本題。
やっと静かになった室内で、殿下はソファに座ったまま項垂れました。片手で額を押さえて、こちらも随分お疲れのようです。
…別に疲れるほどの接触はなかったように思いますが。
「…あいつら、いつもいつも遠慮なしに押しかけてきやがってっ」
あ、別に疲れてたわけじゃなくて怒り狂ってただけですが。失礼しました。ものすごい勢いで不平不満を並べ立てている殿下はこれでもストレス溜まってるんですね。その結果のさっきの悪戯ですか。同情はしますけど許しませんよ。だって私、完全なるとばっちりですもんね?
口を挟むと絶対ろくな事にならないので黙って傍観していたら、しばらくして殿下が戻ってらっしゃいました。
深呼吸並みに大きく息を吸って、吐いて。あ、これため息ですか?幸せ逃げましたね。
「…お前には明日から俺の書記官として働いてもらうわけだが」
いきなり本題に切り込むわけですか。愚痴からナチュラルに仕事の話って切り替えが豪快過ぎますね。前置きとかないんです?
「現時点ではお前の他に五人いる。全員が俺の側近候補だ」
「…噂通りというわけですか。候補という事は全員を側近にするわけではないんですね?」
「当たり前だ。側近なんてただ口うるさいだけだろうが。そんな何人も付けてられるか」
「大変正直でいらっしゃいますね。…では、彼らは全員ライバル同士だと?」
「ま、そうなるな」
「ちなみに、その候補者の中に私も含まれますか?」
「対外的には、そうだ。あいつらもそのつもりでお前を迎える」
「…アーサー、私、凄く嫌な予感がするわ」
「奇遇ですねアーヤ。私もです」
けろっと応える殿下に私と彩香さんは揃って遠い目になりました。え、なんですかこれ。すでにイジメフラグ乱立してません?
というか、なんだってわざわざ全員まとめて置いとくんですか。そんなの喧嘩するに決まって…、決まって、…あーそうですかそういうわけですかなるほど納得しました頭痛が痛い。いやマジで。
思わず先ほどの殿下のようにソファで項垂れて片手で額を押さえた私に、彩香さんが心配そうに寄り添ってくれました。癒されます。しかし現実は待ったなしで目の前に立ちはだかっています。顔をあげればほら、満足そうな表情を浮かべた殿下がそこに。ティーポット投げつけたい。
「…候補者を、一つ所に集めているのは意図的にですね?」
「え?」
いきなり低い声でそう断じた私に、背中に手を添えてくれていた彩香さんが困惑した声をあげました。対して殿下はますます満足そうな笑みを浮かべて頷きます。
「一種の予行演習みたいなもんだ。自分自身すら勝たせられない奴が王宮での権力闘争に勝てるわけが無いからな。そうだろう?」
そりゃ確かにそうですが。要は候補者同士の潰し合いって事ですよね。手っ取り早く結果を出すには最善なのかもしれないですけど、それにしたって将来有望かもしれない若者をバトルロイヤルにかけるなんてちょっと鬼畜すぎやしませんか。
私の非難を多分に含んだ視線を受けとめた殿下は、ひょいっと肩を竦めました。
「潰し合いをするかどうかはあいつら次第だ。俺は相手を蹴落とす手並みより、いかに自分を押し上げられるかに焦点を置いてる。そう明言した。にもかかわらず他者を潰そうとするような馬鹿は例え全員を蹴落としたところで側近には据えない。そんなのは隣にいたって邪魔なだけだ」
「つまり、手腕だけではなく人格と思想も測っている、というわけですか」
「その通り。話が早くて助かるが、これも上に立つ以上避けられないって事だけは覚えといてくれ。いくら王太子だといっても、気を抜けば足元を掬われる。王宮はそういうところだ」
最後に真剣味を増した声で言われて、少しだけ非難した事を申し訳なく思いました。殿下には殿下の立ち場があり、例え嫌でもやらなければならない事案があります。今回の事がそれだったかどうかはともかく、同じ場所に立つ気もない私が責めるのはお門違いでした。
「―――話が逸れたな。五人の候補者は全員が貴族の子息だ。馬鹿やる奴にとって、お前は格好の的だろう」
「…私は別に、殿下の側近になりたいだなんて思ってませんが」
「だろうな。俺も別に期待してない」
だったらどうして書記官なんぞにしたんですか。
思わず素で詰め寄りかけて思いとどまりました。少し冷静になって考えましょう。
「つまり、側近に据える以外の目的がある、という事ですね?」
確信をこめたそれに、殿下は口端を釣り上げました。
「先に言っとくが、俺は陛下が何を企んでるかなんて知らないぞ。ただ、お前をあそこに放りこんだら面白い事になると思ったから親父を脅…ゴホン。国王に頼んで配属してもらっただけだ。側近の地位が欲しくないなら、はっきりあいつらに言ってやれ。自分の価値観が真っ向から否定されれば、少しは視野が広がるだろうよ。俺は口出ししないから、好きにやれ」
今の話にでっかい嘘が一つありましたね。一番最初。殿下が陛下の心算を知らないなんてあるはずないんですよ。それは単に親子だからとかじゃなくて、陛下の思惑を邪魔するかもしれない危険を冒すわけがないからです。秘密裏に事を運ぼうとする時に、一番厄介なのは何も知らない人間の悪意無き横槍です。それを避けるためには関係各所との連携が必須。すでに私の護送に関わっている殿下が何も知らないなんて寝言は通りません。まぁ、だからといってそれを私に話すはずがないですが。
とりあえず、配属を動かしたという事はそれは今回の私の役割に関係が無かったという事でしょうか。だったらもっと地味で当たり障りの無い役職がよかったです。召使いとか庭師とか。…なんとか配置替え出来ないですかね。
「好きにやれ、って…アーサーは国政の事なんて何も分からないんですよ?当然、研修期間はあるんですよね?」
やや険しい表情で詰め寄る彩香さんに、殿下は若干視線を逸らしました。
「その辺は宰相の采配だ。研修期間はもちろん設けるだろうが、…きちんと機能するかどうかは微妙だな。あいつは普段国王に付きっきりだし、他の書記官連中は子供の頃から国政について叩きこまれた奴ばかりだ。まず、"なにも分からない状態"を理解しない」
「それじゃ…」
「国政で分からない事はカールに聞け。あいつも教育を受けてる。最初の二週間は勤務終了後にあいつをお前らの家にやる。…それでいいか」
いいか悪いかで言えばやっぱり悪いですけど、これが最大限の便宜でしょうね。実行するのはメイソンさんですけど。
二週間やそこらでなにが出来るとは思いませんが、とりあえずやるだけの事はやってみましょう。もしかしたら勤務時間中もほったらかしの可能性がありますし。そしたらその間に国政の勉強をすればよし。
「アーサー、もし職場でいじめられたりしたらすぐに言うのよ?」
まだ納得していないらしい彩香さんが真剣な顔でそう言うので、私はきっぱりと言い切りました。
「大丈夫です。貴族の坊ちゃん連中の嫌がらせくらい祖母のしごきに比べたらなんて事ありません。もしも実力行使に出てきたら、こちらも遠慮なく投げ飛ばせばいいだけです。うん、大丈夫」
「………おい。それだとウチの書記官共の方が大丈夫じゃないように聞こえるんだが」
「業務に差し障りのない程度にします」
「……もういい」
なにかを諦めたような声を吐きだした殿下は、そのままがっくりと項垂れました。
どうもお疲れ様です。




