第3話 先駆けの夏【弥生夏】
軽音楽部ができてからおよそ一ヶ月。
「暑い……卯月溶けちゃう……!」
六月を前にした五月末は、まだ春にも関わらず嘘のように暑い。そんな中、夢、蒼、そしてウチ、夏の三人で駅の前に来ていた。
目的はそう。
「早速、路上ライブ始めちゃお!」
人が行き交う駅前で歌を歌う!
ネット社会の現代、路上ライブをする選択肢が少なくなる中、人前で歌うことに慣れるメリットを加味すれば候補に上がる。特に人前に立つのが苦手な夢と蒼にとっては打って付け。
「いっその事、全員で来れば、空と翼にもこの苦しみを分かち合えたのに……あーし、帰りたくなってきた」
「そらっちとつばっちは今日カラオケに行く予定があったから仕方ないって。ウチが持ってきた機種じゃ古いみたいでね、二人で歌い込むんだってさ~。ね、だからウチらも負けてられないっしょ」
「むぅ……」
小さな鳴き声を後に、夢は背にしていたギターケースを下ろす。
ゆめっちが元々ギターを習っていたなんて、聞いた時はびっくりしたな~。
「卯月、なんだか震えて来たから、夏、お手本を見せて欲しいな……って」
「しょ~がないな~。じゃ二番目はめっち、三番目にあおっちね。始めは一緒に歌ってあげるから」
アコギを手にした夢は、準備OKと目線でウチに合図を送る。
路上ライブを行うには、警察の人から道路使用許可申請の手続きをする必要がある。ウチらの地域は、アンプやドラムの使用を禁止されているから、普段エレキのところをアコギで弾いてもらう。
許可もしっかり貰って、時間帯も人の多い通勤ラッシュの五時過ぎ、条件はバッチリ。
そして何より、ウチらを隔てるものは何も無い。全力で、自由にここで歌える。最高に青春じゃん!
「さあ、歌うよ!」
ウチの1、2、3、4のカウント出しに合わせて、夢がギターを奏で始める。
正直、ウチも人前で歌うのは苦手な方だ。知らない場所でなんて特にそう。
中学生の頃は、軽い人間恐怖症のような状態で、人という人を避けていたものだ。裏愚痴をSNSで書き込まれていたのを偶然見つけてしまったのが、人を信じれなくなった切っ掛け。それまで仲良くしていた友人だったのが、ウチの心を酷く抉った。
人は醜い。
それでも、人が生み出したものは好きだった。特に小説や漫画がそう。
個性豊かなキャラクターが、起承転結をベースにストーリーを展開。そのキャラクターの掛け合いや、文言の言い回しが、砂時計のように少しずつ蓄積する。砂がチリチリと落ちる度に、作者の思いや意図が垣間見える感覚が堪らなく好きなのだ。
読者に向けられた活字という作者の言葉は、決して裏切ることは無い。
そんな教室で本ばかり読んでいた本の虫に、声をかけてくれたのがあおっちだった。
一見大人しそうなあおっちだけど、ゲームセンターで一緒に遊んだり、ウィンドウショッピングではしゃいだりと人並み以上に行動力があったりする。
あおっちと初めて入ったプリクラには、あまりの戸惑いっぷりに写真がブレブレになってたっけ。
そのうちウチは、そらっち達と巡り会う内に垢抜けてきたのだけれども、ウチに変わらず仲良くしてくれるあおっちには感謝しかない。
どこか変わろうとも、決して変わらない信頼と友情がある。そんな友人達とバンドで青春を謳歌する未来を、あの日、バンドグループの演奏を聴いて思い描いてしまった。
ならば、現実にするしかないっしょ!
気づいた時には、隣でゆめっちも弾きながら歌っていた。ウチの歌声に寄り添うような、優しい歌声だ。
最後のサビで二人同時に歌うって、めちゃアガるよね!
「ふぅ~……ね、一回歌っちゃえば大したこと無いでしょ?」
「ま、思いの外スッキリしたし、うん」
「でしょでしょ~」
ちょっとはにかむ夢と、そんな夢を肘でツンツンとするウチに、蒼が声を掛けてくる。
「二人共、息ぴったりだったし凄かったよ」
「バンドは息合わせてナンボだからね~」
「……涼しくなって来たし、やる気出てきたから、卯月も一緒に歌おうかな」
「へへ、そう来なくっちゃ!」
プリントして作った、次歌う曲の歌詞が書かれた簡易的な本を、あおっちに渡す。どこをどう歌って欲しいかを軽く伝えているところに、夢がポツリと独り言を呟く。
「涼しい……」
「? どうしたのゆめっち?」
「もしかしたら、雨の降る予兆……とか」
と、その言葉の間もなくして、頬に冷たい雫の感触が伝わる。いつの間にか、どんよりとした暗い雲が覆っていた空から、大量の雨が降り出した。
駅前と言っても、通行の妨げにならないよう、離れた位置でライブをしていたのが災いして、駅内に逃げ入る間に衣服が濡れてしまう。
「もー、なんで五月なのに急な雨が降るのー」
頬を膨らませるあおっちの濡れた髪を、タオルでわしわしと拭きながら言う。
「夏関係なく春とか秋にも夕立ってあるらしいよ? あ、正確にはにわか雨かな。ところで、ゆめっちはなんで雨が振るって分かったの?」
「あー、アレね。夕立ってほら、上昇気流がうんたらで温かい空気が上に行くっしょ? それであーしらがいる地上の気温が下がって、雨が降る前に涼しい風が吹いたりするってこと」
「卯月、それ理科で習いました!」
ムフーっとして胸を張るあおっち。
確かに天気の授業でそんなこと言ってた気がするな~。陸風と海風とか、上昇と下降とか、どっちがどっち? って感じで苦手なんだよね。
そうして雨宿りをして三十分を過ぎた頃。
「なんだか雨、やまなそうだね」
あおっちが零す言葉通り、雨は一向にやまない。
にわか雨なら一時間程度で済むはずなんだけど、予報を見る限り、あと二時間は振り続けそうだ。家出る前は曇の予報だったんだけどな。
「今日はこの辺で帰ろっか。……今度路上ライブする時は、ウチらのオリジナル曲とかで歌ってみたいな。皆で楽しく歌えるようなさ」
「……そか。じゃ、かーえろっと」
腰を上げて、ギターケースを背負う夢。その背中に、蒼が言葉を投げかける。
「卯月、まだ歌ってないよ?」
「ん、明日、部室で歌えばいいじゃん」
「でも……」
曇天の映る窓に目線を向けて言う。
「二人が歌って、卯月だけ歌わないのは踏ん切りが付かないの。ズルいとかじゃなくて、ただ卯月が、一人取り残されるのが……悔しいっ」
あおっちは、見た目に依らず行動力のある人間だ。きっとそれは、バンドにも活きる長所でもある。
ウチらが止める間も無い内に、あおっちは駆け出していた。
階段を降りて、雨がコンクリートを打つ音が次第に大きくなる。駅の出口から出た時には、ウチらが路上ライブしていた定位置に、雨に打たれるあおっちの姿があった。
「あおっち!」
「大丈夫! 夢と夏は濡れちゃうから、そこで見てて」
震える足を誤魔化すように、頬を両手でペシっと喝を入れたあおっちは、胸に手を当てながら口を開く。
普段、部室でそらっち達と歌っていた時にどうして気づかなかったのか。
あおっちがおよげたいやきくんを歌っていた時に感じた、あの綺麗で透き通るような歌声。息を呑むと同時に、雨に濡れながらも懸命に、そして華やかな佇まいの少女に魅了された。
それは行き通る人達も同じようで、一人、また一人と足を止める。
あおっちが、こんなに歌が上手いなんて知らなかった。
嬉しい、とても嬉しいけど、疑問が湧く。中学の頃は音楽の授業も休み気味だったし、何故今まで人前で歌って来なかったんだろう。でも、今そんなことはどうでもいい。
ただ一心に、あおっちの元へ駆けて行った。
頭にタオルも巻かずに濡れて、水溜まりの雫が足に跳ねようが気にしない。
ウチだって悔しいよ。
一歩抜かしても、その先をまた二歩進んで行くんだからさ。でも、だからこそ、あおっちに追いつきたい。並んで歌いたい。
後からゆめっちも駆けつけて来て、三人で雨の中濡れながら歌う。
天気予報は気まぐれで、薄明光線、天使の梯子が、一曲歌い終えたウチらをスポットライトのように照らしてくれた。
夏を先取りしたかのような、最高のテンション。今度路上ライブをしに来た時は皆で、願わくば、ステージの上で───なんて、ね。




