表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
臆病な僕と、リングの約束 ーBパート ジムサイドー  作者: 叶畑シュウ
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/17

第八話 僕が倒す②

 ゴングが鳴る。いつも通りなら、陸は様子を見る。ジャブをもらって距離を測り、我慢して、耐える。


(今回は違う)


 部長の最初のワンツーを、ギリギリのところでスウェーして外す。頬にかすかに当たる風圧。それでも、足は止めない。


「おっ?」

 

 部長がわずかに目を細める直前──ジャブで視線を上に持っていき、ストレートの軌道で相手のガードを上げさせ、その下を、もう一歩踏み込んでボディでえぐる。

 

「……ぐっ!」


 そこから、教科書通りのワンツーではなく、ナオとの練習で何百回も繰り返したコンビネーションを叩き込む。


 ジャブ、ボディ、アッパー。いつもは鉛みたいに重い腕が、今だけは軽い。


(俺は、ナオくんに『いじめられてる?』って聞かれたくない)


「調子に乗んなよ、一年!」


 すぐさま返ってくるのは、ミドル級のカウンター。

 ガードの上からでも、腕ごと持っていかれそうな重さだ。


 視界が一瞬、白くなる。鼻の奥で血の味がした。ぐらつく膝を、足裏で踏みとどまる。


(ここで折れたら、いつまでも同じだ)


 ロープに詰まりかけたところを、サイドステップでぎりぎり抜けて、今度は右回りに大きく回る。部長が追いかける。荒い息遣い。

 

「チョロチョロ逃げるな」と唸る声。

「逃げてません」


 陸は、小さく呟いて、踏み込みのタイミングを計る。

 部長の右が伸びる。さっきまでなら、もらっていた間合い。そこで陸は、半歩だけ中に入った。


 拳が頭の横をかすめ、その反動で部長の上体がわずかに前に流れる。空いた肋骨の下に、全力の左ボディ。


「っが……!」


 聞いたことのない声が、部長の口から漏れた。

 そこからは、積み重ねてきたコンビネーションの総動員だった。


 ナオと一緒に「ゲームみたい」と笑いながら覚えた連打。

 シュガーの静かなリングで、何度も何度も「ナイス」と言ったパターン。


 今度は、その全部を自分のために使う。


 ジャブで顔を揺らし、同じ箇所にボディを打ち込み、上体が折れたところに、ショートアッパーをねじ込む。


 ゴッ、と重い音。部長の頭が大きく仰け反る。

 

「ストップ、ストップ!」


 顧問の声が飛ぶのと、部長の膝がガクンと落ちるのは、ほとんど同時だった。

 体育館が、静まり返った。


(俺が強くなるって言ったから。もう、黙って耐えるのは終わり)


 拳をそっと握る。鍛えてもらってるだけという嘘には、戻らない。


 その日、体育館のリングの上でようやく、陸はナオへの「約束」を、一歩だけ果たしたのだった。


◇◇◇


 ジムのドアは、いつもより重く感じた。


「こんにちはー……」


 声は普通に出た。けれど入ってきた陸の顔を見て、フロントにいたコーチが露骨に目を丸くする。


「……お前さぁ」


 一拍おいて、ため息まじりに言う。


「限界じゃね?」


 片目は青く腫れ、ほほ骨のあたりは赤紫。血の滲む口元には絆創膏。

 どう見ても、鍛えられましたで済む顔じゃない。

 それでも陸は、へへ、と笑った。


「手当てはしてきましたから。それに今日は──」


 言い終える前に、奥からドドドッと音がして、ナオが走ってくる。


「陸のお兄さん!!」


 勢いよく目の前で止まり、ぱっと顔をのぞきこんで、表情が固まった。


「……やられてるじゃん」


 すぐに眉間にしわが寄る。


「また悪者にやられたの?やっつけに行く? 場所どこ? 名前は? 僕もグローブ持ってく」


 その目は本気で怒っている。コーチが、思わず吹き出しそうになるのをこらえて横を向く。

 陸は、ふふ、と喉の奥で笑って首を振る。


「ありがとう、ナオくん。今日はね……ちょっと、違うんですよ」


 リング脇のベンチに腰を下ろしながら、グローブを抱えたままゆっくり話し始める。


 高一の頃からのこと。指導という名のいじめが、ずっと続いていたこと。

 今日、初めて自分から立ち上がって、ナオに教えていたコンビネーションを、ぜんぶ自分の拳で叩き込んだこと。

 ボロボロになりながらも、最後に部長を倒したこと。

 話しているうちに、さっきまでは爽快感と疲労だけだった胸の奥が、じわじわと熱くなっていく。


「──で、勝ったんですよ。ちゃんと、立ったまま、倒して」


 そこまで言ったところで、頬を伝う感触に気づいた。ぽたり、と膝の上に落ちる。


「……あれ」


 情けないなぁ、と笑おうとしたのに、うまく形にならない。


「なんか、やっと……返せた気がして。

 ナオくんに、俺が強くなるからって言ったから……」


 視界がぼやける。ナオの顔が二重にゆれて見えた。


「全然、大丈夫じゃ……なかったんですね、俺」


 震える声で、陸は正直にこぼす。

 ナオは、しばらく黙って陸を見ていた。ぎゅっと奥歯をかみしめて、ゆっくりと陸の隣に座る。


「……よかった」


 ぽつり、と小さく言った。


「やっつけられたんじゃなくて、ちゃんと返せたって聞いて……僕、ちょっと安心した」


 陸が驚いてナオを見ると、ナオは少しだけ照れたように笑って、タオルで陸の頬の涙を拭く。


「陸のお兄さん、ケガで泣いてるんじゃないなら、いいよ。がまんしないで」


「……ナオくん」


「だってさ、ずっと心配してたんだよ? 陸のお兄さんばっか叩かれて、強くなるからって笑ってるの、つらいでしょ」


 言いながら、そっと陸の背中をポンポンと叩く。

 さっきまでの「やっつけに行く?」の物騒さは消えていて、そこにいるのは、いつものナオだった。


「だから、ナイス。はなまる。満点」


 陸の胸の奥で、何かがふっと軽くなる。涙はまだ止まらないのに、自然と笑いがこみ上げてくる。


「ナオくんに……『ナイス』って言われるの、なんか、とっても嬉しいですね」


「でしょ?」


 にへへ、と笑うナオ。

 少し離れたところで様子を見ていたコーチは、サンドバッグの陰に隠れながら、そっと目頭を押さえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ