギターで弾く時邪魔にならないの?」
「これはグラスネイルというものでね、ギタリストにも適した爪補強用のネイルなんだ。オシャレにはジェル程向いては無いんだけど、サンディングしないから痛まないし、デメリットも少ないのが良いところだね。何より見て! とっても自然体!」
「確かに、遠目で見ても気づけないくらいのうっすらな赤み……」
ちなみに指一本だけする手法を一本ネイルと言ってー……っと翼が、珍しく声のトーンを高くしながら楽しそうに詰め寄って来た時。
『ピンポーン』と、インターホンのチャイムが鳴った。よくある形式の音に合わせて、「僕が行ってくるよ」と翼が玄関に出向く。あれ、何か宅配頼んであったかな。
───楽しそうな声色で、僕も一緒に歌いたいなって思っちゃった
「……楽しそうな声色、か」
懐かしい。
一面に広がる快晴の青空に、誰にも咎められること無く自由に歌っていたあの日、空もそんなことを言っていたっけ。
幼い頃から、歌うことには自信があった。
小学生の音楽の成績が五段階評価中の5なのも誇りだったし、歌うこと自体も好きだった。
しかし、その思いも長くは持たず。
高学年に上がると共に、『もっとこう歌うべきだ』という縛り、『才能が有るならば上手く歌わなくてはならない』というプレッシャーが、少しずつ、確実に蓄積していく。
中学にもなれば、必須科目が疎かになっていなければ良いと言い聞かせ、音楽の授業ばかりをズル休みしていた。
歌うことが好きでは無くなってしまって。いっその事、歌いたくないなんて思ってしまって。
でも、空の『したいのにしないであれば別』という言葉が、心の何処かでずっと引っかかっていた。
どれだけ嫌いになっても、大好きな歌を、大嫌いになるなんてできっこなかったんだ。だって、嫌いな以上に好きなのだから。
そしてあの日、バンドグループの歌声が、卯月の目を覚ましてくれた。
何せあまりにも真っ直ぐな歌声だったから。あのバンドグループに皆と自分を重ねてしまったから。
皆と一緒に楽しめるなら、少し歌っても良いかなって───
「蒼ーーーッ!!!」
「わわっ!? そ、空!?」
家に押しかけて来たのは、宅配では無く、病に物理で効く(?)破天荒少女だ!
こ、声が頭に響いてうるさい……!
「卯月、風邪だから移っちゃうって」
「それは翼も同じことでしょ!」
「翼は滅多に風邪をひかない超人体質だから……」
「まあ気にしない気にしない! それに、来てるのは私だけじゃないから、最悪全員仲良くひいてしまえばいいわ」
「え……?」
そして、ドアが全開になったところから、顔を出す者が二人。
「やほ~☆、あ、思ったより元気そうで良かった~!」
「あーしも来てるし」
「夏、夢まで……気持ちは嬉しいけど、あまり良くないよぉ……」
「お土産、持ってきた次いでに寄っただけだから大丈夫大丈夫~」
夏が両手にしたものは、お見舞い定番の果物でもなんでも無く、大量の小説と漫画本だった。
この人、自分の好きな本をここぞとばかりに普及する気だ……! 暇だったから嬉しいけども。
「あ、これお粥よね!? もしかして翼とここでお粥ランデブーしてたのかしら? これは有・罪ッッ、判決は私によるあーんの刑よ!」
「ちょ、そんないきなり口に突っ込まないで! 熱いっ、熱いから!!」
空たちが持ってきてくれたのか、飲食類が入った袋を手に玄関から帰ってきた翼。そして空と卯月が格闘している様子を微笑ましくしている夢と夏。
この、こそばゆいようで楽しい感覚。
路上ライブでも、同じか、それ以上の幸せを感じてしまったのだから、もっと歌いたいという思いが溢れてしまうのも仕方ないよね。




